2009-12-31

コナン・ドイル/延原謙訳「シャーロック・ホームズの事件簿」新潮文庫(238)読了する。漸く25年前に買ひ揃へたホームズも残すところ、あと一冊、「シャーロック・ホームズの叡智」だけになつた。ドイルのホームズものは長篇4冊、短篇集5冊なのだが、この新潮文庫では10冊になる。その辺りは解説に書いてあるのだが、この「叡智」といふ本は出版社と訳者で作つたものなのださうだ。つまり長さ、厚さの関係で適当に割愛し、最後に割愛したもので「叡智」といふのを作つた、と。よくまあ、そんな勝手な真似ができたものだ。いまは他の出版社からも翻訳が出てゐるが、そつちはどうなんだらう。いづれにしても、相変はらず読みにくい。漢字を敢へて平仮名にしてるところが特に読みにくい。理由が判らん。まへにも書いたが、言ひまはしがまるで時代劇だよ。テレビの「水戸黄門」だつて、もつと今風だぞ。重箱の隅を挙げると、……P148では「かわいい」なのに、P157では「かあいい」。P194には「うでる」、これは「ゆでる・茹でる」だらう。岩波の国語辞典でも「うでる」には「→」があつて「茹でる」を引くやうに指示がある。P196「一匹のハイすらあえて殺し得ざる」?「ハイ」は「蠅」のことか。謎解きも、会話が中心で進むし、ホームズだけが知つてることばつかりで、読むはうは蚊帳の外。パロディかと思ふほど、ピンと来ないね。

2009-12-28

遂に読み終はつてしまつた。R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳「夜のフロスト」創元推理文庫(237)。その厚さ、なんと761頁。旧約聖書かと思つたぜ。読み応へ満点だ。それにしても今回のフロストは土壇場で大失態かと思はせて、まんまと引つくり返す。解説に出てるドーヴァー刑事の本が読んでみたくなつたよ。きつと面白い(俺の直感がさう言つてる)。が、そのまへに、「フロスト気質」上下巻を片付けちまはう。

2009-12-21

まだ読みをはつたワケではないが、「夜のフロスト」半分くらゐ一気に読んだ。相変はらず面白い。「フロスト気質」も買つてあるし、暮れまで充分楽しませて貰はう。最後の「Winter Frost」の翻訳がいつ出るのか、待ち遠しい。

2009-12-14

けして悪く言ふつもりはない。面白かつたし、P395の最後には戸惑ひと驚き、さうか、さう来たか、は、ある。先づ、上手だよね。と、文章が上手いなあ、と思ふ。一つの文章を読み返すことも、まへのページへ戻ることもなく、どんどん読める。これはなかなか難しい。貫井徳郎「慟哭」創元推理文庫(236・used)を読んだ。ボロボロぢやないのを渋川のBookOffで手に入れたので。……しかし、P338〜339の犯人からの手紙はネックだらう。これを素直に、さういふ悪戯の手紙はいくらでも来るんだな、と受け取るか、いや、これはをかしいぞ、と見るか、これは賭けかも知れない。最後まで読んでから、ちよつと待てよ、と読み返したのは、この部分に無理があるやうな気がしたのだ。オレは正直、これはズルくね、と感じた。ま、書き手寄りに読めば、さう期待してるのだらうか。まへに読んだ「プリズム」でも感じたことを、これにも感じた。ここまで書くのなら、もつと汚れた、穢い部分まで書かないといけないんぢやないか、といふこと。スマートで行儀よく、見栄えもいい、お手本のやうです。上手く言へないのでhiko7 newsで書くかも。

2009-11-28

R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳「フロスト日和」創元推理文庫(235)を読み終へてしまつた。ああ、フロストが読みたい。読みたい読みたい読みたい。いま直ぐに。しかし、いまは手持ちの金が、……。P468、3行目「狭い路地の真ん真ん中に」。素晴らしい!!お手本ですよ。「ど真ん中に」ぢやない。嬉しいなあ。芹澤さんみたいに標準語で訳して下さいよ。コメントは短いけど、大満足だよ。

2009-11-21

ちよつと時期は早いが忠臣蔵だ。池宮彰一郎「四十七人の刺客」新潮文庫(234・used)を読む。忠臣蔵は知つてゐる。丸谷才一の「忠臣蔵とは何か」も読んではゐる。テレビや映画の忠臣蔵は見てゐるが、小説は読んだことがない。大佛次郎の「赤穂浪士」も。これは面白く読んだ。討ち入りの場面が細かく書かれてゐる。柳沢吉保、色部又四郎、千坂兵部、興味深い人物がたくさん出て来る。吉良と浅野の刃傷は不明のままだが、その後の討ち入りまでの流れはよく判る。侍、武士とは何か。p26内蔵助が風呂で奥田孫太夫に言ふ「人にはいのちより大切なものがある」ここで、ちよつと熱いものがこみ上げ、一気に最後まで読み通すことができた。これまで時代小説はあまり読んだことがない──精々、鬼平など池波正太郎作品、岡本綺堂どまりで、山田風太郎でさへ読めない──ので、なかなか入れなかつた。どこまでが史実なのか、史実を知つたうへで、どう作られてゐるのか、といふ愉しみがあれば、もつと面白いんだらうね。ぢやあ、次は隆慶一郎かな。漫画の「花の慶次」も息子が持つてるので密かに読んでゐるのだが、……。

2009-11-11

やはりメフィスト賞受賞の浅暮三文「ポケットは犯罪のために」講談社NOVELS(233・used)を読んだ。ポップな表紙イラストで、中身は一体どんなものか、と思はせる。意外に基本的なミステリ。そこそこ面白く読める。短篇集で、その並び方にひと捻りある。その意気込みは認める。作りに凝つてゐるのだらうが、なにぶん文章が普通。

2009-11-09

これは再読扱ひにするかどうか迷つたけど、以前にも「散歩する死者」と「天啓の殺意」は別にした経緯があるので同様に。中町信「高校野球殺人事件」徳間文庫(232・used)読了。9月にたぶん朝倉のBookOffで発見。早速購入。これを元にした改稿決定版が「空白の殺意」。トリックも犯人も判つたうへで読んだわけだが、3年もまへだし、殆ど忘れてゐたけれども、幾つか2作の違ひに気がついた。第五章で被害者が発見されるが、発見された場所が「高校野球殺人事件」では太田市、「空白の殺意」では館林市。高崎を舞台にしたものなので、道路事情で都合が悪くなつたか、発表当時(1980年)とは環境がかはつてしまつたか。「(発見された)林は太田市の南端を縦断している県道から二、三百メートルはいった場所にあり、舗装された道路ぞいに細長くつらなり、広大な面積を有していた」と書いてあるが、この太田市をそのまま館林市にかへただけなので不思議。どの辺りのことだらう、と推測するが、ちつとも特定出来ない。土地勘のある、近所の話なのに。はつきりとは覚えてなかつたが、エピローグのをはりかたが違ふ気がして、比べてみたら違つてゐた。行替へや文字の変更も多い。脚音→足音、おるす番→お留守番、「リーコちゃんもすごく大きくなった」→「リーコちゃんもすごくかわいくなった」など。中町作品の中では、これが一番おとなしいかもね。「模倣の殺意」が好みのタイプだと物足りないかも。どつちにしても、かういふ初稿、改稿、決定稿など版の違ふものがある作品は細かく比べてみたいなあ。面白さうだな。発見があるかもしれない。先づはこの2作の比較から始めるかな。

2009-11-05

講談社のメフィスト賞受賞者の名前で見たことがあつた蘇部健一の「動かぬ証拠」講談社NOVELS(231・used)を読む。買つたときは11の章に分かれた長篇だと思ひこんでたので、じつくり読むつもりでゐたら、短篇集だつた。だから11編ある。いろんな意味で面白いね。確信犯的な太々しさを感じる。最後に1枚のイラストで凡ての謎解き、といふ趣向はそれほど決まつてないけど。半下石(はんげいし)といふ刑事の名前には何か特別な意味があるのか。この刑事のキャラクターもいい。「六枚のとんかつ」をusedで探すかなあ。

2009-11-04

気になることを書いてゐるのであつて、けしてケチをつけてるつもりはないが、あら探しだと思ふ人もゐよう。津村秀介「山陰殺人事件」青樹社文庫(230・used)には困つた。浦上伸介の推理は中町信みたいにアクロバティックではないが、地味だけど読み手にも自然だ。中身は面白いんだ。それはまへの「刑事長」についても言へる。まあ、スラスラ読める面白さうなミステリを探して読んでるワケだから、多少のことは構はない。しかし、これはどうにも破綻してゐるやうに思へる。ネタバレするしかないんだけど、P216に「三人とも縊死だった。火をつけてから首をつったことになる」と書いてある。そのうちの一人は身代りで顔の損傷がひどかつた。その火事現場にゐあはせた接点のない3人の人物が1年後に続けて殺される。なぜか。実は火炎の中から現れた男Aをこの3人は目撃したからなのだ。Aは再び炎の中へ消え、やがて家は燃え落ちる、といふのだ(P254)が、縊死だつた、と書いてある。さうすると、燃え盛る家の中へ戻つたAは梁かどこかに紐状のものを掛けるか何かして自ら首を吊るといふ作業を行はなくてはならない。そのままだつて、死んでしまふでせうに。辻褄あはせになつてゐないか。ただの焼死だと困るのかな。他の2人はAの両親なんだけど、両親が縊死で、本人が焼死でもをかしくないでせう。両親を殺した男が耕耘機のガソリンを被つて自殺した、といふのも変ぢやないと思ふ。でも、その男が一旦外へ出て、また戻るといふ設定は、後で殺される3人に目撃させるためでしかない。しかも、2件の殺人事件の犯人と目され、最後に殺されることになる人物Bは、一年後にこの火事の事件を聞かれても覚えてゐないのだ。だけぢやなく、浦上の質問に、山陰には旅行したことがない、とまで答へてゐる。一年まへで、旅行中の火事で、その火事については地元新聞の取材に応じてゐるから、当然、警察の事情聴取もあつたでせう(書いてないけど)。忘れるかな。Bが真犯人Aの近くに現れたことで、かつての無理心中、火事を装つた殺人の発覚を怖れて殺人が起るのだが、Aは大金を持つてをり、更にどこかへ移り住めば問題ないでせう。資金があるんだから、どこまでも逃げればいい。そのはうが自然ぢやないか。わざわざ危ない橋を渡つて、アリバイを作つて飛行機と電車を乗り継いだりして、3人も殺す労力を考へれば。さうなると、この殺人事件は幻の殺人事件になつてしまふのだが。更に、Bの手書きの遺書めいたものをAが手に入れるのは不可能ではないですか?「太陽がいつぱい」みたいに筆跡を真似る?弱いなあ。
最後に、たまたまかも知れないけど、解説の文章が途中で次の行に移つてるところがある。びつくりする。

2009-11-01

読まないうちから、てつきり新本格派と呼ばれる人たち(綾辻行人、有栖川有栖とか)の一人だと思ひ込んでゐたので手を出さなかつた姉小路祐の「刑事長(デカチョウ)」講談社NOVELS(229・used)を読んだ。実は「社会派」〈本人弁〉。プロフィールによれば、法学部卒で弁護士のシリーズを書いてゐるさうだ。解説は森村誠一。なかなか面白く読めたけど、気になつたこと。いつもの些細なことなんだけど、最初に発見される被害者の死亡した日、発見した日が何日なのか書いてない。P40の捜査会議の報告で「死亡推定時刻は九月七日の午前二時半から三時半」と出てゐるが、死体発見日とは書いてないから判らないまま読むことになる。そんなことは判るでせう、予想がつくでせう、午前の死亡推定時刻で、第一章の冒頭が夕方なんだから、……ぢやあ、聞くけど、そんなことを書くスペースもないほど込み入つた小説なのかと言へば、そんなことはない。警察機構に対する批評的な意見がクドいほど書かれてゐて、判つたよ、そんなこと、と、つい呟いてしまふくらゐだし、その次に死んだ人物についてはP154下段左から6行目に「※死亡推定時刻は本日(十月二十日)の午前一時から二時。」と書いてある。「本日(十月二十日)」と。この「本日」の2文字を書かない理由はなんですか?見落としてるのかと思つて何度も始めのはうを読み返した、その手間と時間が惜しい。ミステリで日時や季節がきちんと書いてないものはホントにイライラするんだよね。いつの話なんだよ、これはッ!と。新しい警察署長が赴任した日も、何日と書かない理由はなんですか?プロローグP15「貴船署長が着任してからちょうど十日目のことだつた」。自分で計算しろつてのかい?警察の人事は全く知らないけど、これで行くとさあ、8月の28日か29日に人事異動があつたことになるんだけど、ずゐぶん中途半端な時期だねえ。1日付けとか、さういふ人事異動ぢやないのかね。それと第6章からの展開で、「山本」を追つてる、と言へば、岩切刑事もこれほど孤立しないんぢやないか。敢て喧嘩を売つてるやうに思へるんだけど。最後に森村誠一の解説のをはりのはう、「若い刑事・川喜田がつぶやく」その台詞はP240婦警の鳥居理香の台詞です。その台詞にある「勤勉実直」は四字熟語なのだらうか。謹厳実直といふ四字熟語は知つてるが「勤勉実直」は知らない。試しに広辞苑と岩波国語辞典で調べたが、「勤勉」に「実直」を続ける例はないが、「謹厳」には「──実直」の例が挙げられてゐる。

2009-10-29

ずゐぶんまへに、20代に集中的に読んだのが鮎川哲也、そして佐野洋、結城昌治だつた。佐野洋、結城昌治はハズレがない。鮎川哲也にハズレがあるといふ意味ではないが、本格ものに限らないところが違ふか。佐野洋の「幻の殺人」新潮文庫(228・used)を読む。5編の短篇が入つてゐるが、どれもその後長篇化されたものだと「あとがき」にも「解説」にもある。「光の肌」と「無効試合」は読んだやうな気がする。連続殺人、時刻表トリック、アリバイ崩し、密室トリック、ダイイング・メッセージなどに疲れたら読むといいかも。ミステリはそれだけぢやない。

2009-10-26

岡嶋二人の「ちょっと探偵してみませんか」講談社文庫(227・used)を読む。25の短いミステリ集で、読み手が推理して、南伸坊の証拠品のイラストが入り、作者の正解が出てゐるといふ形式。5分間ミステリだつたか、さういふクイズ、パズルに近いやうなものは本屋でもよく見かける。鮎川哲也にも「ヴィーナスの心臓」や「貨客船殺人事件」があるし、文春文庫にも16人の作家が書いた犯人あての推理短篇を集めた「ホシは誰だ?」といふのもある。岡嶋氏の作品はたぶんこのブログを始めてからでも「チョコレートゲーム」を読んだし、だいぶまへ、さうだなあ、岡嶋二人がコンビを解消した頃?する頃?何冊か続けて読んでゐるのだが、ハズレの少ない人で、この25篇のミステリも旨いものをちよつとづつ食べるやうな、そんな楽しい本だつた。

2009-10-20

矢鱈と評判が高い貫井徳郎を読んでみた。ちよつとまへまではデビュー作の「慟哭」が結構何冊もBookOffに105円で置いてあつたのに、探し始めたら見つからない。止むなく状態のよかつた「ブリズム」創元推理文庫(226・used)のはうを読んだ。一言で言へば、達者な人だ。4つの章に分かれ、それぞれ語り手がかはる。しかも、まへの章で怪しいと目された人物の目から見た事件といふ作りになつてゐる。アントニイ・バークリーの「毒入りチョコレート事件」(未読・創元推理文庫)を手本に更に工夫を凝らした、といふことのやうだ。些細なこと。P223でK氏は山浦先生にどうやつて電話をしたんだらう。デパートでお茶を飲んだ程度で、例へば携帯の番号の遣り取りなんかしないでせう。1週間後に一緒に食事はいいけど、学校には電話できない。クラスの名簿には担任の連絡先は出てるだらうが。そんなことは当り前なんで書かないのか。それと誰が真犯人であるにせよ、チョコレートに睡眠薬を入れる方法が判らないのだから、……オレだけが判らないのかな?文章の横に強調するやうに「ヽ」が打つてある文が幾つもある。ページ番号だけ順に挙げる。P85,103,133,134,138,142,150,210,269,278。なんでなのか。もう一度読む機会があつたら、考へてみよう。

2009-10-19

ジョナサン・キャロル/浅羽莢子訳「パニックの手」創元推理文庫(225)を読みをへたのは一昨日のことだ。11の短篇がはいつてゐる。最初の「フィドルヘッド氏」。ああ、かういふ小説を書く人なんだ、と。ファンタジーと言ふんだらうね、かういふ展開は。で、次の「おやおや町」。これは長くて読むのに時間が掛かつた。その次の「秋物コレクション」が一番好きだ。全部に言へること。書き出しの軽妙さ、言ひまはしにも工夫がある。比喩は凝つてゐるけど、嫌味な感じもなく、クドさも鬱陶しさも感じなかつた。短篇だけぢや判らないが、サキとか、ロアルト・ダールとか、似てるかも知れない。それよりもオレは村上春樹に似てると思つたんだけど、ハズレかな。それとヴォネガット、カーヴァー、或はブローティガン。訳文が読み難い、と言ふか意味が取れないところがあつた。控へなかつたので挙げない。「フィドルヘッド氏」の中にこんなところがある(P20)ポルシェのことが書いてあつて、「〈風呂桶〉って呼ばれてるやつ」と。あとの文章も含めて考へると、たぶん356スピードスターのことだらう。しかし、これは〈バスタブ〉と呼ぶことはあつても、わざわざ日本語にして〈風呂桶〉なんて呼んでないと思ふよ、一般的には。

2009-10-15

フロストを読んで、警察小説の面白さを知つたせゐもある。佐々木譲「笑う警官」ハルキ文庫(224・used)がいい状態でBookOff朝倉店にあつたから買つてみた。なかなか面白い。いや、かなり面白い。特にオレは諸橋警部補が死体発見現場のマンションから手懸りをみつけ、更に重要人物を特定していくところが堪らない。それと大詰めのところで駆け引きもテンポが早くてスリルがある。映画化され、続篇もあるやうなので、忘れなかつたら探さう。

2009-10-11

続けて津村秀介「時間の風蝕──こだま269号から消えた女」集英社文庫(223・used)を読んだ。解説が鮎川哲也だつたから。本の状態はあんまりよくなかつたけど、まあ、105円なら仕方ない。中身はまへに読んだのよりもずつと面白く読んだ。地味だけどね。殺人事件は解決したが、その動機になつた2億を超えるアノード板盗難の解明が足りないかもしれない。佐伯警部補の言ふ通り、それは確かに石川県警の事件だけど。

2009-10-09

中町信が医療関係の出版社に勤めていた頃、机を並べて仕事をしてゐたといふ津村秀介の「能登の密室──金沢発15字54分の死者」光文社文庫(222・used)を読んだ。まるで東海林さだおのエッセイばりの行替へで、あつといふまに読めた。密室殺人とアリバイ崩し。文章が池波正太郎とか、時代小説風なのだ。うまく説明できないけど。なかなか面白かつた。最後の写真トリックは要らないんぢやないの?重箱の隅を1つ。雅江がスカートでもスラックスでも大丈夫なくらゐ革のコートは裾が長いのかね。そこまでは気にしないか。初対面の人たちであり、僅かな時間だ。手に特徴があるのは作り過ぎてない?

2009-10-03

なんと言へばよいのか。柴田哲孝「TENGUてんぐ」祥伝社文庫(221・used)。26年前の群馬県沼田市の寒村で起きた連続殺人事件の謎を追ふ、といふ設定なのだが、読み進むと解るが主人公の道平(みちひら)慶一は殺されかけてゐるのだよ。26年間も放つて置くかな。先づ、この26年間の空白がなぜかについて納得できる説明がない。読み落してたらゴメンなさい。なので、これは70年代の国際情勢、アメリカの状況、そして2001年9.11テロといふジャーナリズムの話題性を繋ぐための年月でしかなく、物語が止むなく26年といふ空白を生んだワケではない、と受け取れる。アウトドアのグッズ名称、バーボンや日本酒の銘柄などで人物の個性のやうなものを描きたいのかもしれないが、煩く感じる。生身の人間に起つた殺人事件だといふ印象が薄い。荒唐無稽だとするには、現実に寄りかかり過ぎてゐる。瀬名秀明の「パラサイト・イヴ」もさう、鈴木光司の「リング」その他もさう、これもさう、キングやクーンツ、トマス・ハリスなどの作品が翻訳され、消化不良になつてるんぢやないか。プルーストとか、ジョイスとか、アンチ・ロマンと似たやうなものかな。
ホントに些細なこと。P6、9行目「あすこしかない」。江戸弁かね。P102、8行目「杵柄慎一だった。真一は」。単純な誤植か。

2009-09-29

赤川次郎がクリスティの「そして誰もいなくなつた」の解説で名前を挙げてゐたP・D・ジェイムズ「女には向かない職業」小泉喜美子訳・ハヤカワ文庫(220)を読んだ。amazonのレビューでも評価が高いし、幾つかのミステリーのサイトでも褒めてるし、解説はもちろんだ。が、しかし、コーデリア・グレイといふ女探偵が一応は主人公だが、これは別の、例へばアダム・ダルグリッシュ警視シリーズの外伝、オマケのエピソードみたいなものではないか。描写が細かいのと言ひまはしに凝つてると言ふか、ハードボイルド的な読み易さはない。始めのはうで何箇所か意味が取れない記述があつた。例へば、P26の3行目「年配の人々というのは、どんなにひねくれた、あるいは衝撃的な意見でも受け入れるだけの能力を持っているように見えるのに、単純な真実を聞かされて気を悪くしてしまうのでは、包容力などはどうなっているのだろうとまたもや首をかしげた。」いま写しながら読んでも意味がよく解らない。尤も、この意味が解らなくても、ストーリーには関係ないのだが。それと漢字を敢へて平仮名表記にしてるのがあつて、逆に読み難い。題名は内容にぴつたりで、上手いと思ふ。話は面白いし、赤川氏の言ふやうに文学的かも知れない。でも、他の作品を読みたいとは思はなかつた。凝つた文章は意味が解り難いし、細かい描写は鬱陶しく感じるタチなのだ。さう、ケンブリッジの町並みなんか丁寧に描写されても、オレのイメージは文字を追ふ速度に着いて行けないのだ。
蛇足ながら、訳者は生島治郎のまへの奥さんで推理小説も書いてる人だ(確信がなかつたので、wikiで確認済)。

2009-09-20

なにごとにつけ、反対意見には耳を貸すようにしたいものだ。タバコはホントに有害なのか。それで以前「タバコ有害論に意義あり!」といふ本を読んだわけだが、今回は「スポーツは体にわるい」加藤邦彦・光文社カッパサイエンス(219・used)。ワイルドワンズの加瀬邦彦と一字違ひ!副題に「酸素毒とストレスの生物学」とあつて、まあ、要するに運動すると活性酸素が体内に多量に発生する──それにはビタミンC とE、βカロチンがいいさうだ──し、運動はストレスのもとである、といふことだ。成人病予防に運動療法なんてナンセンスだ、と。スポーツ選手は寿命が短いといふ例を出す。しかし、スポーツをするのと運動選手になるのとは同じぢやない。短いと言つたつて5〜6年の話だ。適度な運動といふ曖昧な、個体差のある話を寿命といふ基準で推し量るのが適当だと言へるのかどうか。目が覚めるほど新鮮な、コペルニクス的展開はなかつたが、一つだけ、人間の体内時計は25時間周期のリズムになつてゐる(P230)といふのは初耳だつた。かつての地球は自転にそれだけ時間が掛かつたからださうだ。

2009-09-16

R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳「クリスマスのフロスト」創元推理文庫(218)は抜群に面白かつた。帯にいろいろ書いてあつて、「英国ミステリの傑作フロスト・シリーズ」だとか、「このミステリーがすごい!」「週刊文春」ミステリーベスト10全作第1位」だとか、ゴタゴタ。かういふ風に書いてあるのは嫌ひなんだ。却つて敬遠してしまふんだなあ。これは性分だから仕方あるまい。もつと早く読みたかつた。フロストは全部読もうと決心したほどだ。P66でフロストが登場してからが特に面白い。なので、か、どうか、最初に出て来るパウエルの名前を忘れてゐた。辻褄なんかどうでもいいくらゐ、どつぷり話に浸かつて楽しんだ。正にフロスト気分、フロストになりたい気分だね。

2009-09-07

まへに読んだ赤川次郎の文庫(「ふたり」)のうしろのはうに、目録みたいに赤川次郎の作品が幾つか紹介されてゐて、そのなかにこの「真実の瞬間」新潮文庫(217・used)があつた。20年まへの殺人事件を告白し、その償ひをしようとする定年まぢかの会社重役とその家族。マスコミ批判はもつと痛烈でもよかつた。長女の智子とその夫に比べて、石元久子に救ひがない。読み易いのでどんどん読めてしまふが、なかなか重い内容である。

2009-09-03

出だしで躓き、あとまはしにしてしまふ本が結構ある。ロス・マクドナルドの「さむけ」小笠原豊樹訳・ハヤカワ文庫(216)もさうだつた。去年の暮れに買つたものだ。古い版のままなので文字が小さいのも理由の一つ。これに出て来る私立探偵リュウ・アーチャーはほかにも20作品に登場するさうだ。もう一度ゆつくり読みたいと思ふ。実によくできてゐると思ふ。ちよつと解らないところ──「22」P270〜278までは本筋とどう関はるのか見当がつかない──があつたが、そんなことは些細なことだ。ほぼ満点の面白さ。

2009-08-29

きのふ朔立木「深層」光文社文庫(215・used)を読み終へた。四つの小説が入つてるので、ひとつひとつ行くか。「針」は小説ではなく、ルポとして書くべきだと思ふ。責任の所在を明確にしたうへで、それぞれの医師が裁かれるべきであつて、末端の現場の医師が全ての責任をかぶる結末は感傷的であり、承服できない。「スターバート・マーテル」7人の幼稚園児を殺した男の元妻の手紙の形だが、元夫に対して自分を十字架に架けられたキリストの脇に立つ聖母マリアに準えるのだが、それでは殺人を犯した元夫はキリストといふことになりませんか。まつたく受け入れられない。こんなことをもし、ホントの殺人者の元妻が言つたとしたら、オレは被害者の親でなくても断じて許さない。「鏡」この教師、地獄に堕ちろ。なぜおまへは温々と生きてゐるんだ。「ディアローグ」それらしい話に過ぎない。類型的でさへある。誰も傷ついてはゐない。涙を誘ふ感傷的な言ひまはしはある──実際に涙を零しもしたが、感動には繋がらない。なぜなら、この浅さ、薄つぺらさは頭の中で人間や人生を考へてゐるからだらう。かうした小説の執筆は、恐らく勉強ができて、成績がよくて、それで法曹界に身を置く著者の余技に留めて頂きたいものだ。蛇足ながら、解説の長田渚左といふ人へ。ノンフィクション作家ださうですが、これらの小説に対して「通俗をひっくり返す美学」と言つてるけど、まつたく意味が解らないよ。通俗をなににひつくり返すといふことなのですか。またこれらの小説が著者の「死亡推定時刻」よりも「文学性も高いように思う」といふ失言、いや発言がありますが、そこに優劣があるのかどうか、またその根拠はどんなところか言はないと、なにも言つてないのと同じでせう。

2009-08-24

アガサ・クリスティ/長沼弘毅訳「オリエント急行の殺人」創元推理文庫(214)を読んだ。トリックは知つてゐたので読み難かつた。たぶん映画──ビデオを借りて見てゐると思ふ。ショーン・コネリーが出てなかつたかな。発想は素晴らしいですよ。「そして誰も……」も、さう。さらに「アクロイド殺し」も。しかし、古い。赤川次郎が「そして誰も……」の解説で触れてたけど、誰でも携帯電話を持つてる現在の生活では、起らない犯罪だね。訳も古くて(「訳者あとがき」が1959年9月)、P278の5行目「その前にまず、のんべんだらりと小田原評定と来る」なんて台詞をポワロの友人で国際寝台車会社の重役といふ設定のブーク氏が発言するんだ。「小田原評定」?──「いつまでたってもきまらない相談▷北条氏が豊臣秀吉に攻められた時、小田原城で、戦うか降伏するかの相談がなかなかきまらなかったことから。」(岩波国語辞典第三版)──ほかの言ひ方はなかつたのかね。日本人ぢやないんだから。まるで時代劇だぜ。1934(昭和9)年に出た本だからねえ。当時は気が効いてゐて、逆に斬新だつたのかね。

2009-08-22

こないだ、──でも、さう、お盆まへだ、休みの日に太田のBookman's Academyで見つけた新潮選書の──しかし、後でアピタとか文真堂とかで探さうとしても題名がはつきり思ひ出せなくて困つた──網野善彦の本がどうしても読みたくて、一度は太田イオンの贔屓の喜久屋書店で──さすが置いてあつた!──見つけたのだが、ちよつと表紙が汚れてたので店員に他には在庫がないか聞いたら注文することになる、といふ返事だつたから、いつかまた太田のBookman's Academyに行く機会があつたら買はうと思つてゐた「歴史を考えるヒント」(213)を17日に手に入れ、けふ読み終へた。まだまだたくさん知りたいことがあり、それには当然たくさん勉強しなくてはならないことがあり、そのためには、かうした本が必要なのだよ。興味を持てる本。ふむふむ、面白さうぢやないか、と思へる本が、さ。日本が「日本」と名乗つたのはいつからか。網野善彦なら当然触れなくてはならない、触れるであらう「百姓」とは誰か。いまと全く違ふ言葉の意味や使ひかたには驚くし、さうした言葉の理解のうへにたつて歴史の読み解きがある、といふ意見は寧ろ、その入り口でもいいから義務教育のうちに知つてゐたら、歴史に興味を持つ子どもはきつと増えるに違ひない。歴史に限らず、数学も物理も、美術も音楽も、オレが苦手だつた体育でさへも、興味を持てなくなるのは教へかたに問題があるんだ、と、つくづくさう思ふ。教師個人の場合もあるだらうし、学校全体、教育委員会、教育指導要領、文部科学省が、実はなんにもわかつてない、と言ふか、子どもだつたことを忘れちまふタイプの大人なんだらうな。

2009-08-16

「てとろどときしん」(これは短篇集)を読んでから、直ぐにクロマメ・コンビの「二度のお別れ」、「雨に殺せば」(この二つは長篇)と続けて手に入れて読んだ黒川博行の同じシリーズ「八号古墳に消えて」創元推理文庫(212・used)読了。面白いなあ。最近はハードボイルドつぽいのが多いみたいだけど、クロマメ・コンビの謎解きシリーズが好きだ。丁寧に書かれてゐるので安心して読めるし、このコンビのやりとりの面白さは、ついもつと読みたくなる。お薦め品だ。

2009-08-10

その赤川次郎が解説を書いてゐて、こんな小説を書きたいといふ目標だと言つてるアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」清水俊二訳・ハヤカワ文庫(211)を読んだ。ミステリ好きの癖にまだ読んだことがなつたのか、と言はれるかも知れないほど、有名な、題名くらゐは聞いたことがある作品──なので、敬遠してゐた面もあるが、一気に読ませる。インディアン島に集められた人々が、10人のインディアンの童謡に合せて、次々に殺されて最後には誰もゐなくなるといふ、題名通りの、説明するまでもない内容だ。謎解きとトリックの説明がエピローグのあとに付された「漁船エマ・ジェーン号の船長からロンドン警視庁に送られた告白書」の形で書かれてゐるのは、構成のうへでやむを得ないにしても、ヴェラ・クレイソーンの死に方、そして真犯人の動機が10人も殺しつづけるには無理がないか。
蛇足ながら、このハヤカワ文庫は普通の文庫より少し縦が長いので、しまふのに困る。なんでこのサイズにしたのかな。買ふとき躊躇つたんだけど、創元のはうには訳がなかつたので、仕方なくこつちにした。

2009-08-05

いやあ、素晴らしい。実にいい話だ。娘の誕生日のプレゼントの一つだつたのを、読み終はつたら貸してくれ、と頼んで置いたのだ。ネットで小学校高学年の女の子にお薦めの本を検索した中にあつた。──赤川次郎「ふたり」新潮文庫(210)。小学生にはちよつと微妙に解らないところもあるだらうが、殆ど無理なく入つて行ける。このトシでも目頭が熱くなる場面が何度もあつて、それは寧ろこのトシになつたからかな、とも思つたりもした。どうせ金がなくて何も買へないだらうから、と気をまはし、上の子からのプレゼントにした積りが、あいつはあいつで紙の筒に何十本も入つた色鉛筆とスケッチブックをセットで用意してゐたから、それならそれで予め言つといてくんないと、こつちの立場がないだらうが、……。これ、大林宣彦が映画にしてるんだ、つて。知らなかつた。見たいな。

2009-07-15

一昨日、矢作俊彦「スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行」新潮文庫(209・used)を読み終へた。イラストは矢作氏本人。達者です。

2009-07-03

「眞相箱」といふのがあつたさうで、櫻井よしこの「GHQ作成の情報捜査書『眞相箱』の呪縛を解く」といふのを読んでゐる。わたしたちがさう教はつた、いや、誰かからさう教へられたと信じ込まされた事柄について、真珠湾攻撃、東条英機が一番悪い、原爆は戦争終結のために落された、などなど、実はGHQの情報操作だつたといふ実例が次から次へと暴かれる。5分の2くらゐ読んだところだ。それと矢作俊彦の「スズキさんの休息と遍歴」が3分の1くらゐ。この2作はちつとも捗らなくて、「静かなるドン」とか「教科書にない」とか「日本一の男の魂」とかコミックばかり読んでる始末だ。

2009-06-18

「Monster」については、ヨハンとアンナは5歳くらゐでヴォルフ将軍に助けられ、ヨハンは511キンダーハイムに、アンナは別の施設で過ごし、リーベルト夫妻が引き取る1985年まで過ごした、といふことで納得しよう。キリがないから。絵はうまいと思ふし、設定は面白いのだが、まへにも書いたかも知れないが、顔の描写、書き方がいま一つ好きになれない。
それにしても、エヴァはこの物語の中で唯一人間らしい人物だね。気持ち悪い顔になつてるときもあるけど。

2009-06-17

「その後でいろいろあつて2人とも失踪する」のは双子のことで、Dr.テンマは含まない。テンマの年齢もはつきりしないが、1996〜97年に20年近くまへに大学生だつたといふ話(Dr.ギーレンの回想5巻P17)が出るので、1976年頃に20代前半だつたことになる。双子が三匹のカエルの家から出て、──それはバラの屋敷で46人が死ぬ事件の直ぐあとなので、これが1981年頃だ(ヴォルフ将軍が死の床で14巻P130)といふから、1986にリーベルト夫妻の養子になるまでの時系列的な流れと年齢がよく解らない、とまへに書いたが、序でに気づいた点を挙げると、シューバルトの実の息子だと解つたカールは7巻P38〜41で里親と養子縁組?の約束をしてるのに、シューバルトの息子として生活してるが、どうなつてるのか。見落としてるのか、読み落してるのか。さういふことは何度かあつて、例へば、カールの母親もヨハンが殺したの?──カールの母親と一緒に暮らしてたらしいから、さう思ひ込んでゐたが、18巻P226でヨハンとアンナの母親が登場するから違つてた、とか。Dr.テンマが逮捕され(12巻P160)、テンマを助けようとする患者たちの話があつて、同じく12巻P192でジャン・ギャバンに似た顔のDr.シューマンが出て来るのだが、今回の再読で、この挿話がどこだつたか(3巻P131第6章)、この巻=12巻を読んでゐたときには思ひ出せなかつたくらゐたがら、あれこれ言つてることも実は見落としに過ぎないのかも知れない。テンマが好きだといふサンドウィッチの種類がどこかに出てゐて、確かそれがディーターがニナに食べろと勧める場面だつたが、どこだつたか解らない、見つからないなんてこともザラだ。
ところで、グリマーの墓に1954-1998とあつて(18巻P214)、この物語の現在時は1998年だと解り、凡そ3年間のドラマなのだな、と了解するのだが、グリマーは30年まへに14歳、511キンダーハイムに入つたのは7,8歳で1963年だつたと自分の口から言つてる(11巻P152)ことで、微妙に人間関係が覚束なくなるのだ。18巻P117で、ヴィム少年がソファーに寝かされたグリマーの傍らで、本人から聞いた話としてアドルフ・ラインハルトといふ友だちの名前を出す。そのベージの前後でルンゲ警部と争ふロベルトの口から、施設(511キンダーハイム──1985年に施設は焼失)を出た自分のまへにヨハンが現れて、彼は自分があたたかいココアが大好きだつたことを思ひ出させてくれたと語るだが、カレル・ランケ大佐とグリマー、Dr.テンマの三人での話(11巻P152)から、実はロベルトがアドルフ・ラインハルトであり、カレル・ランケ大佐の甥=妹の子どもであらうと推察出来るる。するとロベルトとグリマーはお互ひに記憶があるかどうかは別にしてもほぼ同時期に511キンダーハイムにゐたのではないか。ヨハンはどうやつて、グリマーがやつと思ひ出したやうな、そして本人もそのときに漸く思ひ出したやうなココア好きの嗜好を知り得たのか。偶然か。ヨハンとロベルトは20歳近く年が離れてゐる。いつヨハンが現れのか不明だが。──それよりも、3巻でテンマが出会ふディーターといふ少年を引き取つて育ててゐたハルトマンの家でディーターは511キンダーハイムにゐた子どもたちの写真を見たことがあると言つてる場面があつたのだが、何巻だつたかいまは思ひ出せないが、もしさうなら、グリマーもロベルトもヨハンもディーターは解るのではないか。

2009-06-15

全巻セットで売つてしまふつもりでゐた浦沢直樹の「Monster」(全18巻)をホームズの後で4日くらゐ掛けて一気に読み返した。まだ売らないで手元に置かう。幾つか気になることが出て来て、──それだけ雑に、いい加減に読んでゐるのだらう。やつぱり全体としてスッキリしない。時間の流れが特に呑み込めない。1986年にドイツのデュッセルドルフにある病院でヨハンとアンナ(双子)はDr.テンマに会ふ。それが物語の始まり。が、その後でいろいろあつて2人とも失踪する。そのとき10歳といふことになつてる。といふことは1976年生まれだ。1985年に511キンダーハイムといふ孤児院が焼失。そこにゐたヨハンと、別の地区の孤児院にゐたアンナ=ニナはリーベルト夫妻に引き取られるのだが、後の巻で、この双子の兄妹が1981年に生まれたといふ話が出てくる。それだと5年ズレちやふ。三匹のカエルの看板のある家が火事になつて、そこから2人は逃げて彷徨ひ、そこを救はれ、その後でヨハンは511キンダーハイムに行くのかい?カエルの家の火事がいつなのか、特定出来ない。
9年後の1995年にデュッセルドルフでヨハンとDr.テンマは再会する。その辺りは解る。その先は辿れるのだが、10歳になるまでのことがよく解らない。他にもある。それは明日以降に持ち越し。眠い。

2009-06-10

やつと「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」コナン・ドイル/延原謙訳・新潮文庫(208)を読み終へた。ホントにどこが面白いんだらう。あと短篇集を2冊残すのみ。年内達成を目標に。

2009-05-29

「目白雑録3」朝日新聞社(207)読了。団塊の世代と呼ばれる人たちがビートルズ世代だつたと勘違ひしてゐると、寧ろ団塊の世代にとつてビートルズはそれ以前のアメリカン・ポップスの甘美なメロディをぶち壊した奴らだつた筈だ、と正しい記憶で言つてるのは亀和田武だけだと書いてあつたのはどこだらう、と探したがそれは「2」のはう(P184)だつた。
「3」には芥川の「歯車」の話があつて(P180)、それは飛蚊症ではないかと言ふが、それはオレにも思ひあたる。過労(滅多にないが)や寝不足(これも殆どない)が続いた20代半ばの頃に奥眼窩神経痛と診断されたことがあるが、そのとき、見てゐるものの一部が水で滲んだやうに見え、それが輪のやうになつてゐたりもして、芥川の言ふ歯車ツて、これぢやないか、と思つたものだが、どうやら飛蚊症らしいや。いまでもほんとにたまに、水で滲んだやうに見えることがある。さういふときは自覚がないだけで大抵疲れがたまつてゐるときだ。オレもいづれ網膜剥離になるんだらうか。
つづけて金井美恵子の「目白雑録3」を読んでゐて、あと50頁くらゐのところで気が乗らなくなつたのは、癖のある人の書いたものだから、気楽にほいほい読めない。読み易いんだけど。網膜剥離で手術したなんて知らなかつたなあ。尤も、マスコミから騒がれるタイプの人ではないし、な。村上龍とか、けさの新聞広告で「7年ぶりの大長編小説」を出した同姓春樹──またベストセラーになつて印税ガッポリ稼ぐんだらうなあ、まへに読んだ「寝ながら学べる構造主義」の内田樹は村上春樹が好きみたいだね、どうでもいいけど──とかなら違ふけど。
なので、鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」を引ツ張り出して、「聖徳太子はだれですか?」「謀叛の動機はなんですか?」を拾ひ読みしてる。なんでか、と言ふと、聖徳太子は実在しなくて、あの、教科書の絵もウソで、……といふのを思ひだし、どこにそれが書いてあつたか、鯨統一郎だつたよなあ、とたどり着いたワケだ。面白いけど、やつぱりこれはミステリーぢやないでせう。小説としてもスカスカで、骨組みだけで書かれてる。人物もほぼ同一人物。映画もB級扱ひされるのに惹かれるはうだから、ガチガチの判官贔屓なんで、それはそれでいいんだけど、小説としては歯応へがない。「維新が起きたのはなぜですか?」まで読むか。

2009-05-22

こないだ大泉町立図書館から借りて来た金井美恵子「目白雑録2」朝日新聞社(206)を読み終へる。サッカーの話題が多いのに付いて行けない。スカパーで見てる、ツていふんぢや、かなはない。「灰かぶりキャベツ、その他」の群馬弁で笑つた。

2009-05-21

ブラウン神父の話をちよつと。「ブラウン神父の童心」が最初の短篇集で、第1話が「青い十字架」。その冒頭のところで躓いた。(恐らくロンドン)港に着いた船を降りた大勢の乗客の場面で、かう書いてある──「この人ごみのなかにまじっていると、すこしも目だたなかった」。なのにその直ぐ後で「目だたな」い人物の服装が「晴れ着のようにはでな服装」。はてな?と思ふでせう、これには。それから更にかう説明する──「うすねずみ色のほっそりした短い上着、白いチョッキ、それに地味な黄色のリボンがついた銀色の麦わら帽子」だよ。目立つでせう、こんな恰好してたら。ジョークなのかね。

2009-05-19

なんだ、かんだと不平を言ひつつ「名探偵コナン」を10巻まで読んでしまつた。新田たつおの「静かなるドン」も12巻まで、「ギャラリーフェイク」も9巻まで読み進んでしまつた。なのに一昨日図書館から金井美恵子の「目白雑録2」と「目白雑録3」を借りてしまひ、滅茶苦茶だなあ、頭の中が。

2009-05-18

それからなにを読まうか物色してたら、さうだ、ホームズの短篇集があと3冊残つてるから、取り敢へずいまのところはそれでも読んでホームズを片付けちまふことにしたのだが、なにせ30年くらゐまへに、ホームズの文庫ぜーんぶ下さいな、つてんで買つたものだから──ほかに007とブラウン神父シリーズが揃つてゐて、007は2冊読んだのかな、いまひとつ乗り切れなくて、ブラウン神父は最初の1篇で躓いて、理由は後日──兎に角フォントのサイズが小さいし、焼けて紙が黄ばんでたり、文字のインクが消えさうだつたり、更にこれらの文庫はぜーんぶ延原謙訳なんだけど、これがさあ、言つちやあ悪いが、チョンマゲの時代劇かよ、みたいな言ひまはしがあるんだ、時々、なので、ホームズものつて一体どこが面白いんだろ、と思つてるんだけど、ここまで読んだんだから修業のつもりで最後まで、……で、最初の「四つの署名」から数へると、もう5年以上掛かつてるんぢやないかな。書かれた順に読んで来たから、ご丁寧にも。
──で、この「ホームズ最後の事件」、ちつともワクワクするところがない。でももう少しだ。

2009-05-04

かうして矢作俊彦「ららら科學の子」文春文庫(205)読了。なんて中途半端な話なんだらう。なのに、なんて充実してるんだらう。人生の途中をそのまま切り取つてみせたら、こんな風になるしかないだらう。一度も姿を表さない志垣にしても、一体なにを生業としてゐるのかよくわからんし、妹とも電話で話したきりだし、女子高生はそもそもどう関はつてるのか、奥さんはなぜ家を出たのか、さまざまな事柄が説明不足で納得できないまま、最後まで読んでしまふのだ。つまり、これは小説だ。虚構なのだ。スカスカの、辛うじて形を保つてゐる狭くて薄暗い舞台装置の中で、顔のない人物たちがそれぞれの役割の名前をぶら下げて動いてゐる芝居のやうなもの、或は作中でも触れられるクーブックの映画「博士の異常な愛情」さながら、一人の役者が複数の役をこなしてゐるやうなものなのだ。なのに、面白い。

2009-04-30

実は矢作俊彦の三島賞受賞作品(なんてことは中身とは一切関係ないけれども)「ららら科學の子」を面白く読み始めてゐたのが180頁くらゐで話がなかなか展開して行かないので2日3日積んどいてるあひだに、Amazonで買つた鈴木孝夫「言葉のちから」文春文庫(204)を読みをへた。ざつと言へば、いま日本は世界のトップ3(アメリカ、EU、日本)の中にゐるのに、歴史的にこれまで他国に追ひつけ追ひ越せでやつて来た(始めは中国、明治からは独仏英、敗戦後はアメリカ)体質がかはらないから、国内外でいろんな問題が起つてゐるのだ、と。アメリカから学ぶための英語なんて方法は国際社会での日本の立場を考へたら、時代錯誤であり、アメリカにはもう学ぶものは何もない、いまは寧ろ日本の良さ、日本的パラダイムを海外へ向けて発信する手段としての英語教育が必要だ、といふやうな話。ほぼその繰り返しで、講演を元にしてゐるから読み易いのはいいが、繰り返しが多いのが堪らん。

2009-04-15

残り40頁、No.56からは一気に読んでしまつた。トマス・ハリス/菊池光訳「羊たちの沈黙」新潮文庫(203・used)。犯人探しが中心ではないから、前作「レッド・ドラゴン」同様に物語の中程で犯人は登場する。そこから追ふ側の主人公たちとの距離がどうちぢまつて行くかで、どんどん盛り上がる。更に今回はレクターの逃亡といふ思つてもゐなかつた展開が入るし、その場面も臨場感がある。これを書くためにどれだけの資料を集め、読み込んだのだらう。そこから実際に人物が動き出すまで、やはり7年といふ年月が必要なのだらうか。クラリス・スターリングがジュディ・フォスターの顔と重なつてしまひ、閉口した。それとアンソニー・ホプキンズはオレの中ではレクター博士ではない。

2009-04-13

愈々、「羊たちの沈黙」が終盤に入つた。残り140頁。レクター博士が逃亡、キャザリンの命は助かるのか。一気に最後まで読みたいんだけど、読み終はりたくない。映画をレンタルで借りて見てゐるんだけど、覚えてないなあ。

2009-03-23

トマス・ハリス/小倉多加志訳「レッド・ドラゴン[決定版]」上下・ハヤカワ文庫(201.202・used)を読み終へた。期待をしすぎたのか下巻がそれほど面白くなかつた。事件は解決し、最後のドンデン返し──ちよつとは予想し期待もしてゐた意外な展開──はあるのだが、読んでゐていまひとつ盛り上がらなかつた。その最大の原因は、ジャコビ家とリーズ家の家族たちがどんな風に殺害され、その魅力的な主婦たちがどんな陵辱を受けたのかといふ曖昧な部分が放置されてしまふからだらう。確かにあまり具体的になるのは下品かも知れないね。時間を掛けて丁寧に書いたんだらうなあ、といふことは伝はる。そして恐らく実際には倍くらゐ書いたものを相当削つて、絞り込んでゐるのだらう。犯人の境遇についても、心理分析みたいな真似をしないところはいい。これは犯罪そのもののミステリよりも、推理し、捜査する側のミステリのはうが複雑だらう。ハンニバル・レクター博士といふ存在を受け入れ、ウィル・グレアムといふ人物の存在を疑はないことで成立してゐる。どんな小説もさうだ、と言へばさうなのかも知れない。が、これほど特異な人物が2人も登場するわけで、しかもこの設定は奇妙なのだよ、実は。過去に逮捕し、瀕死の重傷を負はされもした異常犯罪者に現在探してゐる連続殺人事件の犯人像を聞きに行くなんてことは現実にはしないだらう。読んでるあひだは、ちつとも不自然には感じないんだけど。レクターに聞きに行かなくても、グレアムは犯人を特定できたのではないだらうか。普通のミステリとしては、それで充分。

2009-03-16

トマス・ハリスのハンニバル・レクターのシリーズをなんとなく全部読んでみようといふ気持ちになつて(恐らくただの蒐集癖なんだらうが)、「レッド・ドラゴン」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」「ハンニバル・ライジング」と揃へたのは去年の11月から12月にかけてで、もちろんBookOffで105円のものを探したのだが、本を読む気になれなかつたりしてたのでいまごろになつてしまつたが、きのふ漸く「レッド・ドラゴン」の上巻を読み終へた。バンザーイ!! なんて面白いんだ。途中でやめられなかつたぜ。早く下巻を読まなくちや、こんなこと書いて場合ぢやない。

2009-03-14

ざつと読み返し、納得できないところがどうやらわかつた。警察が捜査を始めてゐながら、関係者の捜査、アリバイ捜査が緩過ぎるのだ。どんな視点で書かれてゐても、警察は捜査してるわけだから。ほぼ一箇月のあひだに5人も殺される。しかも、毎日のやうに殺人が起るのではないのだ。警察はなにをやつてんだ、と言はれちやふね、間違ひなく。さういふ現実感が足りない。
コナンを見たあとだつたか、娘が結構推理ものが好きなので、ときどき小学生でも読めさうな、エッチな場面やグロテスクなところの少ないヤツを探してるのだが、こないだ中町信の「推理作家殺人事件」を読み返さうと思つたのは、そんな感じで見繕つてたときだけど、これにはちよつとエッチな場面がある。多門耕作シリーズほどではないけど。これはまるまるクリスティの「アクロイド殺し」(これは見事です、途中で気づく人が多いと思ふ)だつたけど、なーんか腑に落ちないと言ふか、すんなり騙された気にならないんだなあ。まへ読んだときもさうだつた。なんでだろ。中身は思ひ出したので、もう一度、その辺を読み直さうか。

2009-02-28

長嶺超輝「裁判官の爆笑お言葉集」幻冬舎新書(200・used)読了。爆笑するやうな発言はないのに、なんでこんな題名なんだろ。確かに一番最初に出て来る「死刑はやむを得ないが」「長く生きてもらいたい」といふ発言は、なに言つてんだ?と思ふけど。105円ぢやなかつたら買はなかつたらうが、まへに読んだ「裁判長、ここは懲役4年で……」よりはいいかな。

2009-02-22

一昨年の10月に亡くなつた打海文三の最後の小説「ドリーミング・オブ・ホーム&マザー」光文社(199・used)を読み終へた。「ロビンソンの家」を読んだばかりなので、人物の行動が一部交錯した。「時には懺悔を」から読み始め、テビュー作「灰姫」(絶版)と「裸者と裸者」「愚者と愚者」「覇者と覇者」の連作を除いて凡て読んだ。人物には幾つかのパターンがあるやうで、それを整理して分析するつもりはないが、例へば手塚治虫のヒゲオヤジみたいにあつちこつちに登場してゐる。背徳的でグロテスクで凶暴で甘美で幻想的でもある。音楽が「薄く」流れると書くのだ。低くでも小さくでもなく「薄く」と。

2009-02-17

打海文三「ロビンソンの家」中公文庫(198)を読み終へた。これは一気に2日くらゐですらすら読んでしまつた。要約すると面白さが零れてしまふ気がする。ラスト近くに従姉にまつはる出来事が主人公に伝へられ、香港へ向かう飛行機の中で終る。尻切れトンボで冒頭の整合性に欠けることはどうでもいいんだけど、映画で見てるなら受け入れてしまふだらう。なぜなら映画の時間は逆戻りできない。再び冒頭へ戻ることはない。記憶の中では戻れるし、昔の映画館だつたら、次の上映時間まで中にゐて頭から見ることもできたが、いまは一回の上映しか見られないから。しかし、本は違ふ。小説はもう一度頭に戻れるし、途中からでも最初に戻れる。先回りもできる(詰まらなくなるだけだから誰もやらない)。つまり、本を読む時間は戻れるといふこと。映画つていふのは見終はるまで戻らないし、戻れない。さういふ意味で打海文三は映画的だと感じるワケだ。この中にも映画への言及があるし、映画に深くかかはつた人らしく、殆どの作品が映画的なものを感じさせる。キングやクーンツが映画的だといふのとは違ふんだけど、序でにちよつと言ふと、ずこく具体的なところ。キングもクーンツも人物には必ず名前があり、服装や髪型、顔立ちなどについて実に細かい記述がある。例へば人物の顔がアップになれば、見る側にはその顔がみえてるわけだし、部屋なら部屋にあるインテリアについてカメラのやうに記述される。それが映画的だといふことで、これは映像的と言つたはうがいいかもしれない。構造にも映画的な印象があるけど、いまは説明できない。

2009-02-16

岩波新書のシリーズ日本近現代史①「幕末・維新」井上勝生(197)読了。学校の勉強をもう少しきちんとやつとけば、もつとすんなり頭に入つたのだらうね。いづれにしても、直感的に感じてた明治維新の立役者と呼ばれる人たちの俗物ぶり、野蛮ぶり、田舎者ぶりはほぼ当たり。朝廷の如何にも温室育ちの我が儘ぶり、取り巻きの公家の何様ぶりは知らなかつた。やはり幕府の役人たちは立派だつたのだよ。江戸時代のマイナスイメージは凡て明治維新以降に都合良く作られた幻想なのだ。いまも皇室の行事でなんとかの儀が執り行はれ、なんていふ記事が新聞に出るけれども、あれは何百年、何千年と続いた伝統的な由緒ある皇室行事ではなくて、その殆どが維新以降に作られた物だといふし。

2009-02-13

スティーヴン・キング「ドランのキャデラック」小尾芙佐他訳・文春文庫(196・used)を漸く読み終へた。面白い。人気があるのも当然だらう。クーンツもさうだが、ずゐぶん書き込むんだなあ、と思つた。日本だつたら、学校の作文同様に、もつと簡潔に書け、と言はれるだらう。趣向がそれぞれ違つてゐて楽しめた。さて、次は何から片付けよう。

2009-02-08

どうにもかうにも本が読めない、読み続けられない日々が続いてをり、読みかけが何冊か机に積んだままになつてゐるのだが、太田のイオンに行つたときに買つた、内田樹の「知に働けば蔵が建つ」文春文庫(195)を漸く読み終へた。内田樹の本は以前読んだことがある。「寝ながら学べる構造主義」といふ本だ。だから名前は覚えてゐて、立ち読みしたら面白さうだつた。もともとブログの記事だと書いてあるが、ブログの記事つて、書き捨てなんだよね。顔が見えない、顔のない文章とでも言へばいいのか。独り言みたいな感じで、自分でもやつてるから解るんだけど、ペラペラ喋るみたいに、あんまりじつくり考へないで打つてる。やつぱりそんな感じ。だから読めたとも言へる。中身についてはあんまり触れる気がしない。気が向いたら後で書かう。変換で苛立つので長く打ちたくないのだよ。……ところで、途中になつてるスティーブン・キングの短篇集「ドランのキャデラック」があと半分のところまで来た。初めて読むキングなんだけど、この展開の仕方はクーンツにも言へるかも知れないが、映画的だ。もつと上手い説明が思ひ付かない。読み終はつたら考へよう。もう一冊、キングと一緒にいつもカバンに入れて持ち歩いてる岩波新書の「幕末・維新」のはうは滞つてる。頭に入らない。幕府の人物名、朝廷側の公家の人名などが摑みきれない。実は同じところまで読んで一度滞り、また最初から読み始めたといふのに、この始末。どうする?もう一度始めから行くか。……といふ状態だといふのに、けふも小林賴子の「フェルメール──謎めいた生涯と全作品」角川文庫を見つけて買つて来てしまつた。一体どうするつもりなんだか。更に言へば、ヘンリ・ミラーの「マルーシの巨像」もクロード・シモンの「フランドルへの道」も、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」もオーウェルの「1984年」も途中だといふのに。しかし、小林賴子は日本でのフェルメール研究の第一人者だといふぢやないか。フェルメールとなれば、つい手が出てしまふよなあ。

2009-01-27

年が明けてから、まだ一冊も読み終へてゐないと思つてゐたけど、さう、森恒二の「ホーリーランド」全18巻・白泉社(177〜194)を読み終へてゐたのだつた。あれはハガレン21を読んでからだから12〜15日のあひだで、そもそもの読み始めは息子が読んでゐたのを借りたので、面白さうだなと思つたのは主人公の孤立感、居場所のなさ、といふ立ち位置が身近に感じた──息子も恐らく投影してゐたのだらう──からだ。館林のBookOffで最新刊の手前まで纏めて買つて読み進めたけれども、キングつていふ薬物に手を出す怪しいヤツが出て来たり、伊沢の過去とか遡つたりして──最初ら最後まで手元にあつて一気に読んでるワケぢやないから、ハガレンもさうだけど遡るとどうも話の前後が混乱し──長引きさうだつたので、新しいのが出ると息子が買つたのを借りて読んでゐたら、意外にも予告で18巻で完結するつていふので買つたのだが、オレの印象では神代がヤンキー狩りとして土屋とか伊沢とかショウゴたちとの戦ふために鍛え、傷つけ、傷つき、立ち上がる前半が好きだ。

2009-01-12

アルフォンスが二つの場所にゐる、つていふ話の続き。「ハガレン19」のP93。キンブリーが怪しまないか、と聞くウィンリィにアルは「大丈夫、兄さんがなんとかしてくれるから」と答へ、次の場面。エドの隣に鎧のアルが腰掛けてゐる。次頁4コマ目、マイルズが「行くぞ」と声を掛け、「アイサー」とアルが答へてしまつたのを次のコマ、エドに返事の仕方を窘められて次、中にブリッグズの兵士がゐる。で、次頁の始め2コマに出て来て、それ以降は現れずに、中に入つててゐた兵士の姿でP98の1コマ目に出て来て、その後ろにアルの鎧が描いてある。意味は解る。ただここまで整合性にこだはるなら、アルの鎧を錬成する場面があつてもよかつたかな、と。見落としたかな。だつたら、謝る。

2009-01-08

たぶん暮れだつたと思ふが、「鋼の錬金術師21」と「ホーリーランド18」(最終巻)が出てたので買ひ、「ホーリーランド」は息子に先づ貸して「ハガレン21」のはうから読んだのだが、忘れてるところが多くて、止むなく20、19と遡つて読み返してる。よくわからなかつたのがアルフォンスが別々の場所にゐて、どうやら片方は、といふのはエドと一緒に行動してるはうは他の人間が中に入つてる贋ものらしいと漸く呑み込んだのだが、その経緯がどこの場面で書かれてゐるのか探しても見つからないこと。それと「まだその日ではない」とホーエンハイムが言ふ、約束の日とやらが意外に近いらしい。それはつまり物語も終りが近いといふことか。ちよつと急いでゐる気がする。

2009-01-06

まだ酒井阿闍梨の本、なかなか片付ける気になれなくて、第一章「一日一生」の8篇をときどき読み返してゐる。いまはいろんな余計なことが頭にあつて、ヘンリ・ミラーに集中できないだらう。足踏みしてる。

2009-01-03

大晦日に「一日一生」は読みをはつた。しかし、どうも力を貰つた気がしない。読みおとしてる、読み違へてゐるところがあるんぢやないか。取り敢へず暫く手元に置いてパラパラと捲ることにしよう。さて次はヘンリ・ミラーの「マルーシの巨像」だ。1/3読んでそのままになつてる「フランドルへの道」、やはり途中で挫折してゐる「1984年」を読みきつてからにしたらどうか、と頭の隅で囁く声がするのだが、……。