2015-07-31

潜在光景

松本清張の「影の車」といふ連作短篇集の第一話。第二話「典雅な姉弟」、第四話「鉢植を買う女」の3篇を続けて読んだ。「潜在光景」は小説よりも映画のはうを先に見てゐるかもしれない。映画の題名は「影の車」になつてゐるが、内容はこの「潜在光景」だけを扱つてゐる。加藤剛と岩下志麻が出てゐて、この映画の岩下志麻は特に好い。それで原作を探してこの短篇集に辿り着いたのだと思ふ。映画をもう一度見たいけど、TSUTAYAにあるかなあ。

2015-07-26

607.働かないアリに意義がある

長谷川英祐・メディアファクトリー新書(used)。あまり聞かない出版社。副題として「社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係」とある。表紙の右下には更に「身につまされる最新生物学」とも。ま、さういふ蟻や蜂の生態について描かれた本で、タイトルが面白さうだつたから買つたが、生物学の記述はやつぱり頭に入らないね。特に繁殖に関するところ。働かない蟻がゐること、反応の早さに個体差があること、まるで人間とおんなじだね。身近すぎて笑へないよ。

2015-07-20

606.怪笑小説

東野圭吾・集英社文庫(used)。9篇の短篇集。ハヅレはなく、どれも面白く読みました。電車の中でのやり取りはサキのトモバリーを思ひ出した。一徹おやじの結末はちよつと予想がつきました。動物家族は一番力が入つてる感じでしたね。めづらしく最後に「あとがき」があつて、その中で科学に就いてのご意見、ちよつと素直に聞き流せないところがありました。それは別のところ(hiko7 News)で書きます。

2015-07-13

605. 女には向かない職業 2 なんとかなるわよ

いしいひさいち・東京創元社(used)。藤原先生の続き。先生の高校時代に始まり、小学校の先生時代、ミステリ作家になつてから、まで。

2015-07-11

604.女には向かない職業

いしいひさいち・東京創元社(used)。P・D・ジェイムズに同じ題名のミステリがあるが、女には「わたし」とルビがあつた。新書サイズ。小学校の先生からミステリ作家になつてしまふ藤原瞳さんの四コマ漫画。続きもある。

2015-07-10

603.趣味は読書。

斎藤美奈子・平凡社(used)。斎藤さんの本はどのくらゐ読んでるだらう、この本も買ふまへに持つてるんぢやないか、(例へば図書館で借りて)読んだことがあるんぢやないかと思つた。それならそれでかまはない、覚えてないんだから。2003年刊行の書評集。当時のベストセラーを取り上げてゐる。作者名すら知らない本、恐らく買つて読むことはないだらうと思はれるものが半分くらゐ。具体的には、茨木のり子「倚りかからず」、高森顕徹「光に向かって100の花束」、中島義道「働くことがイヤな人のための本」。書名を見たことがある、著者の名前は聞いたことがある、ほかの作品を読んだことがある作者もゐた。五木寛之「大河の一滴」や浅田次郎「鉄道員」(両方とも読んだことはありません)を始め、石原慎太郎、天童荒太「永遠の仔」、」村上春樹「海辺のカフカ」、宮部みゆき「模倣犯」、ハリー・ポッター・シリーズ、「五体不満足」「だから、あなたも生きぬいて」、「世界がもし100人の村だつたら」などなど。あとタレント本。面白くスラスラ読める。著者の言ふ、売れる本の条件を満たしてゐると思ふのだが。

2015-07-09

602.あずまんが大王 一年生

あずまきよひこ・小学館(used)。立ち読みで笑つてしまひ購入。夕飯食べてから読み始め、やめられなくて一気読み。高校生の話で、担任の先生と主に女子生徒の4コマ漫画。いちいち説明すんのが面倒、兎に角、笑ひツ放しだつた。絵がケロロ軍曹の吉崎観音に似てると思ふ。

2015-07-04

601.がんが自然に消えていくセルフケア

野本篤志・現代書林。これまでは作品数でナンバーを付けてゐたのだが、なんだかずゐぶん読んだ本が少ないやうな気がして遡つてみると、コミックなどは例へば「20世紀少年」とか「鋼の錬金術師」などは20冊以上あつても1作品として数へてゐたワケだ。何冊読んだかな、と振り返るとき、ちよつと寂しいので休みの序でに1冊は1冊として数へ直してナンバーを付け直した(上下巻に分かれたものは2冊、その代り10冊読んでも全巻読んでなければ0冊、再読はこれまで通り数に入れない)。ほぼ半日の作業でした。もつと早く終ると思つてゐたのに、Bloggerの不具合が3〜4回起こつてしまひ、作業が中断したせゐもある。因みにこの本はこれまで通りの計算では431冊目になる。
あまり期待はしてなかつたが、心の持ち方といふ意味では為になつたと思ふ。癌になつたことを契機に、これまでやりたくても我慢してきたことに取り組んでみよう、といふ気持ちになつた。なにがどこまでできるかどうかは判らないけれども。残された時間を充てたいと思ふ。
アンドルー・ワイルの本に出てゐることと重複する部分があるのだが、本文ではワイルの名前は一度も出なかつた。付録の特別対談P215で漸く対談相手の帯津良一氏が触れる程度。またワイルと親しい寺山心一翁(ワイルの「癒す心、治る力」のP168「誰もが神なんだ」によれば、腎臓癌が自然退縮した例としてあげられてゐる人)についても、本書の終り近いP195(「おわりに」を含め全222頁)で触れてゐる。まあ、そんなことはたいしたことではないが、本全体の印象だが、ちよつと信仰めいたものを感じ、引いてしまつた。
それは寺山心一翁氏のホームページでも感じたことなのだが、仏壇やお墓で拝むといふ標準的な先祖供養の気持ちしか持ち合はせないオレのやうな人間には、宗教集団のやうに感じられるのはなぜだらう。オレがひねくれてるのだらうか。まあ、素直じやない、天邪鬼かも知れないが。