2013-12-16

562.暗闇の終わり

キース・ピータースン/芹澤恵訳・創元推理文庫 (used) 。作者名は「木野塚探偵事務所だ」で知つた。訳がフロストの芹澤さんなので読みたくなつた。amazonで検索したら4冊中古で見つかり、どれも「非常に良い」か「良い」だつたから、思ひきつて全部買つてしまつた。いづれも主人公が「ニューヨーク・スター」といふ新聞の記者ジョン・ウェルズのシリーズで、これが第1作目。過去に一人娘に自殺された経験を持つ彼が、ニューヨーク郊外の町で起こつたハイスクールの生徒が3人続けて自殺した事件を取材に行くといふ話。ときどき比喩が鼻につくけど、なかなか面白い。同僚のランシングといふ若い女性記者が実に魅力的だし、ウェルズの人物像も好きだなあ。この人は他にもペンネームがある。弟と二人でマーガレット・トレイシーといふ女性名義で「切り裂き魔の森」といふのを出していて、これは1983年のMWA最優秀ペイパーバック賞を貰つてゐるさうだ。このウェルズのシリーズ(4作しかない)のあと、アンドリュー・クラヴァン名義で5〜6冊翻訳が出てゐるかな。そのうちの一つはクリント・イーストウッドが監督した「トゥルー・クライム」の原作(邦題「真夜中の死線」で芹澤さんの訳)になつてゐる。因みにこの原題はThe Trapdoorで、ウェルズの夢といふか幻覚の中に現れる。

2013-12-11

561.木野塚佐平の挑戦だ

樋口有介・創元推理文庫(used)。木野塚探偵事務所の2作目で、こつちは長篇。現職の総理大臣の死に絡む怪しい人物たち。総理の死は病死か他殺か。他殺なら犯人は誰か。そこそこ面白い。最後に来て、どうやら全体の仕掛けは桃世の仕業かと思はせるのだが、そこまで作り込まなくてもいいのではないかと思つたんだけどね。木野塚氏の奥さんが実に笑はせてくれる。あとがきで、三人称的視点と一人称的視点の混在がどうした、現在進行形の文体がどうした、といふ記述があるが、よくわからん。P108、7行目「ここは東京のどまんなか」。どまんなか、ねえ。

2013-12-10

御乱心

三遊亭円丈・主婦の友社(×2)。読みをへた本を整理してゐて、もう一度読む気になつたのは、あの騒動のとき、円生、先代円楽、そして志ん朝、談志がどんな風に動いたか、おさらひをしようと思つたから。これを読む限り、先代円楽は最低なヤツで、談志も身勝手、志ん朝がやつぱりカッコイイ。円生も芸一筋とはいへ、志ん朝に比べたら、やはり身勝手な人だ。その人の落語、噺の好き嫌ひとは必ずしも一緒にはならないが。P231、2行目の下のはう、「やはり三鈴協会」は「三遊協会」の間違ひだらうなあ。それまで「三鈴協会」なんて出て来なかつたから。

2013-11-29

560.木野塚探偵事務所だ

樋口有介・創元推理文庫(used)。岡嶋二人の「なんでも屋大蔵でございます」を思ひ出した。あつちはハードボイルドではないが。ユーモア・ハードボイルド連作5篇。続篇(長篇)と一緒に購入した。始めのはう、奥さんとのやりとりが実に面白い。P140、「しかしここは東京のどまんなかなのだ」。どまんなか、かあ。

2013-11-25

559.食卓の情景

池波正太郎・新潮文庫。鬼平(四)の解説を書いてゐる佐藤隆介といふ人がその解説で触れてゐた本である。この人、広告代理店のコピーライターを経て池波氏の書生をしてゐたさうな。いまどき書生も珍しいが、よほど心酔してゐたものと見える。この本の解説も書いてゐて褒めまくり。それはさておき。題名からも解るが食べ物を中心に昔の思ひ出が語られる。祖父、母、師長谷川伸のこと、親友井上留吉のことなどだ。子どもの頃の東京下町の風景や取材で出かけた京都の話、新国劇の話。それにしても健啖家といふべきだらう、池波氏、誠によく食べる。食べ物に興味がなければ作品にも食べ物の話は出ないだらう。

2013-11-24

558.「今はひとりがいい」というキッパリ!とした生き方

鴨下一郎・新講社(used)。なんとも長くて奇妙なタイトルの本なのだが、Book Offでウロウロ(鬼平を中心に池波正太郎、黒川博行の文庫を物色)してゐたら目について、読みたいと思つたのだ。なぜだらう、読み終はつたら、余計わからない。20日に読み終はり、「マーフィーの法則」と同じく読まなかつたことにしようと思つたほど、なにも書くことがない気がしてゐたのだが、ちよつと整理して置きたくなつた。なぜこの本を買つたのか、について。
要するに、自分がいま孤立無援の状態にあると勝手に思ひ込んでゐて、そこから一つ飛び抜けたい、乗り越えたい、さういふ思ひがあるのだらう。その手助けになるかもしれない、読むことで何かが見えるかもしれない、そんなところか。実際は期待外れだつたわけだが、恐らくこれは女性を対象にした恋愛や会社、友人などの対人関係の悩みへの心理学者のアドバイス本なのだらう。

2013-11-15

雨に殺せば

黒川博行・文春文庫(×2)。これには創元版があり、そこにはなぜ黒田憲造が黒木憲造になつたのか、といふ説明があるらしい。シェ・モアのママと黒さんがどうにかなつたらいいのになあ、と思ふ。

2013-11-05

二度のお別れ

黒川博行・創元推理文庫(×2)。なんとなく読み返したくなつたのはなぜだらう。黒マメコンビの大阪弁のやり取りが読みたかつた、黒川博行の本が読みたかつた、どつちでもいいことだ。読み返して、事件の内容は思ひ出したが、どんな風に書かれてゐたかは曖昧だつた。読み終へてから次の「雨に殺せば」も読み返さうか、と書き出しを読んだら、「二度のお別れ」によく似てるのだ。事件そのものは違ふけれども、主人公が帰宅して上司からの電話を受ける。「努めて平静な口調で喋ってはいたが、眼と眼の間がせまくなり、唇がへの字に曲るのまで隠す必要はなかった。」これがおんなじ。ここでは所帯持ちの黒田憲造、「雨」は独身の黒木憲造。ま、そんなことはどうでもいい。兎に角、黒マメコンビは面白いのだ。まへに読んだときにも書いたが、解説の人が言ふやうに最後はマメちやんの名推理で解決してほしかつた。

2013-10-25

557.鬼平犯科帳(五)

池波正太郎・文春文庫(used)。これは(四)と一緒に買つたのだが、正解だつた。次が読みたくて堪らなくなるのだ。因みにこれも新装版。「深川・千鳥橋」でも万三に金を渡してお元と一緒に籠で送り出すところなんか涙が出さうになる。男気といふのですかねえ、「狂賊」の九平とのやり取りとか、それから(四)で配下の佐々木新助への心遣ひとか、実にカッコいいのだよ、鬼平は。あー、ビデオで見たい、それも最初の、ほら八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)がやつてたのが見たい。二代目中村吉右衛門でもいいんだけど、……。

2013-10-20

556.鬼平犯科帳(四)

池波正太郎・文春文庫(387・used)。このシリーズの(一)だけ活字が小さい。続く(二)、(三)は運良く新装版で、これも新装版なので活字が少し大きくなつてゐる。年には勝てなくて、昔の活字サイズは読み難い。しかし、これは読み始めたら、途中でやめられない。例へば「5年目の客」の最後で平蔵がお基地をお目溢しにするところ、「血闘でおまさを独りで救出するところ、「夜鷹殺し」の最後で粂八たちに労をねぎらうふところなど、全くもつて鬼平はカッコいいのだよ。

2013-10-15

555.鏡の国のスパイ 灰姫

打海文三・角川書店(used)。手に入らないもの、と半ば諦めてゐたから探す気にもならなかつたが、amazonで検索したら古本が見つかつた。送料を含めても定価より少し安いので思ひ切つて買つた。状態はとても良かつたが、なかなか読めない。入つて行けない。最初のはう、P18くらゐまでで何度も挫折。誰が主人公だかわかんないし、符牒が飛び交ふ。読み難い。北朝鮮絡みのスパイ活動や情報作戦などの記述がちつとも頭に入らない。これは横溝正史賞の優秀作に選ばれた打海氏のデビュー作で、最後に作者のあとがきと選評が載つてゐる。強く推してゐるのは夏樹静子で、批判的なのは先日亡くなつた佐野洋。「はいひめ」と読んでしまふが「キム・チエヒ」と本文中にルビがある。灰姫はシンデレラかと思ふが、どう繋がるのか、無関係なのか、わからない。人物の関係も判り難いので、主人公に寄り添ふ恰好で物語に入れない。この次に「時には懺悔を」が書かれたワケだ、と思ふと、その後の作品を読んでゐるものにとつては貴重だ。

2013-10-09

554.愚行録

貫井徳郎・創元推理文庫(used)。どうしても「慟哭」と比較してしまふ。やりきれない部分は同じやうにあるんだけど、厭な感じがある。当然、冒頭の新聞記事と、扱はれる殺人事件の被害者をめぐるインタビューはどこかで交錯するんだらう、といふ予想はある。その収まり方が不快だ。解説もなんか的外れな気がする。証言者たちの発言は確かに愚かと呼ばれても仕方あるまい。それはまだ人々が愚かといふ貴い徳を持つてゐて、は谷崎だけど。作者はこの殺人事件も含めて愚行と言つてるやうに取れる。小説の中であつても、殺人を愚行で括るのは不遜だらう。「慟哭」に感服したので、貫井作品はついつい読んでしまふが、わたしにとつては未だに超えるものに出会はへない。

2013-09-30

552.553.ヴェロシティ 上下

ディーン・クーンツ/田中一江訳・講談社文庫(used)。なんとも強引な物語に思へる。読み始めはすんなり。が、読み進めるうちに何度も途中で止めようと思つた。最後まで読んだのは、「ストレンジャーズ」と「ライトニング」が面白かつたから、どう展開するのか期待があつた。この2作は感動的だつた。しかし、「ミスター・マーダー」は今ひとつ好きになれなかつたし、……。グロテスクなだけだ。最後のはうでバーバラに僅かに変化があり、希望の兆しは見えるけれども、なぜビリーなのか、動機や殺害方法の具体的な説明などがはつきりしない。意味がわからん。異常者の犯罪に巻き込まれた、といふことか。もう1作上下巻の、これより長いのを買つてしまつたのだが、読まずに棄てちやふかな、と思ふ。

2013-09-20

549〜552.サルチネス 1〜4

古谷実・講談社。遂に新刊で古谷実作品を購入。ずつとusedだつたので、申し訳ないな、と思つてゐたのだ。これまでとはちよつと違ふ。冴えない(と本人が自覚してゐるか、見るからに、と分かれるが)男子がかはいい女子にモテるといふ筋と絡む(殺人を含めた犯罪などの)残酷な世界ではないからだが、古谷作品は好きだな。始まりが実に滑稽でよかつた。

2013-09-19

548.新ナショナルキッド

丸尾末広・青林工藝社(used)。短いものが19篇収録されてゐる。一番長いのが「電気蟻」。絵は巧い。つげ義春と梅図かずおを足したやうなエロ・グロ漫画。頭が潰れたり、内蔵が飛び出したり。克明に細い線で書き込んでゐる。好みが極端に分かれるだらう。あまり好きになれない。コマが追ひにくいので、紙芝居にしたらいいんぢやないか。

2013-09-16

547.三人噺

美濃部美津子・文春文庫。サブ・タイトルが「志ん生・馬生・志ん朝」。志ん生の長女で、馬生、志ん朝の姉。1924年の生まれで存命。Amazonで見て、どうしても読んでみたくなつた。語りを活字にしたもの。両親の話から弟二人の話。この三人の落語をじつくり聞きたい気持ちにさせた。噺家としての精進のため44年間好物の鰻を断つた志ん朝の件りでは、知つてたことだけど、ちよつと貰ひ泣き。

2013-09-08

546.ハツカネズミと人間

スタインベック/大浦暁生訳・新潮文庫。新潮文庫は久しぶりな気がする。昔は岩波、新潮、角川くらゐしかなかつたから。とても時間がかかつた、僅か140頁の本なのに。途中で何となく予想がつく悲しい結末。真夜中のカーボーイもさうだし、アメリカ映画にはこの本に近いものがあるね。誰一人、救はれない物語だつた。カーリーの奥さんだつて夢があつたし、キャンディ爺さんにも、黒人のクルックスにも、勿論レニーとジョージにも。

2013-09-04

545.しのぶセンセにサヨナラ

東野圭吾・講談社文庫。これも娘の本。買うたままで読んどらん本かて仰山あるし、読みさしかてあるねんで、なんで娘の本読まなあかんねん、と(怪しい大阪弁擬きで)ぼやきつつ、続きがあるなら読まずにはゐられない。6篇収録。ミステリとしても面白いけれども、会話が更に磨きがかかり吹き出してしまふほどだ。もつともつと続きが読みたいけれども、あとがきに「作者自身が、この世界に留まっていられなくなった」のだから我慢するしかない。解説にもあるが、しのぶセンセと新藤刑事、本間義彦の関係はどうなるのかとても気になるところだ。

2013-08-29

544.浪速少年探偵団

東野圭吾・文春文庫。続けて娘の本を借りて読んだ。第一話の「しのぶセンセの推理」はデビューした翌年に書かれたものださうだ(次の「しのぶセンセにサヨナラ」のあとがきにある)。小学校六年の担任をもつ竹内しのぶセンセが事件解決に活躍する連作5篇収録の短篇集。ほかには大阪府警捜査一課の漆崎と後輩の若い新藤刑事、生徒の田中鉄平、原田郁夫、第三話でしのぶがお見合ひをした本間義彦が主な登場人物。会話はすべて関西弁、大阪弁である。会話が抜群に面白い。

2013-08-22

543.聖女の救済

東野圭吾・文春文庫。仕事から帰つたら、娘からのメモと一緒にこの本が机の上にあつた。面白いから読んでみて、といふ。確かに面白かつた。ガリレオのシリーズで、トリックを物理学者の湯川学が解くといふパターン。P384の終りのはうで内海薫がiPodで福山雅治の曲を聞く場面が出てくるが、読者サービスなんでせうか。2日がかりで一気に読んでしまつたのだが、これよりちよつとまへに読み始めたスタインベックの「ハツカネズミと人間」は148頁しかないのに「1」が終つたP26から先へ行けないのに、これは解説も付いてなくて424頁もあるといふのに、だ。

2013-08-12

542.日本語の古典

山口仲美・岩波新書(used)。amazonで購入。古本だけど状態はよかつた。日本の古典30作品を「日本語から見た古典」(プロローグより)として紹介してゐる。そこそこに面白く読めた。竹取物語のかぐや姫が実は月の世界で罪を犯し人間界へ送られて来たといふ話は高校の授業で習つたやうな気がする。特に読んでみたいとおもつたのは、枕草子と方丈記、徒然草、そして雨月物語。雨月物語は後藤明生の現代語訳を手に入れたので、いづれ読むつもり。P100の終りから3行目、中程に「なんと的のど真ん中に」とある。筆者は静岡の生まれと奥附に書かれてゐて、文学博士であり、現在明治大学国際日本語学部の教授ださうだが、「ど真ん中」はないでせう。(因みに浅草生まれの久保田万太郎の小説に「道のど真ん中」とあるさうだが、それで「ど真ん中」が東京言葉といふことの証左にはならないでせう。その頃から既に東京でも使ふ人がゐたといふことだらうね。)

2013-07-07

541.癒す心、治る力

アンドルー・ワイル/上野圭一訳・角川文庫
amazonから届いたのが'13.5.27で、 それから(尤も「シンプル・プラン」を1週間くらいまへから読み始めてゐた)すぐさま読み始めたワケだが、やつぱり1箇月以上かかつてしまつた。なんでワイルを読まうと思つたのか。そもそもの理由は非常に個人的なことなので書かない。
ニューエイジサイエンスと呼ばれるものが、70年代に流行つたのださうだ(このことも既に何度か触れてゐるので今後は敢てニューエイジサイエンス云々は書かない)。しかし、当時はまつたく知らなくて(なにしろロックを聞くことが日課であり使命でもあつた10代後半の少年に過ぎなかつたのだから)、「ニューサイエンティスト群像」といふ本を偶然館林の図書館で借りて読んで知つた。この本もどうしても欲しくなつて、この4月にamazonで中古を手に入れ1/3くらゐまで読んだところだ)。この本で百匹目の猿の話やグリセリンの結晶の話や1/fのゆらぎなど、いろんな面白い科学の話を知つたのだが、その中にアンドルー・ワイルの名前があり、プラシーボ効果と自然治癒力について書かれてゐた。代表的な著作「人はなぜ治るのか」のはうは単行本しかないらしく、時間がかかりさうな本は単行本では持ち運びに困るので文庫で手に入る、こつちから始めることにした。
たくさんの自然治癒の事例やワイル自身の実体験も語られてゐる。勇気づけられたし、受け入れなければ始まらないこともよくわかつた。中に出て来る腎臓癌を宣告され、癌が自然退縮したといふ寺山心一氏はホームページがある。興味があつたので閲覧してみたが、ちよつと馴染めなかつた。
これは酒井雄哉の「一日一生」やバッキーの本、ハイポニカの本などと一緒にいつでも手が届き、読み返せるところに置いてある。ときどき読み返してゐる。

2013-07-05

Required field must not be blank警告を無視

いきなり記事を記入しようとすると、上の表記がタイトル入力欄の下、左隅に出る。必須フィールドは空白にしてはいけない、といふ意味なんでせうね。しかし、「投稿タイトル」が必須だつたら、これまでなんで投稿できたのか解らない。なぜ今回、上記の警告が出たのか。
無視して「保存」をクリックしたら、文書が消えてゐた。
このブログの殆どがタイトルなしでいきなり本文に入るといふ書き方をしてゐるといふのに、いまになつて唐突にさういふ警告が出る意味が解らない。なにか設定をいぢつたり変更したワケではない。そんな面倒臭いことをわざわざしないよ。
日本語のユーザーがゐる以上、日本語で誰でも解るやうにしてほしい。手軽で簡単に始められたけれども、まへにも感じたが、日本語のユーザーには親切ではないね。
今後は以前のやうに投稿タイトルとして何冊目か解るやうにNo.と本のタイトル、本文の始めに作者及び訳者、出版社を書くといふやり方に戻ることにするよ。いつまでも、こんなことにこだはつてゐたくない。

2013-06-20

スコット・スミス/近藤純夫訳「シンプル・プラン」扶桑社ミステリー(540・used)漸く読みをへた。ほぼ1箇月かかつた。「ぼく=ハンク・ミッチェル」の語りで書かれる犯罪小説。ミステリと呼ぶよりも犯罪小説と呼んだはうが相応しい気がする。犯人の側から書いてゐるので倒叙もの、倒述ものと呼ばれるパターンだ。実に細かく書き込まれてゐる(エピローグを除けば、発端からほぼ3箇月の話で500頁を超える)ので、概ね好評な評価をする人は登場人物が少しづつをかしくなつて行く過程が見事に書き込まれてゐる、と言ふのだが、逆にこれほどの長さが必要だらうか、といふ疑問もある。以前見たDVDの感想を読み返したが、ほぼ同じ感想を持つた。特に終盤繰り返される殺人は非道い。身勝手なだけだ。読み応へもあつたし、丁寧に書かれてはゐるけれども、どうも教科書的な感想を持つてしまふのは性分なのでせう。スティーヴン・キングが絶賛したといふ話だ。DVDはもう一度借りて来て見たいと思つた。

2013-06-17

もう1箇月以上も更新がないのは、厚い本をほぼ同時に読み始めてしまつたからで、一つはスコット・スミスの「シンプル・プラン」(サム・ライミの映画をレンタルで見た記憶があります)扶桑社文庫、本文凡そ580P。もう一つはアンドルー・ワイル「癒す心、治る力」角川文庫、約450P。夫々、半分くらゐは読んでるのだが、普通なら半分くらゐだつて、充分一冊はあるからね。

2013-05-12

業田良家「執念の刑事」上下/竹書房文庫(539・used)そもそも業田良家の名前を記憶したのは、この漫画だつた。しかし、連載されてゐた漫画雑誌が本の後ろに書いてある掲載誌一覧を見ても思ひ出せない。調べれば解るのだらうが面倒臭ひ。植田まさし(新聞連載の「コボちやん」はどうしてあんなに詰まらないのだらう)の「フリテンくん」もほぼ同時期に読んでゐたから「月刊まんがライフ」だらうか。深夜だつたり早朝だつたり、飲み屋の帰り道、甘いものが食べたくなつて(だからブクブク太つてゐたのだつた)鶴生田川沿ひにあつた不思議な親父さんとその奥さんがやつてゐたヤマザキデイリーストアで序でに漫画雑誌を買つてゐたのだつた。もう30年近い昔の話だ。記憶にないキャラクターもあつたし、殆ど内容は覚えてなかつた。マリリンウーマンはどんどんかはいくなつて行くし、極悪非道の男とその娘は後の「独裁君」に繋がつて行くやうですね。高田パン店の親父さんとタクシー運転手は同じ人かも。執念を殺さうとする親分の名前が解らない。吉田刑事の口まはりは一体どうなつてゐるんだらう。父一徹の仏壇ネタはクド過ぎるよ。

2013-05-10

樋口有介「ぼくと、ぼくらの夏」文春文庫(538・used)この文庫の表紙、フジモト・ヒデトといふ人の絵で、これが好い。中身も充分面白かつた。テレビドラマか映画の原作としても読める。サントリーミステリー大賞の読者賞を受賞し、開高健とイーデス・ハンソンが強く推したといふエピソードがあるさうだが、そんなことは余計な話で、「ピース」もさうだつたが、基本的に巧い小説家なんでせうね。トリックはむづかしくはない。それよりも高校二年生といふ設定の主人公と女友だち、たがひの両親、級友たちや教師などの人間関係のはうが優先してゐる。特に会話は凝つてゐる。チャンドラー風といふ評をネットかなにかで見た気がするが、そのまま村上春樹ではないか。小生意気な主人公の言ひまはしは、もし身近に似たやうなのがゐたら、巫山戯るな、と怒鳴りつけるかもしれないね。具体的には冒頭で父親(刑事)から同級生が死んだと聞かされ、すぐそのあとで父親の腹具合を聞く。それが自殺らしい聞かされると「今年の夏があまり暑いので、生きるのが面倒くさくなったのだろう」と独白する。オレはこの神経には耐へられない。ムルソーだつて、こんなことは言はない。人の死に対して、かういふ態度、言動をする人間を許せないからだ。そんな建前道徳的な発言は白けるかもしれないが。これは全面改稿した新装版だと最後の頁にあり、そのせゐかどうか、主人公の名前が戸川春一であると解説には書いてあるのだが、何度か最初から確かめたけれども「戸川」は間違ひないやうだが「シュン」までしかなくて、「春一」と書いてあるところが見付けられなかつた。

2013-05-06

林信吾「イギリス型〈豊かさ〉の真実」講談社現代新書(537・used)一通り読んでみてイギリス型〈豊かさ〉といふのは福祉、中でも医療費無料(一部有料)のことを指してゐると思はれた。医療費が無料であれば病気や怪我のときに安心である。安心なことと〈豊かさ〉とは同じことだらうか。本文にもあるが、社会として、国として国民の生活を保障する責任、義務はある。福祉もその一つだし、大事なことだ。けれどもそれは精神的な〈豊かさ〉とは違ふやうに思ふ。といふのも、オレの語感では〈豊かさ〉としいふ言葉は心持ち、心意気として使ひたい言葉だから。

2013-04-27

山本直樹「フラグメンツⅠ/山本直樹著作集」小学館(536・used)。大きく二つの作品が入つてゐる。「雪子さん」に始まる、やや古風で(文学的と言ふか)幻想的なもの。「夕方のおともだち」といふマゾヒスティックな男の話。概ねエロ漫画と呼ばれるものだが、もつと助平なものを期待してゐたので、まあ、この程度のものかといふ印象。絵は好きだね。

2013-04-21

いがらしみきお「ガンジョリ」小学館(535・used)サブタイトルといふか、題名の上に「いがらしみきおモダンホラー傑作選」と書いてある。モダンホラーかどうかは解らないが、をかしな話、気味が悪い話ではある。短篇小説の編輯本などにある「奇妙な味」といふヤツに分類されるだらう。いがらしみきおは「ぼのぼの」で知り、休筆まへの4コマものを捜して読んだ、といふ経緯なのだが、ここでの絵はまたずゐぶん違つて見える。どれも面白いのだが、オレは「みんなサイボー」が一番気に入つてしまつた。

2013-04-17

中町信「浅草殺人風景」徳間文庫(534・used)どうしてかう、読んだ後の印象に違ひが出るのか。下の「悪魔のやうな女」では人物の印象が薄くて、話の筋を慌しく追つて行く骨組みだけの小説に思へた(専業作家になつて以降の作品には残念ながらかうした印象を受けるものが多い)のに、これは人物が生き生きしてゐる。浅草が舞台だから、といふわけでもないだらう。P16〜P17にかけて、浅草の三社祭の初日死んだ人物の名前がかはつてしまふので、誤植かと思つたら、さうではないことが読み進めるうちに解るのだが、これはもう少し説明を付けてもネタバレにはならないでせう。それともオレだけが、さう読んでしまつたのか。最後の真相の部分はもうちよつと書き込んでほしかつた。真犯人の心境とか、連続殺人の方法とか。この浅草のシリーズは2作しかない。まへの「浅草殺人案内」のときにも書いたけど、鮨芳は一体いつネタを仕入れに行くんだらう。河岸に行かなくても馴染みの業者があつて、届けてくれるのだらうか。

2013-04-14

中町信「悪魔のような女」ケイブンシャ文庫(533・used)久し振りの中町ミステリ。ここには生身の人間は一人もゐないと言つていい。肌のぬくもりもにほひもない。手品の人体轢断で血が噴き出したら、身も蓋もないのと同じやうに。登場人物たちは舞台の上でそれぞれ割り振られた役名の行動をし、台詞を喋る。その台詞は肝心なところで観客の目を惑はせ、読み手を誤解させるために用意されたものだ。手品のやうに。だから、手際の善し悪しが出来不出来になる。ここでは最初の事件で凶器に付いてゐた指紋の照合を、一度で済んだはずなのに容疑者がかはる度に繰り返される、といふ杜撰な捜査で辛うじて切り抜ける。アクロバットだね。これがダメな人は中町ミステリは無理。これは「殺人病棟の女」を改題したもの。プロローグとエピローグの意外性も少ないし、誤読への誘導も大きく軌道を外すことがない。日付と時間が書いてあるのだが、時間のはうの意味がよくわからなかつた。

2013-04-12

土屋秀宇「日本語「ぢ」と「じ」の謎」光文社知恵の森文庫(532)amazonで評判がよかつたし、興味もあつたので買つた。鼻血は「はなぢ」なのに地面は「じめん」と書くのはをかしいといふ話は面白いけれども、レビューの一人が書いてゐたやうに、おしまひのはう(第10章)は仮名遣ひとは直接関係のない話になる。著者が師と仰ぐ石井勲をめぐる漢字の学習法、教育法についての話が唐突に出てくるからだ。P196中程「あまりにかわいそうです(笑)」。講演の筆記でもないのに、一体どういふ神経か。巫山戯てるのか。国語改革の中心人物である上田萬年が主任教授を務めた東京帝大の「国語研究室」から上田とは全く逆の立場に立つことになる「広辞苑」の編纂者である新村出を始め橋本進吉(「古代国語の音韻に就いて」)、時枝誠記(「日本文法」)、山田孝雄が育つたといふ皮肉。森鴎外が歴史的仮名遣ひや漢字を減らす方向へ動かうとする当時の文部省への意見書は抜粋だが流石だと思ふ。いつそ日本語を止めてフランス語にしたらいい、などと寝言を言つた志賀直哉とは人間の出来が違ふ。国語をめぐる歴史を大まかになぞつた感じで期待外れ。

2013-04-05

伊達友美「飲んでも太らない秘密の習慣」青春新書(531・used)これまで読んだ伊達式ダイエット関連の本と重複するところもあるが、何度も繰り返し読めば覚えられる。痩せるためには代謝を上げるものを食べること、つまり体を冷やさないものを食べる、食べる順番に気をつける、つまり血糖値を上げ難いものから食べる、悪い油はいい油で落とす、この3つが肝心。これに飲酒が絡むけれども、ほぼ対処法は同じ。

2013-03-31

「伊達式!飲んでも食べても太らない本」宝島SUGOI文庫(530・used)伊達友美のダイエット本だが、出版社が編集したものらしく、伊達友美の名前は監修となつてゐる。まへに読んだ「夜中にラーメンを食べても太らない技術」と内容が一部重複してゐる。それなりに面白く読めた。

2013-03-26

玉村豊男「今日よりよい明日はない」集英社新書(529・used)いやあ、漸く新たに本を読み通した。玉村さんの本だから最後まで読めるだらう、と、きのふ読んだコミックと一緒に買つたのだつた。身の丈に合つた生活を良しとする、長い平和な時代は江戸に学べ、オレなりに要約するとそんな話。的外れでも良い。読んで意外なことが二つ。昔、江戸時代に露天の屋台で売られてゐた寿司のサイズは実は「一貫ひと口半」といはれるほど大きかつたのださうだ。小さくなつたのは終戦後なんだ、と。それと「郷に入れば郷に従え」を「田舎に来たら田舎の人のやるようにしてもらわないと(困る)」といふやうに使つてゐるのは間違ひだ、といふのだが、さういふ意味で解釈してゐなかつたので、オレも困つた。行つたその土地、その国のやり方に従へ、といふ風に理解してゐたのでね。

2013-03-25

柿崎正澄「HIDE OUT」小学館(528・used)久し振りにBookOffで、読めさうな本、なんかねえかなあ、と思つてたら、目について立ち読みしたら面白さうだつた。ホラー漫画と呼ぶんだらうか。「南海の楽園」(裏表紙にさう書いてある)での出来事で、実は主人公とその妻にはそれまでの事情があり、それが主に語りの中心になつてゐる時間の流れに時折差し挟まれる。子どもを事故で亡くした小説家とその妻といふ設定。旅行で立ち寄つた島で起こる不思議な出来事。「二舎六房の七人」といふ安部譲二原作の漫画を書いた人で、息子が読んでたか、どこかの病院の待合室に置いてあつたかで、絵を見たやうな気がしてゐた。Hide Outを辞書で調べたら「(犯罪人などの)潜伏場所」といふ意味で、ま、さういふ内容。戦争の生き残りらしき親子(?)に囚はれて、……。絵は丁寧だし細かいところまで書き込んである。読み終へて、人物設定や展開にちよつと類型的なものを感じたが、兎に角、一気に読めた。停滞期を脱出できればなあ。

2013-03-21

斉藤美奈子の3冊(「文壇アイドル論」「文学的商品学」「読者は踊る」凡て文春文庫)を続けて拾ひ読みした。
未だに新たに何かを読み始めようといふ意欲が沸かない。

2013-03-15

志ん朝一門「よってたかって古今亭志ん朝」文春文庫(×2)漸く一冊読み通すことができた。そのことも嬉しいけれども、志ん朝の話は何度読んでも胸が熱くなる、涙腺も緩む、歳だなあ。

2013-03-08

このまへの投稿からけふまで、一冊もあらたに読み始めることができなかつた。いまもさういふ気持ちになれないのだが、以前読んだ本の中から気になつてゐたところを読みなほしたりしてゐた。例へば、金井美恵子が吉田健一の「私の食物誌」(中公文庫)の解説で書いてゐた「わたしが不自然だ」と思ふ比喩は丸谷才一の「食通知つたかぶり」(文春文庫)のどこだつけ、と不意に思ひついたものを探して確認する。或はPHP文庫の「相対性理論を楽しむ本」、「量子論を楽しむ本」などを拾ひ読みするけれども、始めから読み通すことはできなくて途中でなげ出す。後藤明生の「挟み撃ち」(講談社文芸文庫)の冒頭部分も読み返して、見事だなあ、と嘆息するけれども、そのまま読み進めることはできない。それからカフカ「ある流刑地の話」(角川文庫)と芥川龍之介「或る阿呆の一生・侏儒の言葉」(角川文庫)の中の数篇(この2冊は本を読むやうになつた頃から特別気に入つてゐる本で、カフカのものは「観察」と「村の医者」といふ短いものを集めたものが好きで、芥川では「たね子の憂鬱」「歯車」──これは閃輝暗点と呼ばれるもので、オレにも屢々現れる、車の運転も不可能だし、歩行すら怖い──「本所両国」特に「鵠沼雑記」、表題になつてゐる作品にはまつたく興味がない)なども手に取つてはゐるけれども、いづれも「読んだ」とは言へないだらう。
そんな中で、川端康成の「伊豆の踊り子」(新潮文庫で、ほか三篇あり)、小松左京の「蜘蛛の糸」、「沼」(いづれも「地球になった男」新潮文庫にあり短いものだ)はきちんと読み終へた。「伊豆の踊り子」の解説は三島由紀夫で、三島はこれを「断片という感じを与える作品ではない」と言ふが、川端自身は「もっと長い草稿の一部分であった」と全集のあとがきに書いてるさうだが、ずゐぶん久し振りに読んで、本人の言ふとほりではないか、と思つた。中途半端な作品といふ意味ではなくて、もつと長いものの一部といふはうが相応しい気がした。
それから結城昌治の短篇集2冊(角川文庫)から「温情判事」「長すぎたお預け」「私に触らないで」「蝮の家」の4 篇。上手い。筒井康隆のエッセイも拾ひ読みした。なかで触れてゐる佐藤愛子の「何に向かって」といふエッセイの原本を読みたいのだが見つからない。
さて、「よつてたかつて志ん朝」でも読み返すかな。

2013-02-14

イアン・アーシー「政・官・財の日本語塾」中公文庫(527・used)続けてイアンの本。題名の「政・官・財」には「おえらがた」のルビがある。前回はあとがきを含めて325頁あるうちの138頁で挫折した。今回もう一度最初から読み始めた。不思議なもので、すらすらと最後まで読めた。文庫版あとがきで著者自ら言ふ「風刺文」として読めたといふことかな。皮肉や揶揄を楽しむつもりで読んだ。短い文章で、をかしな日本語を槍玉に挙げる人(自分も含めて)はたくさんゐるが、ここまで徹底して巫山戯倒せたのは、やはり日本語を外から眺める視点があつたからだらう。

2013-02-10

イアン・アーシー「怪しい日本語研究室」新潮文庫(526・used)まへに書いたが、読み始めて1/3くらゐで滞つてしまつた。それから暫くそのままにしてゐた。最近、小説が読めなくなつてゐて、そのせゐか、かういふエッセイなどのはうが読める。P14いきなり「ど真ん中」はないでせう。P53肉の「ニク」は音読みで訓は「しし」、さうなんだ、勉強になりました。P176〜177、日本史を勉強してゐた頃に古文書に挑戦したさうで、書く順番と読む順番が違ふものがあつて、例へば江戸時代の借用証書には「為後日仍如件」で締めくくられてゐるが、これはそのまま文字の順に読むのではなくて「後日の為、仍って件の如し」と読むといふ「ひねくれた順狂せの表記法」と書いてあり、その名残が「含消費税」や「禁無断転載」「至新宿」「乞う御期待」などだと言ふ。これは本気で言つてるのか読み手を試してるのだらうか。最後のはうのマヤ文字と日本文字の類似性について書かれた部分、P180以降はかなり専門的なのでよく解りませんでした。

2013-02-03

業田良家「独裁君」小学館(525・used)独裁君はよく似たアジアの独裁国の代表者が主人公の4コマのギャグ漫画。「わしズム」に連載されたもの。中に「慈悲と修羅」といふのが入つてゐて、これはギャグではない。これはどこかで実際にあつた話なのか。世界のことに疎くて、……。

2013-01-30

古谷実「グリーンヒル」1〜3講談社ヤンマガKC(522〜524・used)こつちのはうが「ヒミズ」に近いかもしれないね。グリーンヒルのメンバーで床屋の伊藤茂つて、「僕といっしょ」の伊藤茂とおんなじ顔してるんだけど。で、佐藤と結婚しちまふミドリちやん、この後でいろんな作品に登場する女の子の原形だね。あとは「稲中」といま連載中の「サルチネス」だけ。

2013-01-29

後藤明生「小説──いかに読み、いかに書くか」講談社現代新書(×2)。田山花袋の「蒲団」をめぐる中村光夫への反論や志賀直哉の直写について書かれた辺りを読み返さうとして、結局最初から最後まで読んでしまつた。氏は宇野浩二を贔屓にしてゐるやうだが、横光利一にも椎名麟三にも引つ掛かつてゐるらしい。

2013-01-28

古谷実「僕といっしょ」1〜4講談社ヤンマガKC(518〜521・used)状態はあまりよくないけど、amazonで全巻セットだつたので文句は言ふまい。最近BookOffでどれも105円で全巻揃つてゐたのを見掛けたが、人生といふものはさうしたものだ。急いては事を仕損ずる、と言ふ、かと言つて待てば海路の日和あり(だとばかり思つてゐたら、OS附属の辞書で確認したらなんと「待てば甘露の日和あり」の言ひかへなのだつだ!)、とは限らないけど。これは「稲中」のすぐあとの連載のやうで、絵も「稲中」寄りかな。「稲中」は1巻読んで挫折したんだけど、これも近いものがある。笑ひが奇矯だよね、eccentricといふんでせうか?manneristicと言ふか、強引さがあるね。車で拾つたお金と拳銃は結局どうなつたのか。

2013-01-11

東直己「探偵はバーにいる」ハヤカワ文庫(517・used)正月に娘と一緒にテレビで探偵ものを見てた。嵐の松本を始めとする7人の探偵事務所の連続ドラマの再放送だつた。それに大泉洋が出てゐて、さういへば「探偵はバーにいる」つていふ映画に出てたなあ、と思つた。で、原作読んでみよう、と探したら、あつた。面白かつた。軽めのハードボイルドといふ感じ。それでもやつぱりハードボイルドの探偵はタフだ。病院へ行つて治療を受けたりはしない。調べたら映画のはうは続篇の「バーにかかってきた電話」を元にしてゐるらしいが、更にもう一作読む気力はないね。

2013-01-07

藤原審爾「新宿警察」双葉文庫(516・used)連続テレビドラマにもなつたといふ警察小説。ほかにも数冊出てゐるが、これが第一作。1975年に双葉社から刊行された。38年前の作品。謎解きとしては今ひとつだが、複数の場面や人物、出来事が交錯する書き方は映像を見るのに似てゐるかもしれない。P53「オカツの後に出れるところで信号が」→「出れる」とは新しい。P66「パンにミルクにうで卵」→「うで卵」は「茹で卵」のはうが一般的だ。P81「前科が三犯もある風太郎」→「風太郎」は「ふうたろう」とルビあるが「ぷうたろう」の意、Macの辞書には出てゐた。P98「拾つた流しはエントツをやらせたし」の「エントツ」がちよつと解らない。タクシーが空車の札を立てたまま走ることらしいが、この話の中での意味がしつくりしない。P137「どうにか暮らして大学も出れた」→「出れた」はさすが。この頃から「ら抜き」があつたんだねえ。

2013-01-02

イアン・アーシー「マスコミ無責任文法」中央公論新社(515・used)清水義範の本で名前を知つたイアン・アーシーが書いたものをamazonで探して3冊集めた。どれもをかしな日本語を扱つた本で、絶版になつてゐるものもあつた。ほかの2冊はどれも半分近くまで読んでゐるのだが、そこから先へ進めない。どうにもくどい、と言ふか衒学的と言ふのか。だんだん笑へなくなつてしまふ。これもやはり似たやうなところがあるのだが、エッセイや論文めいた書き方ではなく、SF風の設定がされてゐたので読み終へることができた。