2013-03-31
2013-03-26
玉村豊男「今日よりよい明日はない」集英社新書(529・used)いやあ、漸く新たに本を読み通した。玉村さんの本だから最後まで読めるだらう、と、きのふ読んだコミックと一緒に買つたのだつた。身の丈に合つた生活を良しとする、長い平和な時代は江戸に学べ、オレなりに要約するとそんな話。的外れでも良い。読んで意外なことが二つ。昔、江戸時代に露天の屋台で売られてゐた寿司のサイズは実は「一貫ひと口半」といはれるほど大きかつたのださうだ。小さくなつたのは終戦後なんだ、と。それと「郷に入れば郷に従え」を「田舎に来たら田舎の人のやるようにしてもらわないと(困る)」といふやうに使つてゐるのは間違ひだ、といふのだが、さういふ意味で解釈してゐなかつたので、オレも困つた。行つたその土地、その国のやり方に従へ、といふ風に理解してゐたのでね。
2013-03-25
柿崎正澄「HIDE OUT」小学館(528・used)久し振りにBookOffで、読めさうな本、なんかねえかなあ、と思つてたら、目について立ち読みしたら面白さうだつた。ホラー漫画と呼ぶんだらうか。「南海の楽園」(裏表紙にさう書いてある)での出来事で、実は主人公とその妻にはそれまでの事情があり、それが主に語りの中心になつてゐる時間の流れに時折差し挟まれる。子どもを事故で亡くした小説家とその妻といふ設定。旅行で立ち寄つた島で起こる不思議な出来事。「二舎六房の七人」といふ安部譲二原作の漫画を書いた人で、息子が読んでたか、どこかの病院の待合室に置いてあつたかで、絵を見たやうな気がしてゐた。Hide Outを辞書で調べたら「(犯罪人などの)潜伏場所」といふ意味で、ま、さういふ内容。戦争の生き残りらしき親子(?)に囚はれて、……。絵は丁寧だし細かいところまで書き込んである。読み終へて、人物設定や展開にちよつと類型的なものを感じたが、兎に角、一気に読めた。停滞期を脱出できればなあ。
2013-03-21
2013-03-15
2013-03-08
このまへの投稿からけふまで、一冊もあらたに読み始めることができなかつた。いまもさういふ気持ちになれないのだが、以前読んだ本の中から気になつてゐたところを読みなほしたりしてゐた。例へば、金井美恵子が吉田健一の「私の食物誌」(中公文庫)の解説で書いてゐた「わたしが不自然だ」と思ふ比喩は丸谷才一の「食通知つたかぶり」(文春文庫)のどこだつけ、と不意に思ひついたものを探して確認する。或はPHP文庫の「相対性理論を楽しむ本」、「量子論を楽しむ本」などを拾ひ読みするけれども、始めから読み通すことはできなくて途中でなげ出す。後藤明生の「挟み撃ち」(講談社文芸文庫)の冒頭部分も読み返して、見事だなあ、と嘆息するけれども、そのまま読み進めることはできない。それからカフカ「ある流刑地の話」(角川文庫)と芥川龍之介「或る阿呆の一生・侏儒の言葉」(角川文庫)の中の数篇(この2冊は本を読むやうになつた頃から特別気に入つてゐる本で、カフカのものは「観察」と「村の医者」といふ短いものを集めたものが好きで、芥川では「たね子の憂鬱」「歯車」──これは閃輝暗点と呼ばれるもので、オレにも屢々現れる、車の運転も不可能だし、歩行すら怖い──「本所両国」特に「鵠沼雑記」、表題になつてゐる作品にはまつたく興味がない)なども手に取つてはゐるけれども、いづれも「読んだ」とは言へないだらう。
そんな中で、川端康成の「伊豆の踊り子」(新潮文庫で、ほか三篇あり)、小松左京の「蜘蛛の糸」、「沼」(いづれも「地球になった男」新潮文庫にあり短いものだ)はきちんと読み終へた。「伊豆の踊り子」の解説は三島由紀夫で、三島はこれを「断片という感じを与える作品ではない」と言ふが、川端自身は「もっと長い草稿の一部分であった」と全集のあとがきに書いてるさうだが、ずゐぶん久し振りに読んで、本人の言ふとほりではないか、と思つた。中途半端な作品といふ意味ではなくて、もつと長いものの一部といふはうが相応しい気がした。
それから結城昌治の短篇集2冊(角川文庫)から「温情判事」「長すぎたお預け」「私に触らないで」「蝮の家」の4 篇。上手い。筒井康隆のエッセイも拾ひ読みした。なかで触れてゐる佐藤愛子の「何に向かって」といふエッセイの原本を読みたいのだが見つからない。
さて、「よつてたかつて志ん朝」でも読み返すかな。
そんな中で、川端康成の「伊豆の踊り子」(新潮文庫で、ほか三篇あり)、小松左京の「蜘蛛の糸」、「沼」(いづれも「地球になった男」新潮文庫にあり短いものだ)はきちんと読み終へた。「伊豆の踊り子」の解説は三島由紀夫で、三島はこれを「断片という感じを与える作品ではない」と言ふが、川端自身は「もっと長い草稿の一部分であった」と全集のあとがきに書いてるさうだが、ずゐぶん久し振りに読んで、本人の言ふとほりではないか、と思つた。中途半端な作品といふ意味ではなくて、もつと長いものの一部といふはうが相応しい気がした。
それから結城昌治の短篇集2冊(角川文庫)から「温情判事」「長すぎたお預け」「私に触らないで」「蝮の家」の4 篇。上手い。筒井康隆のエッセイも拾ひ読みした。なかで触れてゐる佐藤愛子の「何に向かって」といふエッセイの原本を読みたいのだが見つからない。
さて、「よつてたかつて志ん朝」でも読み返すかな。
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