2009-05-29

「目白雑録3」朝日新聞社(207)読了。団塊の世代と呼ばれる人たちがビートルズ世代だつたと勘違ひしてゐると、寧ろ団塊の世代にとつてビートルズはそれ以前のアメリカン・ポップスの甘美なメロディをぶち壊した奴らだつた筈だ、と正しい記憶で言つてるのは亀和田武だけだと書いてあつたのはどこだらう、と探したがそれは「2」のはう(P184)だつた。
「3」には芥川の「歯車」の話があつて(P180)、それは飛蚊症ではないかと言ふが、それはオレにも思ひあたる。過労(滅多にないが)や寝不足(これも殆どない)が続いた20代半ばの頃に奥眼窩神経痛と診断されたことがあるが、そのとき、見てゐるものの一部が水で滲んだやうに見え、それが輪のやうになつてゐたりもして、芥川の言ふ歯車ツて、これぢやないか、と思つたものだが、どうやら飛蚊症らしいや。いまでもほんとにたまに、水で滲んだやうに見えることがある。さういふときは自覚がないだけで大抵疲れがたまつてゐるときだ。オレもいづれ網膜剥離になるんだらうか。
つづけて金井美恵子の「目白雑録3」を読んでゐて、あと50頁くらゐのところで気が乗らなくなつたのは、癖のある人の書いたものだから、気楽にほいほい読めない。読み易いんだけど。網膜剥離で手術したなんて知らなかつたなあ。尤も、マスコミから騒がれるタイプの人ではないし、な。村上龍とか、けさの新聞広告で「7年ぶりの大長編小説」を出した同姓春樹──またベストセラーになつて印税ガッポリ稼ぐんだらうなあ、まへに読んだ「寝ながら学べる構造主義」の内田樹は村上春樹が好きみたいだね、どうでもいいけど──とかなら違ふけど。
なので、鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」を引ツ張り出して、「聖徳太子はだれですか?」「謀叛の動機はなんですか?」を拾ひ読みしてる。なんでか、と言ふと、聖徳太子は実在しなくて、あの、教科書の絵もウソで、……といふのを思ひだし、どこにそれが書いてあつたか、鯨統一郎だつたよなあ、とたどり着いたワケだ。面白いけど、やつぱりこれはミステリーぢやないでせう。小説としてもスカスカで、骨組みだけで書かれてる。人物もほぼ同一人物。映画もB級扱ひされるのに惹かれるはうだから、ガチガチの判官贔屓なんで、それはそれでいいんだけど、小説としては歯応へがない。「維新が起きたのはなぜですか?」まで読むか。

2009-05-22

こないだ大泉町立図書館から借りて来た金井美恵子「目白雑録2」朝日新聞社(206)を読み終へる。サッカーの話題が多いのに付いて行けない。スカパーで見てる、ツていふんぢや、かなはない。「灰かぶりキャベツ、その他」の群馬弁で笑つた。

2009-05-21

ブラウン神父の話をちよつと。「ブラウン神父の童心」が最初の短篇集で、第1話が「青い十字架」。その冒頭のところで躓いた。(恐らくロンドン)港に着いた船を降りた大勢の乗客の場面で、かう書いてある──「この人ごみのなかにまじっていると、すこしも目だたなかった」。なのにその直ぐ後で「目だたな」い人物の服装が「晴れ着のようにはでな服装」。はてな?と思ふでせう、これには。それから更にかう説明する──「うすねずみ色のほっそりした短い上着、白いチョッキ、それに地味な黄色のリボンがついた銀色の麦わら帽子」だよ。目立つでせう、こんな恰好してたら。ジョークなのかね。

2009-05-19

なんだ、かんだと不平を言ひつつ「名探偵コナン」を10巻まで読んでしまつた。新田たつおの「静かなるドン」も12巻まで、「ギャラリーフェイク」も9巻まで読み進んでしまつた。なのに一昨日図書館から金井美恵子の「目白雑録2」と「目白雑録3」を借りてしまひ、滅茶苦茶だなあ、頭の中が。

2009-05-18

それからなにを読まうか物色してたら、さうだ、ホームズの短篇集があと3冊残つてるから、取り敢へずいまのところはそれでも読んでホームズを片付けちまふことにしたのだが、なにせ30年くらゐまへに、ホームズの文庫ぜーんぶ下さいな、つてんで買つたものだから──ほかに007とブラウン神父シリーズが揃つてゐて、007は2冊読んだのかな、いまひとつ乗り切れなくて、ブラウン神父は最初の1篇で躓いて、理由は後日──兎に角フォントのサイズが小さいし、焼けて紙が黄ばんでたり、文字のインクが消えさうだつたり、更にこれらの文庫はぜーんぶ延原謙訳なんだけど、これがさあ、言つちやあ悪いが、チョンマゲの時代劇かよ、みたいな言ひまはしがあるんだ、時々、なので、ホームズものつて一体どこが面白いんだろ、と思つてるんだけど、ここまで読んだんだから修業のつもりで最後まで、……で、最初の「四つの署名」から数へると、もう5年以上掛かつてるんぢやないかな。書かれた順に読んで来たから、ご丁寧にも。
──で、この「ホームズ最後の事件」、ちつともワクワクするところがない。でももう少しだ。

2009-05-04

かうして矢作俊彦「ららら科學の子」文春文庫(205)読了。なんて中途半端な話なんだらう。なのに、なんて充実してるんだらう。人生の途中をそのまま切り取つてみせたら、こんな風になるしかないだらう。一度も姿を表さない志垣にしても、一体なにを生業としてゐるのかよくわからんし、妹とも電話で話したきりだし、女子高生はそもそもどう関はつてるのか、奥さんはなぜ家を出たのか、さまざまな事柄が説明不足で納得できないまま、最後まで読んでしまふのだ。つまり、これは小説だ。虚構なのだ。スカスカの、辛うじて形を保つてゐる狭くて薄暗い舞台装置の中で、顔のない人物たちがそれぞれの役割の名前をぶら下げて動いてゐる芝居のやうなもの、或は作中でも触れられるクーブックの映画「博士の異常な愛情」さながら、一人の役者が複数の役をこなしてゐるやうなものなのだ。なのに、面白い。