2008-05-31

143.一九七二年のレイニー・ラウ

打海文三・小学館(used)
これはいづれ文庫になるかも知れないが、単行本ではどこにも置いてゐないのだつた。もちろん、この周辺、地方都市の本屋には。また古本屋にもなかつたのでAmazonで購入。表題作のレイニー・ラウはウネ子だ。作者があとがきで述べてゐることから類推すれば、なかり実体験(予想、空想、妄想を含む)を元に作られたのだらう。尤も私小説のやうにそのまま書いてるといふ意味ではない。アーバン・リサーチものとリンクさせて読むと頷けるところがある。書き方は違ふけれども、人物は近い。

2008-05-27

142.死亡推定時刻

朔立木・光文社文庫(used)
先づカバーデザインが目を引いて、長尾みのるといふ人かと思つたら、違つた。作者の名前が読み難いのも記憶に残つたし、裏返して「現役の法律家が描くスリリングな冤罪ドラマの傑作」。冤罪であれば読まねばならない。さう思ひつつ、時々書名を忘れたりしながら半年、漸くBookOffで105円で非常に状態のいいのが手に入つた。それが先月の初め。細かい文章の好みは省いて中身について。冤罪がなぜ起るかと言へば、刑事、取調をする人間の先入観、見込みによる自白の強要、自白偏重の裁判だ。殴られて脅されて自白したと言ふ被告がゐて、それを証人喚問で否定する警官がゐると、警官の主張を疑はず採る裁判官や検事がゐるのだから仕方あるまい。ただ、これが小説であるなら、こんな司法の実態の中でせめて一審死刑判決から控訴審一審差戻しから無罪を勝ち取るまで書いてくれなかつたのか。ドキュメンタリーならやむを得ないが、倍の長さになつても容疑者の無実を晴らしてほしかつた。読み物としては面白いが、死刑判決を受けた容疑者の苦悩、弁護士の苦悩も十分に書かれてゐない。誘拐事件としての緊張感も足りない。でも充分面白く読める。

2008-05-24

141.そこに薔薇があった

打海文三・中公文庫
初めて読む短篇集で、しかもアーバン・リサーチものではない。ま、アーバン・リサーチものには短篇集はない、……と思ふ。解説では片岡義男風の、と言ふけれども、村上春樹風だと感じた。村上春樹も会話を書くのが上手い。「羊をめぐる冒険」しか読んだことないけど、彼が翻訳したレイモンド・カーヴァーにも似てるかも知れない。7篇入つてゐて、ギリギリまで(気取つた感じで)平穏に進む。最後の最後で奇矯な展開になる。短篇集のはずが実は重複する人物がゐたりする。最後の第7話は、もう一度よく読み直したい。

2008-05-23

140.凶眼 EVIL EYE

打海文三・徳間文庫
帯に「追悼」とある。「残された珠玉の名作は、未来の読者をも魅了するだろう」裏に「ご生前のご功績を忍び心からご冥福をお祈り致します」殺人事件があつて、被害者は「きざはし」といふカルト集団の集団自殺後に行方不明になつた子どもたちと五億円の現金の行方を調べてゐた。誰が殺したのか。ミステリーはそれで作品が組み立てられてゐる。しかしハードボイルドはそこに人間が激しく絡んで事件そつちのけになる。メインの探偵役は武井といふ訳ありの中年男。これにも佐竹とウネ子が出て来る。大須といふ人物の残忍な行動、侮辱的な暴力行為は不快だけれども、これはオレには「時には……」の次くらゐにランクインするかな。大泉町と館林がかなり詳しく語られるので苦笑ひ。

2008-05-19

139.愛と悔恨のカーニバル

打海文三・徳間書店(used)
アーバン・リサーチもの全5作品の最終作で、このまへに読んだ「されど修羅ゆく君は」の姫子が6年後の19歳で主人公になつてゐる。「時には懺悔を」の佐竹、中野聡子、鈴木ウネ子、寺西も登場する。どうもオレはこの人物たちがお気に入りらしい。今回の事件は猟奇的な殺人で、ややグロテスクに感じるところもある。むぎぶえと翼の姉弟の謎めいた部分を翼自身が分析し解説してしまふのは不満だ。本人の理解を超えた力や衝動に突き動かされて、なら受け入れられる。いづれにしても、続けて読んだ2作は、正直言つて物足りない。

2008-05-15

138.されど修羅ゆく君は

打海文三・徳間書店(used)
アーバン・リサーチ・シリーズの第二作。「時には懺悔を」の佐竹も名前だけ登場する。鈴木ウネ子と戸川姫子、野崎などの人物が生き生きしてゐる。殺人事件があり、犯人は誰かといふ筋書きはあるけれども、そつちのはうは今一つ現実味がない。それよりも人物が素晴らしい。野菜の話が詳しく出て来るのは、暫く農業をやつてゐたといふ経歴があるからか。

2008-05-12

137.私はそうは思わない

佐野洋子・ちくま文庫(used)
まへから思つてゐたのだが、エッセイに解説は要らない。解説やあとがきから読んでしまふやうな(オレみたいな)ヤツには先入観が出来てしまふから、よくないのだ。けれども、これは解説から読まなかつた。佐野洋子の本はそんなことは考へなくていい。最初から一枚一枚読んで行けばいい。先づ、なんと言つても、このタイトル!私はさうは思はない。いい言葉だなあ。中身は私はかう思ふ、が書かれてゐる。人間はなんてこんなにバカで間抜けで傲慢で小狡く惨めで素直で下品で素晴らしいものなんだらうね、と書かれてゐる。──蛇足。佐野洋子はオートバイに乗るのである。さういふ記述がある。それに古いバイクの雑誌で見たやうな、見ないやうな。更に車で奈良まで行くのである。東京都内も車で移動するのである。さういふ記述が出て来る。行動的な人なのだ、かなり。

2008-05-05

136.ライトニング

ディーン・R・クーンツ/野村芳夫訳・文春文庫(used)
第一部の第一章を読みをはるまでは、いまひとつ乗り切れないでゐた。何度も読み直したりしながら、ゆつくりポツポツ読んでゐたのだつた。まあ、浦沢直樹のMONSTERも読んでたし、「述語集Ⅱ」も並行してたこともある。が、第二章に入るや、ローラが孤児院に引き取られてから第二部の第五章までの凡そ320頁、やめられなくなつてしまつた。トイレに立つ時間さへも惜しいくらゐ。「ストレンジャーズ」はネタバレで言つてしまふが、R.A.ハインラインの「異星の客」(Stranger in The Strange Land)を思ひ起こさせる題名からも解るとほり異星人との接触を扱つてをり、これは過去からのタイムトラベルなのだ。「宇宙家族ロビンソン」から「スタートレック」(ここはやはり「宇宙大作戦」と呼ぶべきだ)「タイムトンネル」などなど、子どもの頃にワクワクして見たり聞いたり読んだりした空想物語、SFと呼ぶにはもつと荒唐無稽な世界、それがこんなに分厚い本でみつちり真剣に書かれているのだから、途中でやめられるはずがない。──が、一つだけ。ラストシーン近くになると詠嘆調になるのがちよつと、ほんのちよつと白ける。

2008-05-02

135.述語集Ⅱ

中村雄二郎・岩波新書
200頁ちよつとの新書なのに1箇月以上も掛かつてしまつたのは、書いてあることがなかなか頭に入らなかつたせゐで、これが小説やエッセイの類ひなら文章の1つや2つ読み飛ばしてもあとで帳尻が合ふけれども、さうは問屋が卸さなかつた。それは取り上げられた述語の違ひもある。「Ⅰ」(因みに1993.10.03に読了)のはうが興味もあり耳にして気になつてゐた言葉──具体的には「アイデンティティ」「遊び」「差異」「ダブル・バインド」「通過儀礼」「トポス」「パラダイム」など──が多くて、もつとすんなり読めた気がする。とは言へ、やはり新書は物足りないものがある。内容がもつと気楽なものならよいのだが。それでも「老い」「グノーシス主義」「ヒトゲノム」「複雑系」などの項目は面白かつた。