2012-10-31

黒川博行「煙霞」文春文庫(477・used)のんびりした美術部の合宿から始まり、学校法人の理事長を誘拐し正教員の資格を得ようとする講師たちと学校ブローカー、暴力団が絡んで謎解きとサスペンスで次から次へと頁をめくつてしまふ。テンポが速いので疑問を挟む余裕がない。

2012-10-27

黒川博行「左手首」新潮文庫(476)これも続けて一気読みだ。読み始めたら止められない。ホントにスラスラ読める。これはとつても大切なことだ。どんなに面白いことが書いてあつても読み難いものは読めない。ここには疫病神の主人公に近い人たちが書かれてゐる。もつと読みたいなあ。因みに表紙の絵は黒川博行の奥さん(だと思ふ)。
黒川博行「文福茶釜」文春文庫(475)古美術や骨董が題材なのは難しさうだな、と思つたが一気に読み終へてしまつた。美術年報社の副編集長佐保の周辺でことが起こる。どいつもこいつも欲の皮が突つ張つてゐて、痛い目に会つても懲りない。かういふ輩が出て来ると大抵オレは拒絶反応が起きてしまふ──それで松本清張は読まなくなつた、といふ話は書いたことがあると思ふ──のだが、彼らが憎めないのは作者の目が彼らと同じ目の高さにあるからだらう。それは黒川博行の正義感ではないか。だから彼らは相応の報ひを受ける。それが自分の痛みとして書かれてゐるから読めるのではないか。

2012-10-22

アガサ・クリスティー/加藤恭平訳「検察側の証人」ハヤカワ文庫(474)ビリー・ワイルダーの映画を見てるので、そつちが頭にある。台詞の差異は不明だが、映画は基本的にこの戯曲そのまま。戯曲なので読むのに時間が掛からなかつた。二転三転するドンデン返しは面白い。もう一度映画を見たいと思つた。蛇足ながら、P80つまり第二部の始め、舞台配置図のNに勅選弁護士マイヤーズとなつてゐるが、登場人物の一覧ではマイヤーズ検事、勅選検事となつてゐるので誤植だらう。

2012-10-20

黒川博行「アニーの冷たい朝」創元推理文庫(473)あー、面白かつた。途中で止められないよ。「疫病神」周辺の裏側で生きる人たちの小説も面白いが、やつぱ警察小説だな、オレが好きなのは。猟奇的な連続殺人で事件そのものは薄気味悪いが、後半、犯人と覚しき人物とヒロインが車で移動を始める辺りから真犯人が登場し、追ひつめる中年刑事との場面などはハードボイルド風で息をも付かせぬ緊迫感がある。ラストは短いカットの連続で、結末を迎へる。

2012-10-19

長井彬「原子炉の蟹」講談社文庫(472)偶然だけれども小峰元と長井彬は毎日新聞の先輩後輩だといふ。乱歩賞受賞時、56歳で最年長記録であるといふ。原発といふところは建物の内部では常に放射能が漏れてゐるらしい。漏れてゐるといふのは不適切かも知れないが。その辺の事情も詳しく書いてある。サルカニ合戦に見立てた連続殺人で動機は復讐。最初の行方不明になつたあと殺されたことが解る事件についての説明が足りない。ラストで彩子が銚子行きの列車に乗る場面は切ない。

2012-10-16

小峰元「アルキメデスは手を汚さない」講談社文庫(471)東野圭吾がこの小説との出会ひが運命を変へたと帯に書いてゐる。まへに読んだエッセイにも、本嫌ひの高校生だつたが、この本を読んでから本を読むようになつた、と書いてゐる。だから読んだ、ワケでもない。まつたく関係ないとは言はないが、題名は知つてゐたし、扱はれてゐる時代がどうもオレが高校の頃とダブるやうなので読まうと思つた。昭和48年度の江戸川乱歩賞受賞作で、当時オレは高2だ。こんな風に大人からは見られてゐたといふことだらうか。ちよつと違ふ気がするが。何れにしても、後味が悪い。美沙子はどうして死んだのか、刑事の推理しか書かれてゐない。毒入弁当の砒素系農薬の入手方法も書かれてゐない。P85「さきほど柴本が"彼らは発想の次元が違うと嘆いた"」と書いてあるが、遡つても見当たらない。見落としてゐるのかも。些細なことが気になる。乱歩賞受賞作は続けて読んだ時期があり、もしかしたら読んでゐるかも知れない。

2012-10-14

東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」集英社文庫(470)筆者の中学高校時代のことを書いたエッセイ集。年齢が近いせゐか、面白く読んだ。その中で、P114「F高校は日本で最初の服装自由高校となったのである」とあるが、母校渋高も当時は服装自由で、年齢からすれば渋高のはうが一、二年早い。P210「鈍く黄銅色に光る巨大な容器を」とあるが、黄土色ではないか。言ひたいことは解るが、色の種類としては「黄銅」ではなく「黄土」だと思ふ。広辞苑によれば「黄銅」=「真鍮」とあり、真鍮の色といふ意味なのだらうか。P83からの「つぶら屋のゴジラ」を読んでゐたら、大昔、小学生の頃のことが突然蘇つた。まつたく忘れてゐたことで、恐らくこの本を読まなかつたら思ひ出さなかつたらう。それは近くの映画館で募集した怪獣の絵のことだ。オリジナル怪獣の絵を書いて応募し、入賞すると(たぶん)映画の無料券を貰へるといふものだつた。オレは張り切つて応募し、見事入賞。どんな怪獣の絵だつたか思ひ出せない。もう一人入賞者がゐて、記憶がはつきりしないが中学の美術部で一緒になつた人だと思ふ。で、商品の映画の無料券を貰つたのだが、それで何を見たのかは思ひ出せない。オレの書いた怪獣の絵ともう一人の絵が映画館の入り口に張られてゐたのを覚えてゐる。更にその映画館はオレたちの書いた怪獣に名前を付けるといふ募集をした。オレはそれにも応募した。どんな名前だつたかは覚えてゐない。で、またしても入賞。どつちの募集も一体どれくらゐの応募人数だつたのかは知らない。少なかつたのだらうね。商品はやつぱり映画の無料券で、今度は四谷怪談だつたか、幽霊がでてくる映画で、当時は一人でトイレに行くのもビビるほどの怖がりだつたから、見に行ける筈もなく、誰かに譲つたか、無効にしてしまつた。

2012-10-13

室生犀星「或る少女の死まで他二篇」岩波文庫(469)なんで室生犀星の本を買つたのだらう。漱石の「猫」と一緒にamazonで取り寄せたのだ。「猫」は新潮文庫で読んだのだが、活字が小さいのと文字が薄れて読み難いのだ。持つてゐる文庫の中にはさういふ読み難くくなつてしまつたものが増えてきた。でもこれはもともと読んだことなどない本だ。買つた経緯は兎も角、収められた「幼年時代」「性に目覚める頃」はよかつた。表題の「或る少女の死まで」は逆に余り感心しなかつた。作為が感じられた。それと言葉遣ひが独特である。

2012-10-07

清水義範「日本語必笑講座」講談社(468・邑楽町図書館)最初の「ことばの見本市」と最後のイアン・アーシーとの対談が面白い。第Ⅲ室「ヘンな語みっけ」も読みながら何度か吹き出した。以前読んだ新書(題名は失念した)と内容が重複してゐるところもあつたが、楽しめた。

2012-10-05

ヘミングウェイ/福田恒存訳「老人と海」新潮文庫(467)特に感動はない。少年と老人のやりとりは多少の感慨はあるけれども。老人がカジキマグロを釣り上げるまでの日々、帰途に巡り会ふ困難、少年との友情、さういつたものはそれなりに面白く読んだが、それだけだつた。

2012-10-02

深沢七郎「みちのくの人形たち」中公文庫(466)一つ読みをはると続けて次のが読めない。8月のすゑに衝動買ひした。それから間もなく読み始めたのに、こんなに時間がかかつてしまつた。解説を先に読むのは悪いクセだが、これも荒川洋治の解説を先に読んでゐる。荒川洋治と言へば、ずゐぶんまへにTBSラジオで、永六輔の番組だつたかに時折出てゐた。どんな話をしたかは忘れたが詩人であること、そして名前は記憶してゐた。序でに荒川洋治をwikipediaで調べたら、下のはうに関連項目としてゲド戦記挿入歌に対する批判、といふのがあつて、これをクリックすると、萩原朔太郎の「こころ」といふ詩に似すぎてゐる云々の批判を行つた、と出てゐた。朔太郎の詩は純情小曲集にあるので調べられたが、批判の内容がもつと知りたくなつて近隣の図書館で荒川洋治の本を置いてあるところを調べた。共著や編者としてではない著作が大泉3冊、館林6冊、邑楽町11冊だつたので、邑楽町の図書館へ出かけて纏めて借りて来た。なんといふ本だつたか忘れたが、確かに出てゐて、そんなことをしてゐるうちに時間を食つてしまつたのだ。深沢七郎と言へば「楢山節考」で内容は言ふまでもなく、この題名も独特だ。吉田健一が批判的だつたと丸谷才一が書いてゐたのを読んだ気がするが気のせゐだらう。この「みちのくの人形たち」も独特だ。文章も変なところがあつて、読み難いがなんとなく解つてしまふ。見た目は古臭くて下手糞な文章で、けして読み易くはないし、在り来たりな形容や、意味の分からぬ行替へや飛躍だらけの小説だが、読みをへると新鮮な驚きがある。どんなに書き方に工夫しようが、至る所に死が顔を覗かせてゐる、これは死をめぐる本である。
窪之内英策「特選幕の内」小学館ヤングサンデーコミックス(465・used)短いものから少し長いものまでを集めた「傑作集」。聞いたこともない名前の作者だつたが、BookOff朝倉店できのふ見つけた。題名もさうだが、頁の頭に幕の内弁当の絵があつて、おしまひに食べをへた弁当箱の絵。在り来たりと言へばさうだが。最初の「ラプラス」を読んで、ここで読んでしまつては勿体ないと思つた。ゆつくりウチで読みたい、と。この「ラプラス」が半分近い分量を占めてゐる。それだけ読ませる。線が綺麗で、特にコマを含めて定規で引いた直線がないことで、柔らかい印象がある。「HELP!」と「OKAPPIKI EIJI」は「ラプラス」とは線が違つてゐて、誰かに似てると思はせるが、誰だらう。いづれにしても大友克洋以降で、細野不二彦が似てる気がするけど。かういふとオリジナリティがどうした、独創性があるない、といふ話をオレが言つてると思はれてはしないか、気になるのだが、基本的に似てるつてことを否定的に考へてない。wikipediaで調べたら「ツルモク独身寮」つていふのを書いた人なのだ。これは聞いたことがある。読んだことはないけど。それと、あとがきの中で「まんが」を「まむが」と表記するのはどうなんだらう。「漫」は「まん」でいいんぢやないか。そこに込めてるものがオレには伝はらない。