2012-12-26

古谷実「ヒメアノ〜ル」1〜6講談社ヤンマガKC(509〜514・used)。これも最終巻がなかなか手に入らなくて半年以上お預けだつた。後半ハラハラドキドキしながら、どうか岡田君とユカちやんが森田から無事でゐてほしいと祈りつつ読んだ。いま一番推しの漫画家だな。ヒミズ以降しか読んでないけど。ヒメアノールの意味はヒメトカゲといふ体長10センチくらいの小型爬虫類のことださうです。

2012-12-21

小泉喜美子「弁護側の証人」集英社文庫(508・used)題名に釣られて買つてしまつた。クリスティのは「検察側の証人」で、当然、この作者はそれを念頭に題名を決めたのだらう。見事なドンデン返し。勝手にこつちがさう思ひ込んでゐただけなのに、最後の章を読み始めて、やられた、と思つた。改めて序章をひつくり返すまでもなかつた。さう、そんな風に、こつちが勝手に思ひ込んだだけなのだ。これがオール読物ミステリ新人賞で入選しなかつたといふんだからねえ。P.D.ジェイムズの「女には向かない職業」の訳者でもある。

2012-12-17

業田良家「新・自虐の詩 ロボット小雪」竹書房(507・used)東砂原後のBookOffで偶然見つけた。usedで550円。定価は1,000円。状態もいいので、迷ふことなく購入。ロボット小雪が心を持ち、人を助ける話。そんな単純なものではないが、源さんのシリーズみたいに童話的なところがある。
ヒラリー・ウォー/法村里絵訳「冷えきった週末」創元推理文庫(506・used)ウォーにはフェローズ署長シリーズといふのがあつて、これもその一つ。閏年の2月29日に開かれたパーティの翌朝、女の死体が見つかる。またパーティに出てゐた金持ちの男が失踪してゐることが解る。なぜ女は殺され、男は失踪したのか。フェローズ署長とその部下ウィルクスが一つ一つ謎を解いて行く。原題はend of a party。そつちのはうが相応しい気がする。フェローズ署長はややホームズ風で、好みが分かれるだらう。

2012-12-12

黒川博行「海の稜線」創元推理文庫(505)だいぶまへにbookoffで105円で見掛けたことがあつた。その頃はまだ黒川博行の初心者だつたから、海難事故云々やブンと総長といふコンビ名も厳ついし敬遠した記憶がある。続けて警察小説を読んで来て、このブンと総長のシリーズをどうしても読んで置きたいと思ひamazonで購入。高速道路での自動車爆発事故から始まる。身元不明の被害者を探すうちに一つの海難事故との関連が浮かび上がる。それが偽装の海難事故ではないかといふ疑惑から事件が解明されて行く。相変はらず黒川博行は誰も余り取り上げない分野(今回は海運業界)を舞台にして手際よく本格ミステリに仕上げてくれる。どれを読んでも外れがない。オレは大阪府警シリーズが好きだけど。この後でブンは総長の娘と結婚するのだが、そつち(「ドアの向こうに」)を先に読んでしまつた。

2012-12-07

樋口有介「ピース」中公文庫(504・used)前橋出身の人といふことで名前は知つてゐた。始めて読んだ。実に巧みな文章で、説明する文章は少なく、会話の中で登場人物が浮かんで来る。連続殺人がなぜ起きたのか、そこのところが今ひとつ納得できない。読み応へは充分なのだが。→読み終へて改めて表紙を見るとピースといふ言葉から受ける印象も複雑だ。子どもたちが無邪気にピースサインを出してゐる。しかし、それで本当に連続殺人が起こつたとしたら、事故の遺族の方々は耐へられないだらう。どんなに不謹慎だつたとしても、所詮子どもがやつたことでせう。なんども言ふけど、アルフレッド・ジャリの事故とカメラマンといふ一文に尽きる。マスコミのかかはりかたにこそ問題がある。(2012.12.14追記)これからは後から記入したときは、こんな風に(自分でも)解るやうにしよう。遡るのが面倒だけど、暇を見つけては直して行かうと思ふ。

2012-12-05

横山秀夫「陰の季節」文春文庫(503・used)これも警察小説の一つ。但し、警察内部の、直接捜査をしない部署を扱つてゐる点で新しい。殺人だけがミステリぢやない。そんなことは当り前なんだけど。謎があつて、謎を解く、その過程の面白さは充分ある。天下りの部署にしがみ付く元幹部はなぜ居座らうとするのか。これが「陰の季節」といふ短篇で、これで松本清張賞を受賞してゐる。兎に角、文章が気になる。馴染めない言ひまはしがあちこちにあるのだ。そこのところを書きたいが、なら自分で書いてみろ、と言はれさうなのでいまは触れない。→やつぱり気になつて仕方がないので書いてしまはう。取り敢へず「陰の季節」の冒頭3行。そのまま引用する(著作権に引つ掛かるかな)。
春も間近の風音も、この部屋までは聞こえてこない。窓は閉め切られ、隙間なく引かれたカーテンにも厚みがある。空調は働いているようだが、耳障りな音の割りに効いていないことは、ここで半時もパソコンを叩いていればわかる。」
先づ書き出しの「春も間近の風音」の意味が解らなかつた。春を知らせる風の音といふことかな、と気づいたのは全部読み終はつてから。続く「隙間なく引かれたカーテンにも厚みがある。」なら、カーテンの素材や色を書けばいいのではないか。或は、厚手の黒い(例へば)天鵞絨のカーテンが隙間なく引かれてゐる、ではダメなのか。最後の「耳障りな音」で空調が働いてゐることは半時以上そこにゐる人物には充分解つてゐるのになぜ断定しないで「空調は働いているようだが」と曖昧にするのか。
その数行後で、D県警本部の警務課別室を警務課員以外の警察署員は「人事部屋」と揶揄する、と書かれてゐるんだけど、それが揶揄してる呼び方とは受け取れない。警察内ではさうなのか。もつと他にもあるんだけど、長くなるので止めるが、「馬鹿殿よろしく大抜擢を乱発する本部長が」の馬鹿殿つて、志村けんの馬鹿殿のことかと思つてしまつたが、この例へが必要だらうか。(2012.12.31)

2012-12-04

山本英夫「ホムンクルス」1〜15小学館ビッグコミックス(502・used)これも全巻揃ふまでに時間がかかつた。2年くらゐかかつてゐると思ふ。途中まで、8巻までは直ぐに手に入つたので読んでゐた。頭蓋骨に穴を開けると普通の人間が異形の人物が見える。それをホムンクルスと呼ぶ。実はそれは自分の姿が投影されてさう見えるらしい。ホームレスになりきれない名越といふ、整形し、かつての自分から逃れた男と医者の卵、伊藤との絡みも面白いが、後半名越が自分探しをエスカレートさせる展開も面白い。もう一度読まうと思ふ。

2012-12-02

ヒラリー・ウオー/沢万里子訳「愚か者の祈り」創元推理文庫(501・used)状態はかなり良い。新刊並み。内容もこつちのはうがよく出来てゐる思ふ。1954年の作で、「失踪当時の服装は」の次に発表されたもの。ダナハー警部とマロイ刑事がコンビニなつて、被害者が誰か、誰になぜ殺されたのかを地道に調べて事件を解決する。マロイ刑事が被害者の頭蓋骨から顔を復元するのだが、これが納得できるかどうかで評価は分かれてしまふだらう。1947年起きた未解決のブラック・ダリア事件をベースにしてゐると思はれる。ダナハー警部の喋りはフロスト警部を思ひ出させる。

2012-11-30

ヒラリー・ウォー/山本恭子訳「失踪当時の服装は」創元推理文庫(500・used)エド・マクベインの87分署シリーズよりもまへに書かれた警察小説。1952年の作。章立てではなく、日を追ふ形で進む。行方不明になつた女子大生を調べる警察の動きがドキュメンタリーのやうに書かれて行く。署長のフォードとバートン巡査部長とのやり取りはちよつと聞き苦しいところもあるが、誰が真犯人なのか、女子大生はどうなつたのかなどの謎解きの部分もあり、名探偵が一気に解決する本格物とは違つて現実味があつて面白い。真犯人を捕まへに行くところで終るのが、ちよつと残念だつた。amazonでヒラリー・ウォーの本を調べたら絶版が多くて3冊中古を纏めて購入したうちの1冊。状態はかなり焼けてゐるけれど、まあまあ。P312、フォード署長の長い台詞の中に「柔道なんてものは、空手で三秒間に人が殺せる」といふ発言があり、柔道と空手がごつちやになつてる。当時のアメリカ人にとつては、そんな認識だつたのだらう。

2012-11-27

エド・マクベイン/井上一夫訳「警官嫌い」ハヤカワ文庫(499)まへから読んでみたいと思つてゐた87分署シリーズで、しかし本屋で探すとなかなか見つからない。amazonで購入。1956年に出版されたものだが、古臭くは感じない。トリックは最近読んだクリスティの作品に似たのがあつた。どつちが先かは、どつちでもいい。本格ものではないので、トリックや真犯人(ここでは実行犯のこと)の登場の仕方などは緩い。次が読みたいとは思はなかつた。鬼平犯科帳をちよつと思ひ出した。鬼平、読みたくなつた。

2012-11-24

佐藤秀峰「新ブラックジャックによろしく」1〜9小学館(490〜498・used)最終巻がなかなか手に入らず半年くらゐ手つかずだつた。前作の続きといふことで期待して一気に読んだが、腎移植に関する物語なのだつた。確かに表紙をよく見れば、巻数の左に【移植編】と書いてある。エゴの塊、斉藤英二郎が多くの人たち(恋人、家族)を巻き込んで大暴れする。実際暴れるワケぢやないけど、本人は苦しんだり悩んだりしてると思つてるやうだが、実際、腎臓を一つ赤木──この人もかなりのエゴイストで曲者だが──に差し出したくらゐで、なに一つ傷つくこともなくやりたいことをやり通したのは大暴れと言つてもいいだらう。読後にいろいろ思ふところ、感じるところもあり、具体的には纏まらないので、後でもう一度読んだらはつきりするかもしれない。何れにしても、その世界に引き込む力は凄いね。絵も緻密だし。

2012-11-21

望月峯太郎「お茶の間」1〜3講談社ミスターマガジンKC(487〜489・used)。バタアシの続き。柔らかい線と固いぎこちない線が同居してる。全体に画面が白つぽくなつてる気がする。これを読むとバタアシ金魚がどういふ話だつたのか解るやうな気がする。

2012-11-20

望月峯太郎「バタアシ金魚」1〜6講談社ヤンマガKCスペシャル(481〜486・used)望月峯太郎のデビュー作。、amazon経由でセットで買つた。先づ、絵がうまい。バイクなどの機械もうまい。座敷女や鮫肌男、ドラゴンヘッドから読み始めたので、比べるとずゐぶん描線が柔らかいな、と思つた。手早くササッと描いたやうな印象を与へる。話の内容は今ひとつ解らない。

2012-11-10

黒川博行「蒼煌」文春文庫(480・used)日本画壇の内部が描かれてゐる。金と名誉に突き動かされる老齢の画家たち。取り巻く弟子、画商など。芸術院会員を狙ふ室生を中心に描かれる。室生は果して会員になれるのか、といふのがミステリ的な要素と言へるかも知れないが、敢てミステリと呼ばなくても充分楽しめる。人物が生きてゐる。室生の師匠の妻・船山淑、夏栖堂の殿山、弟子の大村、対抗するライバル稲山とその家族など、見事だと思ふ。表紙は奥さんの黒川雅子。

2012-11-06

黒川博行「ドアの向こうに」創元推理文庫(479・used)大阪府警捜査一課もの。警察小説でありながら本格、謎解きでもある。フロストに似てるかも知れない。兎に角、読み始めたら止められない。

2012-11-03

ジョルジュ・シムノン/秘田余四郎訳「リコ兄弟」ハヤカワ・ミステリ(478)ギャングの世界に生きる3人兄弟の話で、一番下のトニィが結婚して堅気にならうとして行方を眩ます、長男でその世界にどつぷりつかりそれなりの地位にあるエディがさらに上の親分からの命令で弟を探す。日本の任侠映画みたいな設定なんだけど、娯楽の要素がないので重苦しい。しかもシムノンは人物の行動について答へを出さない。例へば始めのはうでエディ(殆どエディの目を通して語られるのだ)が彼の親分であるボストン・フィル(オーケストラにかけた洒落かと思つたが違ふみたいだ)からの電話で、どうしてフィルは何の意味もない沈黙を挟むのだらう、と疑問に思ふのだが、なぜかは語られない。ほかにも幾つもの箇所で、彼はかう思つてゐるのだらうか、これはかういふことなのか、とエディは自問するけれど答へはない。だから最後にトニィはどうなつたのか、一切書かれない。予想はつくけれども。

2012-10-31

黒川博行「煙霞」文春文庫(477・used)のんびりした美術部の合宿から始まり、学校法人の理事長を誘拐し正教員の資格を得ようとする講師たちと学校ブローカー、暴力団が絡んで謎解きとサスペンスで次から次へと頁をめくつてしまふ。テンポが速いので疑問を挟む余裕がない。

2012-10-27

黒川博行「左手首」新潮文庫(476)これも続けて一気読みだ。読み始めたら止められない。ホントにスラスラ読める。これはとつても大切なことだ。どんなに面白いことが書いてあつても読み難いものは読めない。ここには疫病神の主人公に近い人たちが書かれてゐる。もつと読みたいなあ。因みに表紙の絵は黒川博行の奥さん(だと思ふ)。
黒川博行「文福茶釜」文春文庫(475)古美術や骨董が題材なのは難しさうだな、と思つたが一気に読み終へてしまつた。美術年報社の副編集長佐保の周辺でことが起こる。どいつもこいつも欲の皮が突つ張つてゐて、痛い目に会つても懲りない。かういふ輩が出て来ると大抵オレは拒絶反応が起きてしまふ──それで松本清張は読まなくなつた、といふ話は書いたことがあると思ふ──のだが、彼らが憎めないのは作者の目が彼らと同じ目の高さにあるからだらう。それは黒川博行の正義感ではないか。だから彼らは相応の報ひを受ける。それが自分の痛みとして書かれてゐるから読めるのではないか。

2012-10-22

アガサ・クリスティー/加藤恭平訳「検察側の証人」ハヤカワ文庫(474)ビリー・ワイルダーの映画を見てるので、そつちが頭にある。台詞の差異は不明だが、映画は基本的にこの戯曲そのまま。戯曲なので読むのに時間が掛からなかつた。二転三転するドンデン返しは面白い。もう一度映画を見たいと思つた。蛇足ながら、P80つまり第二部の始め、舞台配置図のNに勅選弁護士マイヤーズとなつてゐるが、登場人物の一覧ではマイヤーズ検事、勅選検事となつてゐるので誤植だらう。

2012-10-20

黒川博行「アニーの冷たい朝」創元推理文庫(473)あー、面白かつた。途中で止められないよ。「疫病神」周辺の裏側で生きる人たちの小説も面白いが、やつぱ警察小説だな、オレが好きなのは。猟奇的な連続殺人で事件そのものは薄気味悪いが、後半、犯人と覚しき人物とヒロインが車で移動を始める辺りから真犯人が登場し、追ひつめる中年刑事との場面などはハードボイルド風で息をも付かせぬ緊迫感がある。ラストは短いカットの連続で、結末を迎へる。

2012-10-19

長井彬「原子炉の蟹」講談社文庫(472)偶然だけれども小峰元と長井彬は毎日新聞の先輩後輩だといふ。乱歩賞受賞時、56歳で最年長記録であるといふ。原発といふところは建物の内部では常に放射能が漏れてゐるらしい。漏れてゐるといふのは不適切かも知れないが。その辺の事情も詳しく書いてある。サルカニ合戦に見立てた連続殺人で動機は復讐。最初の行方不明になつたあと殺されたことが解る事件についての説明が足りない。ラストで彩子が銚子行きの列車に乗る場面は切ない。

2012-10-16

小峰元「アルキメデスは手を汚さない」講談社文庫(471)東野圭吾がこの小説との出会ひが運命を変へたと帯に書いてゐる。まへに読んだエッセイにも、本嫌ひの高校生だつたが、この本を読んでから本を読むようになつた、と書いてゐる。だから読んだ、ワケでもない。まつたく関係ないとは言はないが、題名は知つてゐたし、扱はれてゐる時代がどうもオレが高校の頃とダブるやうなので読まうと思つた。昭和48年度の江戸川乱歩賞受賞作で、当時オレは高2だ。こんな風に大人からは見られてゐたといふことだらうか。ちよつと違ふ気がするが。何れにしても、後味が悪い。美沙子はどうして死んだのか、刑事の推理しか書かれてゐない。毒入弁当の砒素系農薬の入手方法も書かれてゐない。P85「さきほど柴本が"彼らは発想の次元が違うと嘆いた"」と書いてあるが、遡つても見当たらない。見落としてゐるのかも。些細なことが気になる。乱歩賞受賞作は続けて読んだ時期があり、もしかしたら読んでゐるかも知れない。

2012-10-14

東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」集英社文庫(470)筆者の中学高校時代のことを書いたエッセイ集。年齢が近いせゐか、面白く読んだ。その中で、P114「F高校は日本で最初の服装自由高校となったのである」とあるが、母校渋高も当時は服装自由で、年齢からすれば渋高のはうが一、二年早い。P210「鈍く黄銅色に光る巨大な容器を」とあるが、黄土色ではないか。言ひたいことは解るが、色の種類としては「黄銅」ではなく「黄土」だと思ふ。広辞苑によれば「黄銅」=「真鍮」とあり、真鍮の色といふ意味なのだらうか。P83からの「つぶら屋のゴジラ」を読んでゐたら、大昔、小学生の頃のことが突然蘇つた。まつたく忘れてゐたことで、恐らくこの本を読まなかつたら思ひ出さなかつたらう。それは近くの映画館で募集した怪獣の絵のことだ。オリジナル怪獣の絵を書いて応募し、入賞すると(たぶん)映画の無料券を貰へるといふものだつた。オレは張り切つて応募し、見事入賞。どんな怪獣の絵だつたか思ひ出せない。もう一人入賞者がゐて、記憶がはつきりしないが中学の美術部で一緒になつた人だと思ふ。で、商品の映画の無料券を貰つたのだが、それで何を見たのかは思ひ出せない。オレの書いた怪獣の絵ともう一人の絵が映画館の入り口に張られてゐたのを覚えてゐる。更にその映画館はオレたちの書いた怪獣に名前を付けるといふ募集をした。オレはそれにも応募した。どんな名前だつたかは覚えてゐない。で、またしても入賞。どつちの募集も一体どれくらゐの応募人数だつたのかは知らない。少なかつたのだらうね。商品はやつぱり映画の無料券で、今度は四谷怪談だつたか、幽霊がでてくる映画で、当時は一人でトイレに行くのもビビるほどの怖がりだつたから、見に行ける筈もなく、誰かに譲つたか、無効にしてしまつた。

2012-10-13

室生犀星「或る少女の死まで他二篇」岩波文庫(469)なんで室生犀星の本を買つたのだらう。漱石の「猫」と一緒にamazonで取り寄せたのだ。「猫」は新潮文庫で読んだのだが、活字が小さいのと文字が薄れて読み難いのだ。持つてゐる文庫の中にはさういふ読み難くくなつてしまつたものが増えてきた。でもこれはもともと読んだことなどない本だ。買つた経緯は兎も角、収められた「幼年時代」「性に目覚める頃」はよかつた。表題の「或る少女の死まで」は逆に余り感心しなかつた。作為が感じられた。それと言葉遣ひが独特である。

2012-10-07

清水義範「日本語必笑講座」講談社(468・邑楽町図書館)最初の「ことばの見本市」と最後のイアン・アーシーとの対談が面白い。第Ⅲ室「ヘンな語みっけ」も読みながら何度か吹き出した。以前読んだ新書(題名は失念した)と内容が重複してゐるところもあつたが、楽しめた。

2012-10-05

ヘミングウェイ/福田恒存訳「老人と海」新潮文庫(467)特に感動はない。少年と老人のやりとりは多少の感慨はあるけれども。老人がカジキマグロを釣り上げるまでの日々、帰途に巡り会ふ困難、少年との友情、さういつたものはそれなりに面白く読んだが、それだけだつた。

2012-10-02

深沢七郎「みちのくの人形たち」中公文庫(466)一つ読みをはると続けて次のが読めない。8月のすゑに衝動買ひした。それから間もなく読み始めたのに、こんなに時間がかかつてしまつた。解説を先に読むのは悪いクセだが、これも荒川洋治の解説を先に読んでゐる。荒川洋治と言へば、ずゐぶんまへにTBSラジオで、永六輔の番組だつたかに時折出てゐた。どんな話をしたかは忘れたが詩人であること、そして名前は記憶してゐた。序でに荒川洋治をwikipediaで調べたら、下のはうに関連項目としてゲド戦記挿入歌に対する批判、といふのがあつて、これをクリックすると、萩原朔太郎の「こころ」といふ詩に似すぎてゐる云々の批判を行つた、と出てゐた。朔太郎の詩は純情小曲集にあるので調べられたが、批判の内容がもつと知りたくなつて近隣の図書館で荒川洋治の本を置いてあるところを調べた。共著や編者としてではない著作が大泉3冊、館林6冊、邑楽町11冊だつたので、邑楽町の図書館へ出かけて纏めて借りて来た。なんといふ本だつたか忘れたが、確かに出てゐて、そんなことをしてゐるうちに時間を食つてしまつたのだ。深沢七郎と言へば「楢山節考」で内容は言ふまでもなく、この題名も独特だ。吉田健一が批判的だつたと丸谷才一が書いてゐたのを読んだ気がするが気のせゐだらう。この「みちのくの人形たち」も独特だ。文章も変なところがあつて、読み難いがなんとなく解つてしまふ。見た目は古臭くて下手糞な文章で、けして読み易くはないし、在り来たりな形容や、意味の分からぬ行替へや飛躍だらけの小説だが、読みをへると新鮮な驚きがある。どんなに書き方に工夫しようが、至る所に死が顔を覗かせてゐる、これは死をめぐる本である。
窪之内英策「特選幕の内」小学館ヤングサンデーコミックス(465・used)短いものから少し長いものまでを集めた「傑作集」。聞いたこともない名前の作者だつたが、BookOff朝倉店できのふ見つけた。題名もさうだが、頁の頭に幕の内弁当の絵があつて、おしまひに食べをへた弁当箱の絵。在り来たりと言へばさうだが。最初の「ラプラス」を読んで、ここで読んでしまつては勿体ないと思つた。ゆつくりウチで読みたい、と。この「ラプラス」が半分近い分量を占めてゐる。それだけ読ませる。線が綺麗で、特にコマを含めて定規で引いた直線がないことで、柔らかい印象がある。「HELP!」と「OKAPPIKI EIJI」は「ラプラス」とは線が違つてゐて、誰かに似てると思はせるが、誰だらう。いづれにしても大友克洋以降で、細野不二彦が似てる気がするけど。かういふとオリジナリティがどうした、独創性があるない、といふ話をオレが言つてると思はれてはしないか、気になるのだが、基本的に似てるつてことを否定的に考へてない。wikipediaで調べたら「ツルモク独身寮」つていふのを書いた人なのだ。これは聞いたことがある。読んだことはないけど。それと、あとがきの中で「まんが」を「まむが」と表記するのはどうなんだらう。「漫」は「まん」でいいんぢやないか。そこに込めてるものがオレには伝はらない。

2012-09-20

古今亭志ん朝「もう一席うかがいます」河出書房新社(464・邑楽町図書館)「世の中ついでに生きてたい」と同じく対談集。志ん生絡みの話がたくさん語られる。朝太の頃、近藤日出造との対談から始まる。ほかに佐藤陽子、山田洋次、安達瞳子、手塚治虫、太地喜和子、檀ふみ、野末陳平、山川静夫、寺田農、金原亭馬治(十一代目馬生)、村松友視。なんと言つても太地喜和子との対談がいい。色つぽくて、しかもかはいさがある。と山川静夫との対談で東京で関西弁は聞きたくないといふ話。確かに方言はさうだ、その土地で聞くのがいい。オレも20歳の頃に青森へ行つたとき、電車の中で青森弁で喋る女子高生を見て、いいなあ、と感じた。女子高生だつたからかも知れないが。──が、では東京弁はどうなんだらう。また逆に関西にとつてそこで聞く東京弁、標準語といふものは違和感がないのだらうか。
PS.「世の中ついでに生きてたい」の対談相手は、山藤章二、十代目馬生・結城昌治、池波正太郎、池田弥三郎、結城昌治、中村勘九郎、荻野アンナ、江國滋、中村江里子、林家こぶ平(現・正蔵)でした。

2012-08-25

パトリック・ネス著・シヴォーン・ダヴド原案/池田真紀子訳「怪物はささやく」あすなろ書房(463)これは第58回青少年読書感想文全国コンクール中学生の部課題図書で、娘に勧められて読んだ。これがもし原案の作者が架空だつたら、とふと思つた。a monster callsといふのが原題。callsは「ささやく」なんだらうか。オレにはこのイチイの木の怪物は囁いてるやうには思へないし、もつと強いメッセージをコナーに送つてゐると思ふ。母の死に直面する13歳の男の子。母親が病気で薬の副作用で髪が抜け、そのことでまはりが過敏に気遣ひ、逆に反発から虐めを受け、最後に爆発する。人間は矛盾したものだ。
黒川博行「疫病神」新潮文庫(462)お気に入りのクロマメコンビのハードボイルド版と呼ぼう。クロさんが桑原で、マメが二宮。筋を通す、カッコいいね。最後のはうで二宮と話をする二蝶会の嶋田もカッコいい。ヤクザと広域暴力団の違ひかね。むかしはミステリと言へば佐野洋と結城昌治が好きでよく読んだものだよ、次から次へと(鮎川哲也の本格ものとは別に)。いまは黒川博行と東野圭吾でせうかね。

2012-08-18

東野圭吾「放課後」講談社文庫(461)江戸川乱歩賞受賞のデビュー作。カバー挿画が黒川雅子、カバーデザインが黒川博行、解説が黒川博行。学校で起こる連続殺人ともう一つ別の事件が進行してゐる。真ん中ほどで怪しいなと思ふのだが、具体的にはなにも解らない。最後に答へが出る。

2012-08-12

東野圭吾「学生街の殺人」講談社文庫(460)デビュー作と勘違ひして購入。主人公がモテすぎる。真犯人はずつと最初の事件を引き摺つて抱へつつ生きてきたわけで、その重圧は相当なものだつたらう。最初のときに裁きを受けてゐれば、……。隠さうとさすることで罪を重ねる。ミステリは大抵さういふ設定になつてしまふねえ。解説には、これで東野圭吾が化けたと書いてあるけど、さうかなあ。

2012-07-15

黒川博行「キャッツアイころがった」創元推理文庫(459・used)久し振りに旨い料理を食つた気がする。クリスティの後でも、さう思ふ。これで9冊目。短篇集2冊、後は長篇。一つも外れがない。三島の「禁色」が旨さうに見える高級料理で、でも食べてみたら食堂の入り口にある食品サンプルみたいに味もしない、満腹感もない料理だつた、と言つたら失礼か。いや、こつちが歯がぼろぼろで舌も味覚を失つてゐるのかもしれない。元宝石ブローカーの山本の話は重いね。P119低賃金で宝石採掘現場で働くガリガリに痩せた労働者が、様子を見に来ただけのブローカーが貧しい弁当を覗き込むと、食べるかい、といふやうに差し出す。そんなことは物語とは直接関係ないので書かなくてもいいんだけど、書く。さういふところが黒川博行だな。これまでずつとBookOffだつたので、こんだけ楽しませて貰つたからには、今度こそ定価の文庫、いや単行本を買ひますから。京都で言ふお愛想ではありません、けして。

2012-07-14

アガサ・クリスティ/深町眞理子訳「ABC殺人事件」創元推理文庫(458)。黒川博行の「キャッツアイころがった」を入手したので読み始め、いつものやうに解説をパラパラめくつたら、クリスティの「ABC殺人事件」を読んでからのはうが良いらしいのでAmazonで買つて読んだ。ま、イレギュラーな読書といふことになる。クリスティはどれも読み易い。ポワロがときどきホームズ風のお喋りをするのが鬱陶しいところもあるが、……。不明な点が幾つか。P90語り手へイスティンクズは2日ほどロンドンを離れてゐて、22日の午後に戻つたと書いてあるが、7月21日に最初の事件があつて、ポワロと二人で現場に行つてるんだから、日が違ふのでは?P104カーター警視と覚しき人物の発言「白いドレスを着た娘が、」だが、そのまへにはどこにも被害者が白いドレスだつたとは書いてない。必ず事前に被害者の服装を記述しろとは言はないが、唐突だつたので。P274これから事件が起こるかもしれない競馬場で、なんでそのタイミングでクラークは兄からの手紙をポワロに見せたのか。

2012-07-11

三島の「禁色」を中断する話。4月下旬(たぶん23日頃)から読み始め、一応は三島の代表作といふことなので、読み続けてきたけれども、もう限界。twitterだか、blogだか、その両方だかにも書いたけど、ホントに読み難い。物語の内容も作者の頭の中で作り上げた都合のいい人物ばかりが都合のいい展開をしてゐる、動いているだけにしか思へない。興味が持てないし、ただ字を追ふだけなので中止にしたことを敢て書く。苦痛でしかない読書は久し振りだ。全524頁、33章でできてゐるが、392頁、第26章の途中までで遂に挫折。放棄。要は難しい漢字、熟語ばかりで意味が解らず降参した、といふことです。

2012-07-02

唐沢なをき「カスミ伝(全)」ビームコミックス文庫(457・used)唐沢なをきはまへに買つて読んだことがある。絵は好きだし、面白いんだけど、古臭く感じる。これもさう。いろいろ手を替へ品を替へギャグを繰り出して来る。ギャグは面白いんだけど、さうねえ、文学的とでも呼べばいいのだらうか。古くさい感じ。意図的なのかもしれないけど。

2012-06-30

稲光伸二「フランケンシュタイナー」BIG COMICS IKKI(456・used)タイトルが面白さうだつたのと一巻本だつたので買つた。絵はまあまあだが、内容はいま一つ。次期総理と目される政治家とその娘の確執といふ風な話。娘の狼藉振りがあまり頭のいい子に見えないのと、父親の顔が政治家といふより昔のヤクザ風なのが、ちよつと。

2012-06-13

田中正明「パール判事の日本無罪論」小学館文庫(455)東京裁判(極東国際軍事裁判)でただ一人、被告全員無罪の判決を出したインドのパール判事に関するもの。P223〜224にかけて、原爆投下やソ連の侵攻も日本の侵略戦争を終熄させるためのものであり、悪いのは日本の軍国主義である、と考へる日本人が多くゐることに対して筆者は嘆いてゐるが、オレの中学高校時代にはオレを含めて概ねまはりの誰もがさう考へてゐただらう。いまは違ふ。が、いまでもさう考へてゐる人たちは多いのかもしれない。実は日本は悪質な手段で戦争を仕掛けられ、恰も真珠湾を奇襲攻撃したかのやうに情報操作され、敗戦後も「真相箱」といふ洗脳まがひの報道や、この東京裁判により、多くの捩ぢ曲げられた歴史を信じ込まされてきたのだ。A級戦犯とはなにか。靖国参拝がなぜ悪いのか。そもそも東京裁判とはなんだつたのか。自分で手に入る資料や書物を読み、考へて答へなくてはならない、日本人として。恐らくいまでも、オレがこれまで知り得た戦争までの経緯や戦後の策略などは学校では教へてゐないだらう。東京裁判と真相箱は貴重な歴史の手掛かりだ。所詮日本人は黄色い猿だと思つてゐる白人は多いのだらう。日本人にしてからが、同じアジア諸国の人たち、例へばフィリピンやインドネシアの人たちよりも日本人のはうが上だと思つてゐるフシがある。情けないことに、オレにはまつたくないとは言ひきれない。

2012-06-12

高野文子「棒がいっぽん」マガジンハウス(454)。最初の「美しき町」は当然堀辰雄の「美しい村」の題名が念頭にあつたでせう。中身は勿論違ふ。最初の、ページを跨いだ4コマ、凄い、いいねえ、この人の漫画は素晴らしい、と感嘆した。小説では絶対こんなことは出来ない。映画なら可能だらうけど、見開きの本のやうに直ぐにコマ(映像ならシーン)を戻れないから、やはりこれは漫画にしか出来ないことなのだ。どの作品も見事で、読みをへるのがをしかつた。とりわけ「バスで四時に」の始めのはうでマキコちゃんがバスに乗り込みステップを上がる、まへのはうへ移動する、これが1ページに2コマで書かれてゐるのだが、この視点の角度と時間の流れ。インターネットで高野文子を検索したときに見つけたページで、なんといふ題名なのかを更に調べ、この作品集にあつたので早速これを買ふことに決めたのだ。この絵で決めたと言つてもいい。どうしても読みたい、手に取つて読みたいと思つたのだ。P68の右下の座席にすはらうとする絵の姿勢、次のやや見上げる感じて正面からマキコちゃんを書いてゐるが、その膝が綺麗だ。更にP71発車したバスの中の3コマ、最後のコマのアングルは予想もしなかつた。挙げたらキリがない。「奥村さんのお茄子」は一番長いが、これもまた吃驚(びつくり)。こんな風に過去の1シーンを切り取つて隅々まで辿れたらどんなに面白いだらう。冒頭、P138〜139への視点の寄り方にも唸つてしまつた。これが1994年の作品。この作品集の不思議なタイトルはこれを読めば納得する(納得はできないけど、根拠は示される、ポストの裏に書いてあるぢやないか!)内容もさうだが、オレは兎に角絵が凄いと思つた。他の作品もほしいが、まだ見落としてるところがあるやうな気がするので、暫くこれをときどき手に取つて眺めてゐたい。蛇足ながら、上田としこの絵に似てると思ふ。

2012-06-04

ジョルジュ・シムノン/三輪秀彦訳「猫」創元推理文庫(453)これはシムノンが64歳の頃に書かれたものだ。主人公の夫婦は夫エミール・ブワン73歳、妻マルグリット71歳。シムノンにとつてはSFである。主な人物はこの二人。そして猫と鸚鵡。老夫婦の陰惨な確執──と言つてしまつたら、この小説の値打ちを下げるだらう。これこそ談志の言ふ人間の業の肯定だ。お互ひに殺したいほど相手を憎みながら、代りに猫や鸚鵡を殺すのだが、本人が気づかないところで相手を必要とし(これほどの反発や無視は却つて真意の裏返しである)、そのままの自分を受け入れてほしいと思つてゐる再婚同士の老夫婦の日々だと読めた。心理をあれこれくどくど説明する文章は省かれてゐるので想像しながら補ふしかないが、読みながらオレはこの二人と一緒の世界にゐた気がする。つまり彼らの部屋の片隅で息をしながら彼らの動きを見てゐたやうに思ふ。ⅦのをはりからⅧにかけて解り難いところがあるので、もう一度そこんところを読み返さう。一体マルグリットは死んだのかい?シムノンは、いい。でも、すつと入れるときと、さうでないときが歴然とあるので読み始めるタイミングが難しい。

2012-06-02

古今亭志ん朝「世の中ついでに生きてたい」河出文庫(452)衝動買ひ。見つけた途端に欲しくなつた。で、一気に読んだ。志ん朝の対談集で、当然のことながら父志ん生にまつはる話(なんと兄馬生と一緒に志ん生一代を書いた結城昌治との対談もある)から落語に対する思ひが語られてゐて面白いんだけど、なぜか志ん朝の声は聞こえないんだなあ。生の、あの志ん朝の口調ではない。文字にはできないんだらうなあ。なつた積もりで読めば、なんとなく。談志をめぐる話も出て来る。本物見たし、一緒の写真も撮つて貰つたし。でもその写真が見つからないんだよなあ、悔しい。志ん生を知らない子どもたち、つていふシャレがあるけど、いまぢやあ志ん朝を知らない子どもたちなんだから、悲しい。志ん生一代、もう一回読むかなあ。
川端康成「雪国」新潮文庫(×2)むかーし読んだことがあるので、再読。殆ど覚えてない。駒子はかはいい人だなあ、といふ印象だけ残つてた。後は関水のことをhiko8さんに指摘されて、もう一回読むかなあ、と。三島の「禁色」でへとへとだつたし。ゆつくり読み返しても、よく意味がわからない小説。特に駒子と島村の男と女の関係が具体的に書かれてゐないからね。ここはさうなのかなあ、と推理するしかない。例へばP30の最後の3行目「突然激しく唇を突き出した」、の次の「しかしその後でも、寧ろ苦痛を訴える譫言のやうに」のあひだで、なにかあつたと推察できる。P31の中程、「私が悪いんぢやないわよ、(略)」などと口走りながら、よろこびにさからふために袖をかんでいた。──といふ辺りは、さういふ状態なんかなあ、と。具体的にさう言ふ場面が書かれてゐないので、話が飛んでる気がした。
ほかにも幾つか、さういふことがあつたんかなあ、と思へる場面はある。兎に角駒子がいいね。映画になつたのは、最初のは見てなくて、木村功が島村を演つて、駒子が岩下志麻だつた。駒子と言へば岩下志麻。これは覆せない。どんな人が演じても。読み返した理由の一つに、まあ、どうでもいいことだつたけど、あるとき石垣純二の常識のウソといふ本で、雪国の中に生理中に交はるところがある、と書いてあつたのを思ひ出した。で、そんな場面があつたなあ、と確かめようと思つたのも読み返した些細な理由。記憶になかつたからね。で、ゆつくり読んだつもりだけど、該当する場面はわかりませんでした。それにしても駒子はかはいい。

2012-05-30

水木しげる「猫楠」角川ソフィア文庫(451・used)。水木しげるは現在90歳。年なんてどうでもいいのだが、これはいまから20年まへ、70歳のときに書かれたものだ。因みに南方熊楠の没年は75歳(1941年)。いつもの緻密な風景が素晴らしい。漱石の「猫」のパターンを借り、熊楠を苦沙弥先生に見立ててゐる。兎に角逸話が多い人物なので、熊楠についてはもつと知りたいと思ふが、かかはつた事柄に付いて行ける自信がない。一気に読みをへた。

2012-04-20

マーク・エリオット/古賀林 幸訳「闇の王子ディズニー」上下・草思社(449.450・used)読了。2週間近くかかつた。どうも好きになれない人物ウォルト・ディズニーの伝記。どう理由をつけても、それは妬み、嫉みの類ひなのだらう。ただ一つ、強く印象に残つてゐるのは、どこかの小学校で卒業生が記念にプールの底にミッキーマウスの絵を書いて、それもまた呆れた話ではあるけれども、それを知つたディズニーの会社が著作権侵害だと訴へたとか、申し入れたとかといふ新聞記事で、この本を読むと、さうしたイザコザはディズニーには相応しいかも知れないと納得する。大勢のアニメーターのまへで、身振り手振りを交へ、一人で凡ての登場人物をこなして白雪姫の話を最初から最後まで演じてみせるといふ熱意といふか演技力には驚くし、ミッキーマウスを作つたのは友人だつたアブ・アイワークスだつたとしても、殆どアニメの作画には直接かかはらなかつたにしても、やはりディズニーは優れた才能の持ち主だつたのだ、と知る。FBIの連絡員で、赤狩りで仲間を売つたり、反共主義者でユダヤ人嫌ひで、労働組合潰しで、安い賃金でスタッフをこき使ひ、男女差別者で、手柄は全部独り占めで、アルコール依存症で、ヘビースモーカーだつたディズニーの姿は、読んでゐるあひだ反発も感じたけれども、それだけ生きた人間として描かれてゐる。

2012-03-30

田中和彦「あなたが年収1000万円稼げない理由。」幻冬舎新書(448・used)。最後に「。」が付く。幻冬舎は好かない。けど、これも含めて買つて読んでるのも幾つかある。目標を持ち、実現させる具体的な方法、意欲が大切だ、と。自信が持てるキャリアがないなあ、オレには。

2012-03-19

中町信「飛騨路殺人事件」(×2)。出版社も記入してたけど、再読は要らないね。中町信を読み返したくなつたのは、バリンジャーを読んだから。バリンジャーとの関連は折原一の解説による。なんの解説だつたらう。調べるのが面倒だ。兎に角、ぢやあ、それで中町信の何を読まう、と以前のこのブログ記事を拾ひ読みして、取り敢へず、これを選択。途中である程度思ひ出したけど、犯人は覚えてなかつた。登場人物たちの会話に真犯人探しが振りまはされるのは相変はらずの中町パターン。刑事の発言も素人探偵並みに推測ばかりなのも、いつものことだ。断定的な推理をするから次の殺人が起ると言つてもいい。真犯人のまへに犯人扱ひされる人物のはうが動機として無理がないのでは?このダイイングメッセージは見事だと思ふ。

2012-03-18

ビル・S・バリンジャー/大久保康雄訳「歯と爪」創元推理文庫(447・used)。終りのはうが袋とぢになつてゐて、ここでやめられたら料金をお返しします、と書いてある。これは中古本なのに、袋とぢがそのままで105円だつたから買つたのだが、やめられた人はゐたのである。或はまつたく読まなかつたか。書店で換金できなければ、わざわざ出版社に送る人は少ないだらう。文庫だし。法廷場面と犯人、被害者と思はれる人たちの行動などが交互に書かれ、最後に一つの話になつてゐる。まへに読んだ煙で描いた肖像画もおんなじ作りだつた。意外なトリックだつたけど、袋とぢのまへでもやめられたやうな気がする。解説も、植草甚一の「雨降りミステリ」でも傑作といふ評価だけどね。

2012-03-05

リチャード・ニーリイ/仁賀克雄訳「愛するものに死を」ハヤカワミステリ(446・used)これも何度か読み始めるも頓挫の繰り返し。他のと一緒に売らうとすら思つたが、これは値段が付かない、つまりタダといふ話だつたので売らないことにした、などの経緯がある。最後の挑戦のつもりで読む。50頁くらゐ読んで、どうにか興味が持てた。それからは一気に読んだ。意外な結末は、ホントに意外だつた。なんだか映画かドラマを見てるやうな、さういふ書き方に最初は戸惑つた。他のも読んでみたい気がする。

2012-02-25

都筑道夫「キリオン・スレイの生活と推理」角川文庫(445)ああ、面白かつた。やつと小説が読めた。かういふ面白いものなら読めるワケだ。むかし読んだことがあるやうな気がするのだが、……。と言ふのも都筑道夫には少しばかり気触れてた時期があるから。これは復刻版。もう一冊、つづきがあるがそれは復刻されてゐないらしい。安楽椅子探偵といふパターンは退職刑事のシリーズでも読める。この退職刑事シリーズもいいね。殆ど読んでる。

2012-02-14

夢枕獏「陰陽師 飛天ノ巻」文春文庫(444・used)まへのはうが断然面白い。内容が新鮮だつたせゐもあるだらう。

2012-02-10

望月峯太郎「ずっと先の話」講談社(443・used)。いまのところ唯一の短篇集だらうか。漫画つて面白いよなあ。なんでもOKだから。結末なんてどうてでもいいし、物語の整合性なんて二の次、いや度外視してるやうな気がする。江口寿史の本に似てる。

2012-02-06

望月峯太郎「ドラゴンヘッド」1〜10講談社ヤンマガKCスペシャル(433〜442・used)。←ここに「。」を付けたり付けなかつたりしてる。どつちでももいいけど。バタアシ金魚は読んだことはなく、座敷女と鮫肌女と桃尻娘しか読んでない。バイクメ〜〜ンは全部ぢやないけど読んだことがある。で、この人の絵は好きなので長いのを一つ読みたい、と思つてた。けれども、バタアシはなにせ古いから状態が悪く、これはamazonで全巻一括セットで出てたので手に入れた。面白いんだけど、かういふパニックものをなぜ書いたのだらう、といふことばかりが気になつた。二十世紀少年と連載時期が一緒なのか(あとで調べてみよう)。絵は好きなんだけど、残念ながら、もう一度通して読む気にはならないやうな気がする。

2012-01-29

睦月影郎「杜をぬけると」宝島社文庫(432・used)いはゆる官能小説。アポリネールの「若きドン・ジュアンの冒険」(題名が違ふ?)とか「ファニー・ヒル」(吉田健一訳)とか読んでるので、かういふ小説ははじめてではないが、日本のものでは初めてかな。祠を抜けたら400年まへの江戸初期で、といふSF的な展開の官能小説。面白かつたけど、性行為の描写のところ、コピー&ペーストで枚数稼げるんぢやないかと思はせる部分が幾つかありました。もつといろんな人が書いてゐるので読んでみたいと思つた。因みに、なんで睦月影郎かと言ふと、偶然wikipediaで知つたのだが、生年月日が同じなので機会があつたら読んでみたい、と。で、これも偶然BookOffで見つけたもので。

2012-01-27

佐藤雅彦「毎月新聞」中公文庫(431・used)。毎日新聞に掲載されてゐたときに何回か読んだことがあつて、なかなか面白かつた記憶があつた。文庫になつてゐたのは知らなくてBookOffで見つけたので買つた。表紙になつてる「じゃないですか禁止令」。じやないですか、といふをかしな言葉は東海林さだおがずゐぶんまへに取り上げてたと思ふ。因みに毎月新聞のこれは1988.10.21付で、自信はないが、東海林さだおのはうが先ぢやないかなあ。12号「文化の芋がゆ状態」、15号「楽しい制約」、16号「ネーミングの功罪」、28号「三角形の内角の和が180°であることの強引な証明」、34号「真夏の葬儀」などが面白かつた。だんご三兄弟の作者の一人で、いまもNHKの「ピタゴラスイッチ」にもかかはつてゐるさうだ。

2012-01-23

はやみねかおる「都会のトム&ソーヤ⑥ぼくの家へおいで」講談社YA!ENTERTAINMENT(430)手元にあるこのシリーズは、これが最後の1冊。竜王グループが新たに作つたセキュリティシステムとの対決といふ、予想もしなかつた展開。二階堂卓也のまへに現れた老人は一体誰なのか、実に興味深い。ほかにも真田女史、健一、矢吹、黒川部長などのキャラクターに纏はる話を読みたいと思ふ。いまの中学生が主人公といふ建前だが、意外に古い話題(この巻で言へば謎の円盤UFOなど)があるし、ところどころクスリとさせる会話がちりばめられてゐるので楽しめる。次はいよいよ創也と内人で作る究極のゲームが登場するらしい。

2012-01-22

はやみねかおる「都会のトム&ソーヤ⑤IN塀戸」上下/講談社YA!ENTERTAINMENT(429)伝説のゲーム・クリエーター栗井栄太が作つたRRPG、リアル・ロールプレイング・ゲームに参加する内人と創也。上下2冊は長いと思つたけど、あつといふまに読んでしまつた。このシリーズは大人でも結構面白く読める。

2012-01-19

松本大洋「青い春」小学館ビッグコミックス(428・used)。短篇集だ。ピンポンの作者だといふこと、鉄コン筋クリートといふ原作のアニメが欧米で作られたこと(まだ見てゐないが、ぜひ見たいと思つてゐる)、などの知識しか持たなかつたが、半分勉強のつもりで買つた。凄い絵だね。似てゐるな、と思ひ浮かぶ人がゐない。最近の人は殆ど知らないけど、結構いろんな漫画は見てきたけど、敢て言ふならガロとかコムと言つた70年代(間違つてるかも)の漫画雑誌に出てきさうな絵だ。内容もまた凄い。全部不良が主人公で、滅茶苦茶をやる。なのに、惹きつけられるね。

2012-01-17

はやみねかおる「都会のトム&ソーヤ④四重奏」講談社YA!ENTERTAINMENT(427)。内藤内人と竜王創也でなんでトム&ソーヤなのか。ソーヤは創也でいいけど、トムはどうして?の答へがOPENINGに出てくる。今回はマラソン大会、文化祭といふ設定なので、季節はほぼ秋と見てよい。やつぱり頭が古いせゐか季節が分つたはうが楽しめる。

2012-01-14

はやみねかおる「都会のトム&ソーヤ③いつになったら作戦終了?」講談社YA!ENTERTAINMENT(426)。今度は文化祭がメインになるので季節はほぼ秋だらう、と推察する。栗井栄太の正体が分つたと思つたら、今度は新たに謎の「頭脳集団」なるものが登場する。因みに主な登場人物は、主人公「ぼく」内藤内人と竜王創也の二人、ともに中学二年生。創也には二階堂卓也といふボディガード、「ぼく」の憧れ堀越美晴。

2012-01-09

はやみねかおる「都会のトム&ソーヤ②乱!RUN!ラン!」講談社YA!ENTERTAINMENT(425)。未だに本を読む気になれないのだが、このシリーズは読める。スラスラと頭に入る。①で登場した伝説のゲームクリエーター栗井栄太と愈々対決。小説と言ふより読み物だ、と①を読んで書いたのは、季節が特定できないこと、服装、食べ物などの描写が殆どないこと。この本の所有者である娘に季節が分らないと言ふと、そんなことは重要ぢやないよ、と言はれてしまつた、確かに。

2012-01-04

酒井雄哉「一日一生」朝日新書(×4)1年の始まりはやはり大阿闍梨のこの本から。P49「命が残されているっていうことは、今何歳であろうと、まだまだしなくちゃなんないことがあるのとちがうかな」、P81「何をやるにしても「何のために、何をもって」と考える」、常行三昧のあとでP174「習慣っていうのは(毎日立ったまま歩き続けてお経を唱えていると、修行を終えて横になったとき、天井が目の前に立ち塞がる壁に見えた)それくらい人の感覚を狂わせてしまう」「人間のものの見方や心のありようっていうのは、いろんなものでどうにでも左右されちゃうということ」「だから自分から見て、どんなに正しいと思えることでも、もしかしたらいろいろなことにとらわれてそう見えるのかもしれない。自分がどんな立場でそれを見ているのかということをいつもいつも確かめないといけない」。(引用ばかりで著作権に触れるかも)