2012-12-26
2012-12-21
2012-12-17
2012-12-12
黒川博行「海の稜線」創元推理文庫(505)だいぶまへにbookoffで105円で見掛けたことがあつた。その頃はまだ黒川博行の初心者だつたから、海難事故云々やブンと総長といふコンビ名も厳ついし敬遠した記憶がある。続けて警察小説を読んで来て、このブンと総長のシリーズをどうしても読んで置きたいと思ひamazonで購入。高速道路での自動車爆発事故から始まる。身元不明の被害者を探すうちに一つの海難事故との関連が浮かび上がる。それが偽装の海難事故ではないかといふ疑惑から事件が解明されて行く。相変はらず黒川博行は誰も余り取り上げない分野(今回は海運業界)を舞台にして手際よく本格ミステリに仕上げてくれる。どれを読んでも外れがない。オレは大阪府警シリーズが好きだけど。この後でブンは総長の娘と結婚するのだが、そつち(「ドアの向こうに」)を先に読んでしまつた。
2012-12-07
樋口有介「ピース」中公文庫(504・used)前橋出身の人といふことで名前は知つてゐた。始めて読んだ。実に巧みな文章で、説明する文章は少なく、会話の中で登場人物が浮かんで来る。連続殺人がなぜ起きたのか、そこのところが今ひとつ納得できない。読み応へは充分なのだが。→読み終へて改めて表紙を見るとピースといふ言葉から受ける印象も複雑だ。子どもたちが無邪気にピースサインを出してゐる。しかし、それで本当に連続殺人が起こつたとしたら、事故の遺族の方々は耐へられないだらう。どんなに不謹慎だつたとしても、所詮子どもがやつたことでせう。なんども言ふけど、アルフレッド・ジャリの事故とカメラマンといふ一文に尽きる。マスコミのかかはりかたにこそ問題がある。(2012.12.14追記)これからは後から記入したときは、こんな風に(自分でも)解るやうにしよう。遡るのが面倒だけど、暇を見つけては直して行かうと思ふ。
2012-12-05
横山秀夫「陰の季節」文春文庫(503・used)これも警察小説の一つ。但し、警察内部の、直接捜査をしない部署を扱つてゐる点で新しい。殺人だけがミステリぢやない。そんなことは当り前なんだけど。謎があつて、謎を解く、その過程の面白さは充分ある。天下りの部署にしがみ付く元幹部はなぜ居座らうとするのか。これが「陰の季節」といふ短篇で、これで松本清張賞を受賞してゐる。兎に角、文章が気になる。馴染めない言ひまはしがあちこちにあるのだ。そこのところを書きたいが、なら自分で書いてみろ、と言はれさうなのでいまは触れない。→やつぱり気になつて仕方がないので書いてしまはう。取り敢へず「陰の季節」の冒頭3行。そのまま引用する(著作権に引つ掛かるかな)。
「春も間近の風音も、この部屋までは聞こえてこない。窓は閉め切られ、隙間なく引かれたカーテンにも厚みがある。空調は働いているようだが、耳障りな音の割りに効いていないことは、ここで半時もパソコンを叩いていればわかる。」
先づ書き出しの「春も間近の風音」の意味が解らなかつた。春を知らせる風の音といふことかな、と気づいたのは全部読み終はつてから。続く「隙間なく引かれたカーテンにも厚みがある。」なら、カーテンの素材や色を書けばいいのではないか。或は、厚手の黒い(例へば)天鵞絨のカーテンが隙間なく引かれてゐる、ではダメなのか。最後の「耳障りな音」で空調が働いてゐることは半時以上そこにゐる人物には充分解つてゐるのになぜ断定しないで「空調は働いているようだが」と曖昧にするのか。
その数行後で、D県警本部の警務課別室を警務課員以外の警察署員は「人事部屋」と揶揄する、と書かれてゐるんだけど、それが揶揄してる呼び方とは受け取れない。警察内ではさうなのか。もつと他にもあるんだけど、長くなるので止めるが、「馬鹿殿よろしく大抜擢を乱発する本部長が」の馬鹿殿つて、志村けんの馬鹿殿のことかと思つてしまつたが、この例へが必要だらうか。(2012.12.31)
「春も間近の風音も、この部屋までは聞こえてこない。窓は閉め切られ、隙間なく引かれたカーテンにも厚みがある。空調は働いているようだが、耳障りな音の割りに効いていないことは、ここで半時もパソコンを叩いていればわかる。」
先づ書き出しの「春も間近の風音」の意味が解らなかつた。春を知らせる風の音といふことかな、と気づいたのは全部読み終はつてから。続く「隙間なく引かれたカーテンにも厚みがある。」なら、カーテンの素材や色を書けばいいのではないか。或は、厚手の黒い(例へば)天鵞絨のカーテンが隙間なく引かれてゐる、ではダメなのか。最後の「耳障りな音」で空調が働いてゐることは半時以上そこにゐる人物には充分解つてゐるのになぜ断定しないで「空調は働いているようだが」と曖昧にするのか。
その数行後で、D県警本部の警務課別室を警務課員以外の警察署員は「人事部屋」と揶揄する、と書かれてゐるんだけど、それが揶揄してる呼び方とは受け取れない。警察内ではさうなのか。もつと他にもあるんだけど、長くなるので止めるが、「馬鹿殿よろしく大抜擢を乱発する本部長が」の馬鹿殿つて、志村けんの馬鹿殿のことかと思つてしまつたが、この例へが必要だらうか。(2012.12.31)
2012-12-04
2012-12-02
2012-11-30
ヒラリー・ウォー/山本恭子訳「失踪当時の服装は」創元推理文庫(500・used)エド・マクベインの87分署シリーズよりもまへに書かれた警察小説。1952年の作。章立てではなく、日を追ふ形で進む。行方不明になつた女子大生を調べる警察の動きがドキュメンタリーのやうに書かれて行く。署長のフォードとバートン巡査部長とのやり取りはちよつと聞き苦しいところもあるが、誰が真犯人なのか、女子大生はどうなつたのかなどの謎解きの部分もあり、名探偵が一気に解決する本格物とは違つて現実味があつて面白い。真犯人を捕まへに行くところで終るのが、ちよつと残念だつた。amazonでヒラリー・ウォーの本を調べたら絶版が多くて3冊中古を纏めて購入したうちの1冊。状態はかなり焼けてゐるけれど、まあまあ。P312、フォード署長の長い台詞の中に「柔道なんてものは、空手で三秒間に人が殺せる」といふ発言があり、柔道と空手がごつちやになつてる。当時のアメリカ人にとつては、そんな認識だつたのだらう。
2012-11-27
2012-11-24
佐藤秀峰「新ブラックジャックによろしく」1〜9小学館(490〜498・used)最終巻がなかなか手に入らず半年くらゐ手つかずだつた。前作の続きといふことで期待して一気に読んだが、腎移植に関する物語なのだつた。確かに表紙をよく見れば、巻数の左に【移植編】と書いてある。エゴの塊、斉藤英二郎が多くの人たち(恋人、家族)を巻き込んで大暴れする。実際暴れるワケぢやないけど、本人は苦しんだり悩んだりしてると思つてるやうだが、実際、腎臓を一つ赤木──この人もかなりのエゴイストで曲者だが──に差し出したくらゐで、なに一つ傷つくこともなくやりたいことをやり通したのは大暴れと言つてもいいだらう。読後にいろいろ思ふところ、感じるところもあり、具体的には纏まらないので、後でもう一度読んだらはつきりするかもしれない。何れにしても、その世界に引き込む力は凄いね。絵も緻密だし。
2012-11-21
2012-11-20
2012-11-10
2012-11-06
2012-11-03
ジョルジュ・シムノン/秘田余四郎訳「リコ兄弟」ハヤカワ・ミステリ(478)ギャングの世界に生きる3人兄弟の話で、一番下のトニィが結婚して堅気にならうとして行方を眩ます、長男でその世界にどつぷりつかりそれなりの地位にあるエディがさらに上の親分からの命令で弟を探す。日本の任侠映画みたいな設定なんだけど、娯楽の要素がないので重苦しい。しかもシムノンは人物の行動について答へを出さない。例へば始めのはうでエディ(殆どエディの目を通して語られるのだ)が彼の親分であるボストン・フィル(オーケストラにかけた洒落かと思つたが違ふみたいだ)からの電話で、どうしてフィルは何の意味もない沈黙を挟むのだらう、と疑問に思ふのだが、なぜかは語られない。ほかにも幾つもの箇所で、彼はかう思つてゐるのだらうか、これはかういふことなのか、とエディは自問するけれど答へはない。だから最後にトニィはどうなつたのか、一切書かれない。予想はつくけれども。
2012-10-31
2012-10-27
2012-10-22
2012-10-20
2012-10-19
2012-10-16
小峰元「アルキメデスは手を汚さない」講談社文庫(471)東野圭吾がこの小説との出会ひが運命を変へたと帯に書いてゐる。まへに読んだエッセイにも、本嫌ひの高校生だつたが、この本を読んでから本を読むようになつた、と書いてゐる。だから読んだ、ワケでもない。まつたく関係ないとは言はないが、題名は知つてゐたし、扱はれてゐる時代がどうもオレが高校の頃とダブるやうなので読まうと思つた。昭和48年度の江戸川乱歩賞受賞作で、当時オレは高2だ。こんな風に大人からは見られてゐたといふことだらうか。ちよつと違ふ気がするが。何れにしても、後味が悪い。美沙子はどうして死んだのか、刑事の推理しか書かれてゐない。毒入弁当の砒素系農薬の入手方法も書かれてゐない。P85「さきほど柴本が"彼らは発想の次元が違うと嘆いた"」と書いてあるが、遡つても見当たらない。見落としてゐるのかも。些細なことが気になる。乱歩賞受賞作は続けて読んだ時期があり、もしかしたら読んでゐるかも知れない。
2012-10-14
東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」集英社文庫(470)筆者の中学高校時代のことを書いたエッセイ集。年齢が近いせゐか、面白く読んだ。その中で、P114「F高校は日本で最初の服装自由高校となったのである」とあるが、母校渋高も当時は服装自由で、年齢からすれば渋高のはうが一、二年早い。P210「鈍く黄銅色に光る巨大な容器を」とあるが、黄土色ではないか。言ひたいことは解るが、色の種類としては「黄銅」ではなく「黄土」だと思ふ。広辞苑によれば「黄銅」=「真鍮」とあり、真鍮の色といふ意味なのだらうか。P83からの「つぶら屋のゴジラ」を読んでゐたら、大昔、小学生の頃のことが突然蘇つた。まつたく忘れてゐたことで、恐らくこの本を読まなかつたら思ひ出さなかつたらう。それは近くの映画館で募集した怪獣の絵のことだ。オリジナル怪獣の絵を書いて応募し、入賞すると(たぶん)映画の無料券を貰へるといふものだつた。オレは張り切つて応募し、見事入賞。どんな怪獣の絵だつたか思ひ出せない。もう一人入賞者がゐて、記憶がはつきりしないが中学の美術部で一緒になつた人だと思ふ。で、商品の映画の無料券を貰つたのだが、それで何を見たのかは思ひ出せない。オレの書いた怪獣の絵ともう一人の絵が映画館の入り口に張られてゐたのを覚えてゐる。更にその映画館はオレたちの書いた怪獣に名前を付けるといふ募集をした。オレはそれにも応募した。どんな名前だつたかは覚えてゐない。で、またしても入賞。どつちの募集も一体どれくらゐの応募人数だつたのかは知らない。少なかつたのだらうね。商品はやつぱり映画の無料券で、今度は四谷怪談だつたか、幽霊がでてくる映画で、当時は一人でトイレに行くのもビビるほどの怖がりだつたから、見に行ける筈もなく、誰かに譲つたか、無効にしてしまつた。
2012-10-13
2012-10-07
2012-10-05
2012-10-02
深沢七郎「みちのくの人形たち」中公文庫(466)一つ読みをはると続けて次のが読めない。8月のすゑに衝動買ひした。それから間もなく読み始めたのに、こんなに時間がかかつてしまつた。解説を先に読むのは悪いクセだが、これも荒川洋治の解説を先に読んでゐる。荒川洋治と言へば、ずゐぶんまへにTBSラジオで、永六輔の番組だつたかに時折出てゐた。どんな話をしたかは忘れたが詩人であること、そして名前は記憶してゐた。序でに荒川洋治をwikipediaで調べたら、下のはうに関連項目としてゲド戦記挿入歌に対する批判、といふのがあつて、これをクリックすると、萩原朔太郎の「こころ」といふ詩に似すぎてゐる云々の批判を行つた、と出てゐた。朔太郎の詩は純情小曲集にあるので調べられたが、批判の内容がもつと知りたくなつて近隣の図書館で荒川洋治の本を置いてあるところを調べた。共著や編者としてではない著作が大泉3冊、館林6冊、邑楽町11冊だつたので、邑楽町の図書館へ出かけて纏めて借りて来た。なんといふ本だつたか忘れたが、確かに出てゐて、そんなことをしてゐるうちに時間を食つてしまつたのだ。深沢七郎と言へば「楢山節考」で内容は言ふまでもなく、この題名も独特だ。吉田健一が批判的だつたと丸谷才一が書いてゐたのを読んだ気がするが気のせゐだらう。この「みちのくの人形たち」も独特だ。文章も変なところがあつて、読み難いがなんとなく解つてしまふ。見た目は古臭くて下手糞な文章で、けして読み易くはないし、在り来たりな形容や、意味の分からぬ行替へや飛躍だらけの小説だが、読みをへると新鮮な驚きがある。どんなに書き方に工夫しようが、至る所に死が顔を覗かせてゐる、これは死をめぐる本である。
窪之内英策「特選幕の内」小学館ヤングサンデーコミックス(465・used)短いものから少し長いものまでを集めた「傑作集」。聞いたこともない名前の作者だつたが、BookOff朝倉店できのふ見つけた。題名もさうだが、頁の頭に幕の内弁当の絵があつて、おしまひに食べをへた弁当箱の絵。在り来たりと言へばさうだが。最初の「ラプラス」を読んで、ここで読んでしまつては勿体ないと思つた。ゆつくりウチで読みたい、と。この「ラプラス」が半分近い分量を占めてゐる。それだけ読ませる。線が綺麗で、特にコマを含めて定規で引いた直線がないことで、柔らかい印象がある。「HELP!」と「OKAPPIKI EIJI」は「ラプラス」とは線が違つてゐて、誰かに似てると思はせるが、誰だらう。いづれにしても大友克洋以降で、細野不二彦が似てる気がするけど。かういふとオリジナリティがどうした、独創性があるない、といふ話をオレが言つてると思はれてはしないか、気になるのだが、基本的に似てるつてことを否定的に考へてない。wikipediaで調べたら「ツルモク独身寮」つていふのを書いた人なのだ。これは聞いたことがある。読んだことはないけど。それと、あとがきの中で「まんが」を「まむが」と表記するのはどうなんだらう。「漫」は「まん」でいいんぢやないか。そこに込めてるものがオレには伝はらない。
2012-09-20
古今亭志ん朝「もう一席うかがいます」河出書房新社(464・邑楽町図書館)「世の中ついでに生きてたい」と同じく対談集。志ん生絡みの話がたくさん語られる。朝太の頃、近藤日出造との対談から始まる。ほかに佐藤陽子、山田洋次、安達瞳子、手塚治虫、太地喜和子、檀ふみ、野末陳平、山川静夫、寺田農、金原亭馬治(十一代目馬生)、村松友視。なんと言つても太地喜和子との対談がいい。色つぽくて、しかもかはいさがある。と山川静夫との対談で東京で関西弁は聞きたくないといふ話。確かに方言はさうだ、その土地で聞くのがいい。オレも20歳の頃に青森へ行つたとき、電車の中で青森弁で喋る女子高生を見て、いいなあ、と感じた。女子高生だつたからかも知れないが。──が、では東京弁はどうなんだらう。また逆に関西にとつてそこで聞く東京弁、標準語といふものは違和感がないのだらうか。
PS.「世の中ついでに生きてたい」の対談相手は、山藤章二、十代目馬生・結城昌治、池波正太郎、池田弥三郎、結城昌治、中村勘九郎、荻野アンナ、江國滋、中村江里子、林家こぶ平(現・正蔵)でした。
PS.「世の中ついでに生きてたい」の対談相手は、山藤章二、十代目馬生・結城昌治、池波正太郎、池田弥三郎、結城昌治、中村勘九郎、荻野アンナ、江國滋、中村江里子、林家こぶ平(現・正蔵)でした。
2012-08-25
2012-08-18
2012-08-12
2012-07-15
黒川博行「キャッツアイころがった」創元推理文庫(459・used)久し振りに旨い料理を食つた気がする。クリスティの後でも、さう思ふ。これで9冊目。短篇集2冊、後は長篇。一つも外れがない。三島の「禁色」が旨さうに見える高級料理で、でも食べてみたら食堂の入り口にある食品サンプルみたいに味もしない、満腹感もない料理だつた、と言つたら失礼か。いや、こつちが歯がぼろぼろで舌も味覚を失つてゐるのかもしれない。元宝石ブローカーの山本の話は重いね。P119低賃金で宝石採掘現場で働くガリガリに痩せた労働者が、様子を見に来ただけのブローカーが貧しい弁当を覗き込むと、食べるかい、といふやうに差し出す。そんなことは物語とは直接関係ないので書かなくてもいいんだけど、書く。さういふところが黒川博行だな。これまでずつとBookOffだつたので、こんだけ楽しませて貰つたからには、今度こそ定価の文庫、いや単行本を買ひますから。京都で言ふお愛想ではありません、けして。
2012-07-14
アガサ・クリスティ/深町眞理子訳「ABC殺人事件」創元推理文庫(458)。黒川博行の「キャッツアイころがった」を入手したので読み始め、いつものやうに解説をパラパラめくつたら、クリスティの「ABC殺人事件」を読んでからのはうが良いらしいのでAmazonで買つて読んだ。ま、イレギュラーな読書といふことになる。クリスティはどれも読み易い。ポワロがときどきホームズ風のお喋りをするのが鬱陶しいところもあるが、……。不明な点が幾つか。P90語り手へイスティンクズは2日ほどロンドンを離れてゐて、22日の午後に戻つたと書いてあるが、7月21日に最初の事件があつて、ポワロと二人で現場に行つてるんだから、日が違ふのでは?P104カーター警視と覚しき人物の発言「白いドレスを着た娘が、」だが、そのまへにはどこにも被害者が白いドレスだつたとは書いてない。必ず事前に被害者の服装を記述しろとは言はないが、唐突だつたので。P274これから事件が起こるかもしれない競馬場で、なんでそのタイミングでクラークは兄からの手紙をポワロに見せたのか。
2012-07-11
2012-07-02
2012-06-30
2012-06-13
田中正明「パール判事の日本無罪論」小学館文庫(455)東京裁判(極東国際軍事裁判)でただ一人、被告全員無罪の判決を出したインドのパール判事に関するもの。P223〜224にかけて、原爆投下やソ連の侵攻も日本の侵略戦争を終熄させるためのものであり、悪いのは日本の軍国主義である、と考へる日本人が多くゐることに対して筆者は嘆いてゐるが、オレの中学高校時代にはオレを含めて概ねまはりの誰もがさう考へてゐただらう。いまは違ふ。が、いまでもさう考へてゐる人たちは多いのかもしれない。実は日本は悪質な手段で戦争を仕掛けられ、恰も真珠湾を奇襲攻撃したかのやうに情報操作され、敗戦後も「真相箱」といふ洗脳まがひの報道や、この東京裁判により、多くの捩ぢ曲げられた歴史を信じ込まされてきたのだ。A級戦犯とはなにか。靖国参拝がなぜ悪いのか。そもそも東京裁判とはなんだつたのか。自分で手に入る資料や書物を読み、考へて答へなくてはならない、日本人として。恐らくいまでも、オレがこれまで知り得た戦争までの経緯や戦後の策略などは学校では教へてゐないだらう。東京裁判と真相箱は貴重な歴史の手掛かりだ。所詮日本人は黄色い猿だと思つてゐる白人は多いのだらう。日本人にしてからが、同じアジア諸国の人たち、例へばフィリピンやインドネシアの人たちよりも日本人のはうが上だと思つてゐるフシがある。情けないことに、オレにはまつたくないとは言ひきれない。
2012-06-12
高野文子「棒がいっぽん」マガジンハウス(454)。最初の「美しき町」は当然堀辰雄の「美しい村」の題名が念頭にあつたでせう。中身は勿論違ふ。最初の、ページを跨いだ4コマ、凄い、いいねえ、この人の漫画は素晴らしい、と感嘆した。小説では絶対こんなことは出来ない。映画なら可能だらうけど、見開きの本のやうに直ぐにコマ(映像ならシーン)を戻れないから、やはりこれは漫画にしか出来ないことなのだ。どの作品も見事で、読みをへるのがをしかつた。とりわけ「バスで四時に」の始めのはうでマキコちゃんがバスに乗り込みステップを上がる、まへのはうへ移動する、これが1ページに2コマで書かれてゐるのだが、この視点の角度と時間の流れ。インターネットで高野文子を検索したときに見つけたページで、なんといふ題名なのかを更に調べ、この作品集にあつたので早速これを買ふことに決めたのだ。この絵で決めたと言つてもいい。どうしても読みたい、手に取つて読みたいと思つたのだ。P68の右下の座席にすはらうとする絵の姿勢、次のやや見上げる感じて正面からマキコちゃんを書いてゐるが、その膝が綺麗だ。更にP71発車したバスの中の3コマ、最後のコマのアングルは予想もしなかつた。挙げたらキリがない。「奥村さんのお茄子」は一番長いが、これもまた吃驚(びつくり)。こんな風に過去の1シーンを切り取つて隅々まで辿れたらどんなに面白いだらう。冒頭、P138〜139への視点の寄り方にも唸つてしまつた。これが1994年の作品。この作品集の不思議なタイトルはこれを読めば納得する(納得はできないけど、根拠は示される、ポストの裏に書いてあるぢやないか!)内容もさうだが、オレは兎に角絵が凄いと思つた。他の作品もほしいが、まだ見落としてるところがあるやうな気がするので、暫くこれをときどき手に取つて眺めてゐたい。蛇足ながら、上田としこの絵に似てると思ふ。
2012-06-04
ジョルジュ・シムノン/三輪秀彦訳「猫」創元推理文庫(453)これはシムノンが64歳の頃に書かれたものだ。主人公の夫婦は夫エミール・ブワン73歳、妻マルグリット71歳。シムノンにとつてはSFである。主な人物はこの二人。そして猫と鸚鵡。老夫婦の陰惨な確執──と言つてしまつたら、この小説の値打ちを下げるだらう。これこそ談志の言ふ人間の業の肯定だ。お互ひに殺したいほど相手を憎みながら、代りに猫や鸚鵡を殺すのだが、本人が気づかないところで相手を必要とし(これほどの反発や無視は却つて真意の裏返しである)、そのままの自分を受け入れてほしいと思つてゐる再婚同士の老夫婦の日々だと読めた。心理をあれこれくどくど説明する文章は省かれてゐるので想像しながら補ふしかないが、読みながらオレはこの二人と一緒の世界にゐた気がする。つまり彼らの部屋の片隅で息をしながら彼らの動きを見てゐたやうに思ふ。ⅦのをはりからⅧにかけて解り難いところがあるので、もう一度そこんところを読み返さう。一体マルグリットは死んだのかい?シムノンは、いい。でも、すつと入れるときと、さうでないときが歴然とあるので読み始めるタイミングが難しい。
2012-06-02
古今亭志ん朝「世の中ついでに生きてたい」河出文庫(452)衝動買ひ。見つけた途端に欲しくなつた。で、一気に読んだ。志ん朝の対談集で、当然のことながら父志ん生にまつはる話(なんと兄馬生と一緒に志ん生一代を書いた結城昌治との対談もある)から落語に対する思ひが語られてゐて面白いんだけど、なぜか志ん朝の声は聞こえないんだなあ。生の、あの志ん朝の口調ではない。文字にはできないんだらうなあ。なつた積もりで読めば、なんとなく。談志をめぐる話も出て来る。本物見たし、一緒の写真も撮つて貰つたし。でもその写真が見つからないんだよなあ、悔しい。志ん生を知らない子どもたち、つていふシャレがあるけど、いまぢやあ志ん朝を知らない子どもたちなんだから、悲しい。志ん生一代、もう一回読むかなあ。
川端康成「雪国」新潮文庫(×2)むかーし読んだことがあるので、再読。殆ど覚えてない。駒子はかはいい人だなあ、といふ印象だけ残つてた。後は関水のことをhiko8さんに指摘されて、もう一回読むかなあ、と。三島の「禁色」でへとへとだつたし。ゆつくり読み返しても、よく意味がわからない小説。特に駒子と島村の男と女の関係が具体的に書かれてゐないからね。ここはさうなのかなあ、と推理するしかない。例へばP30の最後の3行目「突然激しく唇を突き出した」、の次の「しかしその後でも、寧ろ苦痛を訴える譫言のやうに」のあひだで、なにかあつたと推察できる。P31の中程、「私が悪いんぢやないわよ、(略)」などと口走りながら、よろこびにさからふために袖をかんでいた。──といふ辺りは、さういふ状態なんかなあ、と。具体的にさう言ふ場面が書かれてゐないので、話が飛んでる気がした。
ほかにも幾つか、さういふことがあつたんかなあ、と思へる場面はある。兎に角駒子がいいね。映画になつたのは、最初のは見てなくて、木村功が島村を演つて、駒子が岩下志麻だつた。駒子と言へば岩下志麻。これは覆せない。どんな人が演じても。読み返した理由の一つに、まあ、どうでもいいことだつたけど、あるとき石垣純二の常識のウソといふ本で、雪国の中に生理中に交はるところがある、と書いてあつたのを思ひ出した。で、そんな場面があつたなあ、と確かめようと思つたのも読み返した些細な理由。記憶になかつたからね。で、ゆつくり読んだつもりだけど、該当する場面はわかりませんでした。それにしても駒子はかはいい。
2012-05-30
2012-04-20
マーク・エリオット/古賀林 幸訳「闇の王子ディズニー」上下・草思社(449.450・used)読了。2週間近くかかつた。どうも好きになれない人物ウォルト・ディズニーの伝記。どう理由をつけても、それは妬み、嫉みの類ひなのだらう。ただ一つ、強く印象に残つてゐるのは、どこかの小学校で卒業生が記念にプールの底にミッキーマウスの絵を書いて、それもまた呆れた話ではあるけれども、それを知つたディズニーの会社が著作権侵害だと訴へたとか、申し入れたとかといふ新聞記事で、この本を読むと、さうしたイザコザはディズニーには相応しいかも知れないと納得する。大勢のアニメーターのまへで、身振り手振りを交へ、一人で凡ての登場人物をこなして白雪姫の話を最初から最後まで演じてみせるといふ熱意といふか演技力には驚くし、ミッキーマウスを作つたのは友人だつたアブ・アイワークスだつたとしても、殆どアニメの作画には直接かかはらなかつたにしても、やはりディズニーは優れた才能の持ち主だつたのだ、と知る。FBIの連絡員で、赤狩りで仲間を売つたり、反共主義者でユダヤ人嫌ひで、労働組合潰しで、安い賃金でスタッフをこき使ひ、男女差別者で、手柄は全部独り占めで、アルコール依存症で、ヘビースモーカーだつたディズニーの姿は、読んでゐるあひだ反発も感じたけれども、それだけ生きた人間として描かれてゐる。
2012-03-30
2012-03-19
中町信「飛騨路殺人事件」(×2)。出版社も記入してたけど、再読は要らないね。中町信を読み返したくなつたのは、バリンジャーを読んだから。バリンジャーとの関連は折原一の解説による。なんの解説だつたらう。調べるのが面倒だ。兎に角、ぢやあ、それで中町信の何を読まう、と以前のこのブログ記事を拾ひ読みして、取り敢へず、これを選択。途中である程度思ひ出したけど、犯人は覚えてなかつた。登場人物たちの会話に真犯人探しが振りまはされるのは相変はらずの中町パターン。刑事の発言も素人探偵並みに推測ばかりなのも、いつものことだ。断定的な推理をするから次の殺人が起ると言つてもいい。真犯人のまへに犯人扱ひされる人物のはうが動機として無理がないのでは?このダイイングメッセージは見事だと思ふ。
2012-03-18
ビル・S・バリンジャー/大久保康雄訳「歯と爪」創元推理文庫(447・used)。終りのはうが袋とぢになつてゐて、ここでやめられたら料金をお返しします、と書いてある。これは中古本なのに、袋とぢがそのままで105円だつたから買つたのだが、やめられた人はゐたのである。或はまつたく読まなかつたか。書店で換金できなければ、わざわざ出版社に送る人は少ないだらう。文庫だし。法廷場面と犯人、被害者と思はれる人たちの行動などが交互に書かれ、最後に一つの話になつてゐる。まへに読んだ煙で描いた肖像画もおんなじ作りだつた。意外なトリックだつたけど、袋とぢのまへでもやめられたやうな気がする。解説も、植草甚一の「雨降りミステリ」でも傑作といふ評価だけどね。
2012-03-05
2012-02-25
2012-02-10
2012-02-06
望月峯太郎「ドラゴンヘッド」1〜10講談社ヤンマガKCスペシャル(433〜442・used)。←ここに「。」を付けたり付けなかつたりしてる。どつちでももいいけど。バタアシ金魚は読んだことはなく、座敷女と鮫肌女と桃尻娘しか読んでない。バイクメ〜〜ンは全部ぢやないけど読んだことがある。で、この人の絵は好きなので長いのを一つ読みたい、と思つてた。けれども、バタアシはなにせ古いから状態が悪く、これはamazonで全巻一括セットで出てたので手に入れた。面白いんだけど、かういふパニックものをなぜ書いたのだらう、といふことばかりが気になつた。二十世紀少年と連載時期が一緒なのか(あとで調べてみよう)。絵は好きなんだけど、残念ながら、もう一度通して読む気にはならないやうな気がする。
2012-01-29
睦月影郎「杜をぬけると」宝島社文庫(432・used)いはゆる官能小説。アポリネールの「若きドン・ジュアンの冒険」(題名が違ふ?)とか「ファニー・ヒル」(吉田健一訳)とか読んでるので、かういふ小説ははじめてではないが、日本のものでは初めてかな。祠を抜けたら400年まへの江戸初期で、といふSF的な展開の官能小説。面白かつたけど、性行為の描写のところ、コピー&ペーストで枚数稼げるんぢやないかと思はせる部分が幾つかありました。もつといろんな人が書いてゐるので読んでみたいと思つた。因みに、なんで睦月影郎かと言ふと、偶然wikipediaで知つたのだが、生年月日が同じなので機会があつたら読んでみたい、と。で、これも偶然BookOffで見つけたもので。
2012-01-27
佐藤雅彦「毎月新聞」中公文庫(431・used)。毎日新聞に掲載されてゐたときに何回か読んだことがあつて、なかなか面白かつた記憶があつた。文庫になつてゐたのは知らなくてBookOffで見つけたので買つた。表紙になつてる「じゃないですか禁止令」。じやないですか、といふをかしな言葉は東海林さだおがずゐぶんまへに取り上げてたと思ふ。因みに毎月新聞のこれは1988.10.21付で、自信はないが、東海林さだおのはうが先ぢやないかなあ。12号「文化の芋がゆ状態」、15号「楽しい制約」、16号「ネーミングの功罪」、28号「三角形の内角の和が180°であることの強引な証明」、34号「真夏の葬儀」などが面白かつた。だんご三兄弟の作者の一人で、いまもNHKの「ピタゴラスイッチ」にもかかはつてゐるさうだ。
2012-01-23
2012-01-22
2012-01-19
2012-01-17
2012-01-14
2012-01-09
2012-01-04
酒井雄哉「一日一生」朝日新書(×4)1年の始まりはやはり大阿闍梨のこの本から。P49「命が残されているっていうことは、今何歳であろうと、まだまだしなくちゃなんないことがあるのとちがうかな」、P81「何をやるにしても「何のために、何をもって」と考える」、常行三昧のあとでP174「習慣っていうのは(毎日立ったまま歩き続けてお経を唱えていると、修行を終えて横になったとき、天井が目の前に立ち塞がる壁に見えた)それくらい人の感覚を狂わせてしまう」「人間のものの見方や心のありようっていうのは、いろんなものでどうにでも左右されちゃうということ」「だから自分から見て、どんなに正しいと思えることでも、もしかしたらいろいろなことにとらわれてそう見えるのかもしれない。自分がどんな立場でそれを見ているのかということをいつもいつも確かめないといけない」。(引用ばかりで著作権に触れるかも)
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