2007-10-30

87.外套・鼻

ゴーゴリ/平井肇訳・岩波文庫
後藤明生の「挟み撃ち」の始めのはうにゴーゴリの「外套」の話が出て来る。ゴーゴリの名前は聞いたことがあつた。後藤氏は二十歳の頃にこの「外套」と「ネフスキー大通り」を読んで「ゴーゴリ病」にかかり、早稲田露文(因みに東海林さだおも早稲田の露文で、後藤氏の卒業が1957年、東海林氏は1937年生まれで一浪後の入学なので辛うじて重なる?)の卒論は「ゴーゴリ中期の中篇小説」だつたとみづからの年譜に書いてゐる。一度、どんなものか読みたいと思つてゐた。正直なところ、ゴーゴリ病にはならないやうだ。ほかにも読みたいとは思はなかつたから。漸く手に入れた外套をその日のうちに奪はれ、病気で死んでしまつたアカーキー・アカーキエヴッチが幽霊になつて、といふ話である。鼻のはうは或る朝コワリョフといふ男の鼻が取れてしまつた、といふカフカの「変身」的なもの。内容については書かれた年代(ゴーゴリ1809-1852)を思ふと斬新かも知れないが、訳の日本語に時代差を感じる。

2007-10-20

86.夜の訪問者

プリーストリー/安藤貞雄訳・岩波文庫
簡単な25までの数字をまちがへてゐた。21の「奥利根殺人行」の次がやはり「21. 湯野上温泉殺人事件」となつてゐたことに、ついさつき気がついたのだ。なので、ひとつづつ順繰りになほした。
これはきのふ読みをへた。一昨日、殆ど読みをはつてゐたのだが、最後のドンデンがへしのところを読みなほした。題名について一言、先に書いておく。原題は an inspector calls で、警部の来訪。最初の翻訳(1951年)が「夜の来訪者」で、それが含蓄的だと解説にあるが、「警部の来訪」もまた含蓄的だと、オレは思ふんだけど。……裕福な、と説明してある四人家族と娘の婚約者が一同に介した夕食の後、とつぜん警部が訪れる。警部が伝へた家族の誰もが知らなかつた筈の若い女の自殺事件に四人の家族がしだいにかはつて行く。そして一つの解決。更にドンデンがへし、と言つてしまつたら読み手の興をそいでしまふか。一気に読ませる。短い作品なので、半日あれば読めるかも。
ホントに一箇月ぶり最後まで一冊読んだ。「アメリカの鱒釣り」と「見知らぬ乗客」が途中まで。「幕末・維新」が1/3くらゐ。「フランドルへの道」が第一章まで。「1984年」が半分くらゐ。「クリシーの静かな日々」が最初の「マドマゼル・クロード」を読んだだけ。「マルーシの巨像」が22頁まで。中途半端なのはそれだけかな。やつぱキチンと最後まで読まないと。途中、ちよつと忘れたり、大事なところを読み飛ばしたりしたとしても。