2012-06-30

稲光伸二「フランケンシュタイナー」BIG COMICS IKKI(456・used)タイトルが面白さうだつたのと一巻本だつたので買つた。絵はまあまあだが、内容はいま一つ。次期総理と目される政治家とその娘の確執といふ風な話。娘の狼藉振りがあまり頭のいい子に見えないのと、父親の顔が政治家といふより昔のヤクザ風なのが、ちよつと。

2012-06-13

田中正明「パール判事の日本無罪論」小学館文庫(455)東京裁判(極東国際軍事裁判)でただ一人、被告全員無罪の判決を出したインドのパール判事に関するもの。P223〜224にかけて、原爆投下やソ連の侵攻も日本の侵略戦争を終熄させるためのものであり、悪いのは日本の軍国主義である、と考へる日本人が多くゐることに対して筆者は嘆いてゐるが、オレの中学高校時代にはオレを含めて概ねまはりの誰もがさう考へてゐただらう。いまは違ふ。が、いまでもさう考へてゐる人たちは多いのかもしれない。実は日本は悪質な手段で戦争を仕掛けられ、恰も真珠湾を奇襲攻撃したかのやうに情報操作され、敗戦後も「真相箱」といふ洗脳まがひの報道や、この東京裁判により、多くの捩ぢ曲げられた歴史を信じ込まされてきたのだ。A級戦犯とはなにか。靖国参拝がなぜ悪いのか。そもそも東京裁判とはなんだつたのか。自分で手に入る資料や書物を読み、考へて答へなくてはならない、日本人として。恐らくいまでも、オレがこれまで知り得た戦争までの経緯や戦後の策略などは学校では教へてゐないだらう。東京裁判と真相箱は貴重な歴史の手掛かりだ。所詮日本人は黄色い猿だと思つてゐる白人は多いのだらう。日本人にしてからが、同じアジア諸国の人たち、例へばフィリピンやインドネシアの人たちよりも日本人のはうが上だと思つてゐるフシがある。情けないことに、オレにはまつたくないとは言ひきれない。

2012-06-12

高野文子「棒がいっぽん」マガジンハウス(454)。最初の「美しき町」は当然堀辰雄の「美しい村」の題名が念頭にあつたでせう。中身は勿論違ふ。最初の、ページを跨いだ4コマ、凄い、いいねえ、この人の漫画は素晴らしい、と感嘆した。小説では絶対こんなことは出来ない。映画なら可能だらうけど、見開きの本のやうに直ぐにコマ(映像ならシーン)を戻れないから、やはりこれは漫画にしか出来ないことなのだ。どの作品も見事で、読みをへるのがをしかつた。とりわけ「バスで四時に」の始めのはうでマキコちゃんがバスに乗り込みステップを上がる、まへのはうへ移動する、これが1ページに2コマで書かれてゐるのだが、この視点の角度と時間の流れ。インターネットで高野文子を検索したときに見つけたページで、なんといふ題名なのかを更に調べ、この作品集にあつたので早速これを買ふことに決めたのだ。この絵で決めたと言つてもいい。どうしても読みたい、手に取つて読みたいと思つたのだ。P68の右下の座席にすはらうとする絵の姿勢、次のやや見上げる感じて正面からマキコちゃんを書いてゐるが、その膝が綺麗だ。更にP71発車したバスの中の3コマ、最後のコマのアングルは予想もしなかつた。挙げたらキリがない。「奥村さんのお茄子」は一番長いが、これもまた吃驚(びつくり)。こんな風に過去の1シーンを切り取つて隅々まで辿れたらどんなに面白いだらう。冒頭、P138〜139への視点の寄り方にも唸つてしまつた。これが1994年の作品。この作品集の不思議なタイトルはこれを読めば納得する(納得はできないけど、根拠は示される、ポストの裏に書いてあるぢやないか!)内容もさうだが、オレは兎に角絵が凄いと思つた。他の作品もほしいが、まだ見落としてるところがあるやうな気がするので、暫くこれをときどき手に取つて眺めてゐたい。蛇足ながら、上田としこの絵に似てると思ふ。

2012-06-04

ジョルジュ・シムノン/三輪秀彦訳「猫」創元推理文庫(453)これはシムノンが64歳の頃に書かれたものだ。主人公の夫婦は夫エミール・ブワン73歳、妻マルグリット71歳。シムノンにとつてはSFである。主な人物はこの二人。そして猫と鸚鵡。老夫婦の陰惨な確執──と言つてしまつたら、この小説の値打ちを下げるだらう。これこそ談志の言ふ人間の業の肯定だ。お互ひに殺したいほど相手を憎みながら、代りに猫や鸚鵡を殺すのだが、本人が気づかないところで相手を必要とし(これほどの反発や無視は却つて真意の裏返しである)、そのままの自分を受け入れてほしいと思つてゐる再婚同士の老夫婦の日々だと読めた。心理をあれこれくどくど説明する文章は省かれてゐるので想像しながら補ふしかないが、読みながらオレはこの二人と一緒の世界にゐた気がする。つまり彼らの部屋の片隅で息をしながら彼らの動きを見てゐたやうに思ふ。ⅦのをはりからⅧにかけて解り難いところがあるので、もう一度そこんところを読み返さう。一体マルグリットは死んだのかい?シムノンは、いい。でも、すつと入れるときと、さうでないときが歴然とあるので読み始めるタイミングが難しい。

2012-06-02

古今亭志ん朝「世の中ついでに生きてたい」河出文庫(452)衝動買ひ。見つけた途端に欲しくなつた。で、一気に読んだ。志ん朝の対談集で、当然のことながら父志ん生にまつはる話(なんと兄馬生と一緒に志ん生一代を書いた結城昌治との対談もある)から落語に対する思ひが語られてゐて面白いんだけど、なぜか志ん朝の声は聞こえないんだなあ。生の、あの志ん朝の口調ではない。文字にはできないんだらうなあ。なつた積もりで読めば、なんとなく。談志をめぐる話も出て来る。本物見たし、一緒の写真も撮つて貰つたし。でもその写真が見つからないんだよなあ、悔しい。志ん生を知らない子どもたち、つていふシャレがあるけど、いまぢやあ志ん朝を知らない子どもたちなんだから、悲しい。志ん生一代、もう一回読むかなあ。
川端康成「雪国」新潮文庫(×2)むかーし読んだことがあるので、再読。殆ど覚えてない。駒子はかはいい人だなあ、といふ印象だけ残つてた。後は関水のことをhiko8さんに指摘されて、もう一回読むかなあ、と。三島の「禁色」でへとへとだつたし。ゆつくり読み返しても、よく意味がわからない小説。特に駒子と島村の男と女の関係が具体的に書かれてゐないからね。ここはさうなのかなあ、と推理するしかない。例へばP30の最後の3行目「突然激しく唇を突き出した」、の次の「しかしその後でも、寧ろ苦痛を訴える譫言のやうに」のあひだで、なにかあつたと推察できる。P31の中程、「私が悪いんぢやないわよ、(略)」などと口走りながら、よろこびにさからふために袖をかんでいた。──といふ辺りは、さういふ状態なんかなあ、と。具体的にさう言ふ場面が書かれてゐないので、話が飛んでる気がした。
ほかにも幾つか、さういふことがあつたんかなあ、と思へる場面はある。兎に角駒子がいいね。映画になつたのは、最初のは見てなくて、木村功が島村を演つて、駒子が岩下志麻だつた。駒子と言へば岩下志麻。これは覆せない。どんな人が演じても。読み返した理由の一つに、まあ、どうでもいいことだつたけど、あるとき石垣純二の常識のウソといふ本で、雪国の中に生理中に交はるところがある、と書いてあつたのを思ひ出した。で、そんな場面があつたなあ、と確かめようと思つたのも読み返した些細な理由。記憶になかつたからね。で、ゆつくり読んだつもりだけど、該当する場面はわかりませんでした。それにしても駒子はかはいい。