2007-05-26

ここまでやつて来て、なんの前触れもなく書き方を変へることにした。タイトルに番号と書名、記事の冒頭に著者名といふのはどうも、このブログのタイトルと合はないなあ、とずゐぶん前(と言ふか始めて直ぐくらゐ)から思つてゐたのだ。ときどき読書日記なんだから、番号付けて何冊読んで、つてのは違ふな。──といふわけで、ここから、けふからときどき、読んでる本について書いて行く形を採ることにした。
さて、いま「目からウロコの近現代史」河合敦/PHP文庫(本については書名は鍵括弧付き、続けて著者──敬称略で、今後は凡てさうする──名、出版社名を記入し、次に再読は再、古本はU、再読古本は再Uといふ風にする)を、さうだなあ、かれこれ五日間くらゐ、ちびちび読んでゐるのだが、殆どがエピソードなので、歴史のお勉強としては頼りない。いま5分の2ほど読み進んだ。明治のところ。維新に動いて行く江戸末期から知りたかつたのだが、まあ手頃な入門篇のつもりだつたのだから、文句は言ふまい。著者は1965年生まれの現役の教師である旨、後ろの経歴に記されてゐる。これと「フランドルへの道」クロード・シモン/白水社は第二部の頭のところで滞つてるけど、たまにペラペラと始めから読み直したりしてゐる。あと一つ「数学の広場1数の生いたち」遠山啓/ほるぷ出版もバリンジャーの次に読み始めてゐて、いま第2章連続量のところが間もなく終る51頁で、次は第3章分数と小数。実はほかにヘンリ・ミラーの「クリシーの静かな日々」「マルーシの巨像」を読みかけてゐる。だから現在ほぼ同時進行的に5冊読んでゐることになる。滅茶苦茶だね。

2007-05-13

日常の極楽(再読)

玉村豊男・中公文庫
館林の図書館で単行本を借りて読んだのが最初で、その頃は「料理の四面体」を読んで玉村氏にハマつてゐた。続けて借りては読んでゐた。買へなかつたねえ、本が。CDもだけど(だからブランクがあるんだなあ)。これは古本屋で買つたもの。ハレとケ、特にハレガレの話は面白い。それと制ガン剤の副作用で羊の毛を刈るといふ話は、非常に象徴的な日本の現状、日本人の狂気、エゴを示してゐる。これに比べれば、給食費を払はない親がゐるなんて当たり前でせう。

2007-05-09

73.煙で描いた肖像画

ビル・S・バリンジャー/矢口誠訳・創元推理文庫
これは1950年に刊行されたもので、古典と読んでいいかどうか、ベストテン式に挙げられるミステリー作品はこの頃に書かれたものが多い。或はポオとか、ホームズものなど、もつと古くなる。逆にここ10年くらゐのあひだに書かれた海外のミステリーを読む機会のはうが少ないワケだ。翻訳する人がゐないと読めない。あれだ、パトリシア・コーンウェルなんかは最近の人だ。確か、オレと同い年くらゐの筈。……ま、そんなことはどうでもいい。主人公のクラッシーが17才で手にする美人コンテストの賞金が100ドル。その賞金を作るために地方新聞社の経営者が処分した車の代金が75ドル。クラッシーの婚約者バッカムが抱へたカード負債額1,200ドル。2007年5月の為替レートだと1ドル=120円かな。賞金12,000円、車が7,500円、負債144,000円。しかし、1950年代の物価はどうだつたか、ちよつと調べた。凡そ10分の1。大卒の初任給(公務員)が10,000円に満たない。とすると、賞金120,000円→公務員給料1年分、負債1,440,000円→これは10年分ぢやないか。ちよつと実感があるかな。内容と関係ない話をしてるが、主人公のダニーとクラッシー、この二人の行動が交互に描かれ、最後に一つになる。そこで(後から考へればそれほど意外ではない)クラッシーの行動がダニーを窮地に追ひ込む。事件は解決してないが、ここで終つてほしい。

2007-05-04

72.サミング・アップ

モーム/行方昭夫訳・岩波文庫
これは「要約すると」といふ題名で既に翻訳されてゐたものだと解説にある。「要約すると」が「サミング・アップ」だと知つたのはいつだらう。新潮社の出版カタログにあつたモーム全集のところに「要約すると」があつたのは覚えてゐる。その頃は、恐らく高校を出て直ぐか二十歳ちよつと過ぎくらゐの生意気な盛りだから、通俗的だとかなんとか、なにを通俗的と呼ぶのかすら考へたこともない癖に偉さうにモームは通俗作家だから、と敬遠してゐたものだ。若さとは未熟さだ。吉田氏の言ふ通りだよ。当時はしかし「月と六ペンス」は読んでゐた筈だ。ゴーギャンをモデルにしてるといふことで読んだのだが、主人公の生き方への興味はあつたけれどもモームについては惹かれるものがなかつた。それが「お菓子と麦酒」で一気にオレにとつて重要な作家になつた。それから「コスモポリタンズ」「アー・キン」「女ごころ(丘の上の別荘)」と集めて読んで来たわけだが、そこで漸く「要約すると」=「サミング・アップ」が新訳で出るといふ新聞広告を見て注文したのだつた。読み始めて、意外に手子摺つた。小説では気にならなかつた言ひ回しの灰汁みたいなものを感じてすんなり頭に入らない。訳者の違ひか。簡単な日常英会話すら出来ない癖に、こんなことを言ふのは気が引けるが、例へば「お菓子と麦酒」には「序」があつて、これがなかなか読ませるのだが、ちつとも抵抗なく頭に入る。続く小説の冒頭も、癖のある言ひ回しでストレートに語り始めてはゐないから、ここで躓く人がゐてもをかしくない。さういふ特徴とは違ふものがある。例を挙げよう。著作権に引つ掛かるかな。なるべく短く。要は大抵の人は人生設計が決められてゐて自由がない、と言ひ、かう続く。「こういう設計が、誰かが自分で描こうとした設計図と同じように完全でないという理由はないと思う。」──オレにはこの言葉の意味が呑み込めない。意味不明。読解力がないのか。いや、これは日本語になつてないでせう。英語の正しい翻訳かも知れないが。かういふ文章が何箇所かある。新潮社の全集は中野好夫氏の訳だ。確か「月と六ペンス」も。そつちも読んでみたいが、手に入るかどうか。とても示唆にとんだ内容なので、要再読。この人の新訳で岩波は「人間の絆」上中下を出した。新潮も上下二巻にして出した。モーム、シムノン、グリーン、ハイスミスは重要なのだよ。