2007-12-31

95.奥信濃殺人事件

中町信・FUTABA NOVELS(used)
今年も愈々押し迫り締め括りが中町信になつたのは、ただの偶然。「死者の木霊」を読んでゐて、今年はもう一冊くらゐ読めるかな、と思つたもので、朝倉のBookOffへ行く機会があつたから、内田康夫の本を探したのだが、竹村刑事シリーズ作品のメモを持つてくのを忘れてしまひ、ただ一つ覚えてゐた「萩原朔太郎の亡霊」つていふのがなく、つい「な」のところを見てゐたら、氏家シリーズなのでちよつと躊躇つたが、まだ読んでゐない(筈)のを見つけたので買つてしまつた。最後に密室トリックを持つて来てるけど、それほど鉄壁といふわけでもなく、例によつて早苗の独断的な推理が目障りだが、まあ、いつもの中町作品である。「死者の木霊」が刑事の執拗な捜査と推理だつただけに、中町作品では殆どの刑事がだらしがないのが対照的。因みにどつちも長野が舞台なのも面白い偶然。
今年はあんまり読めなかつたなあ。いつそ来年は極端に絞り込んで月一冊くらゐのペースで、中途半端になつてるのを読了しようかとも思つてゐるが、果たしてどうなるか。気分屋だからなあ、……。

2007-12-30

94.死者の木霊

内田康夫・講談社文庫(used)
一昨年の暮れに「後鳥羽伝説殺人事件」を読んで以来だ。これがデビュー作とある。「後鳥羽伝説」のはうは内容が思ひ出せないので探したけど見つからないから処分したのかも知れない。これは主人公の刑事が竹村と言つて信濃のコロンボといふシリーズになつてゐるやうだ。人物が非常に丁寧に描かれてゐるし、地形や風景なども細かく書かれてゐるから小説としては破綻がないけれども、ミステリーとしてはスリルに乏しい。なんと言つても内田康夫は浅見光彦ものが知られてゐる。確か「後鳥羽伝説」の探偵役は浅見光彦だつたやうな気がする。いづれにしても累計で1億部を超える発行部数を持つ作家の作品は、ちよつと気が引けて手が出せないが、このシリーズは幾つか読んでみたいと思つた。

2007-12-22

93.恐怖の谷

コナン・ドイル/延原謙訳・新潮文庫
ホームズの最後の長篇。4作目。二部構成で、一部二部と別のミステリーとしても読めるやうな気がする。兎に角古い文庫(1984.12.24購入と後ろ書いてある)なので活字は小さいし、インクが飛んでるのか文字が薄くて読みにくかつた。一部のトリックは予想がついてゐた。二部は意外な展開。

2007-12-11

92.バラバラの名前

清水義範・新潮文庫(used)
「配分王」が一番面白かつたが、これは東海林さだおネタだな。ここまでぢやないけど、飯を食ふとき、とくに外食とか弁当の場合、実際オレはペース配分してる。尤も、飯だけ残つちやふのが寂しいから、味気ないといふだけのことだ。「新作落語」は正にその通り。だいたい新作落語の会話で必ず出てくる「君」。そんな言ひかたはしないよ。ただねえ、新作落語を聞くとねえ、なぜかはわからんけれども、源氏鶏太の小説をちよつと連想してしまふ。それと森繁、フランキー堺の映画で駅前シリーズ。駅前シリーズそのものの原案つて、やつぱり井伏鱒二の「駅前旅館」なんだらうけど、全然別ものだよなあ。映画のはうも嫌ひぢやないけど。ほかに全部で8篇収録されてゐて、いかにも清水義範つていふ本でした。読んだあとでいつも感じてしまふのは、面白いんだけど、なんか小説を読んだつていふ気がしない、物足りなさが湧いて来るんだなあ。(蛇足だけど、絶対似てねえよ、と大方の反感を買ふかも知れないが。オレは清水義範は一時期の筒井康隆とダブるのだ)

2007-12-05

91.アメリカの鱒釣り

リチャード・ブローティガン/藤本和子・新潮文庫
とても手子摺らされた小説だつたが、読みをはつて、意味が解る、つて実はどういふことなんだらう、と考へてしまつた。答へは簡単には出せさうもない。兎に角、解説も含めてオレにはよく解らなかつた。ただ、途中で躓いてしまつた「二十世紀の市長」から(兎に角最後まで読むことだと自分に言ひ聞かせながら)ボツボツ読み進めて行くうちに、さうか、これは作者が鱒釣りをしながら考へたこと、或は鱒釣りをしたときのおもひでみたいなことを書いてるんだな、と読むことにしたら、うまく行つた(この文章はブローティガン風かも知れないぞ!)。それから「ネルソン・オルグレン宛云々」のところを読んでたら、漸くわかつた(やうな気がする)。これはナンセンスなのだらう。駄洒落とか。意味で繋がつてゐる一括りの文章として書かれてはゐないんだ、と。比喩などはシュル・レアリスム風だけど、あつちは新たな意味付け、デペイゼされたものが産み出す、これまでとは違つた意味が目的だが、ブローティガンは違ふやうだ。どつちにしても、どうにか読みをはり、なかなか面白かつたな、といふ感想。もう一冊どうですか、と聞かれたら遠慮しとくけど。

2007-11-26

90.西瓜糖の日々

リチャード・ブローティガン/藤本和子・河出文庫
「アメリカの鱒釣り」が滞つてしまつたので、こつちから読むことにした。読みをはつたのは一昨日。西瓜糖とはなにか。なんの象徴か、意図はなにか、言葉の再定義を迫つてゐるのか、と考へて込んでしまふと「鱒釣り」の二の舞だ。そこで不明なものはそのままに、解らないことはそのままにして先へ行かう、みたいな気分で読み進めることにした。さうしたら、ますむらひろしのアニメ(原作は宮澤賢治だけど)「銀河鉄道の夜」みたいに、或はムーミンみたいにこの世界を見ればいいんぢやねえの?と気づいたらスラスラと読めてしまつた。自分を含めた身のまはりにゐる人間として登場人物を捉へなくたつていいワケだ、と、まあ、ひらきなほつたやうなもんだ。動物だつて、いい。さうすりや、目のまへで自分の親を食べてゐる虎とも話が出来るだらう。──さう、結構面白く読むことができた。ただまあ、西瓜糖の世界で暮らす、といふことの意味は呑み込めないけどね。ヒッピーとかフラワーチルドレンとか、ジェーファーソン・エアプレインとか、サイケデリックとか、流行は繰り返すから。

2007-11-16

89.野獣死すべし

ニコラス・ブレイク/永井淳訳・ハヤカワ文庫
同じ題名の大藪春彦のはうは読んだことがある。内容はあまり覚えてないが、伊達邦彦とかといふ主人公だつたかな。面白かつたから、続けて何冊か大藪春彦を読んだのだ。1938年に書かれたものだから、当然こつちのはうが先。この題名は江戸川乱歩が付けたものだ、と解説で植草甚一が言つてるけど、大藪春彦も江戸川乱歩とかかはりがあるんぢやなかつたかな。それは兎も角、ニコラス・ブレイクはペンネームでセシル・デイ=ルイスといふのが本名で、詩人でもある。俳優のダニエル・デイ=ルイスは息子だとwikipediaには出てたけど、顔が思ひうかばない。この「デイ」のところを「デル」、「デル=ルイス」と、どうも読んでしまふんだな。理由は解らない。ブレイクについては植草甚一の「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」の中で、ちやうどシムノンについて書いてあるところの少しまへで触れてゐる。この「雨降り」には実は珍しく(線を引くことも滅多にしないし、書き込みも殆どしないで読むタチなのだが)幾つも付箋が貼つてある。こんど、この本についてhiko7 newsで書いてみよう。話が逸れてしまつた。……大筋で言ふと、息子を交通事故で失つた父親フィリクス・レインが復讐するといふ話なのだが、第一部が「フィリクス・レインの日記」になつてゐて、これが入り難かつた。何度か読み始めたけど、乗れなかつた。今回は20頁くらゐ、スイスイと読めて、それからは一気だつた。ミステリーだから、とかトリック云々なんて考へないで素直に読んでも充分面白く読める。具体的には挙げられないが、凝つた表現や、人物の言ひまはしなども面白かつた。

2007-11-01

88.秘書室の殺人

中町信・徳間文庫(used)
こないだ渋川のBookOffで買つてしまつたのだ。迷つたんだけどね。酔ひどれ文さんシリーズの三作目。一つ一つを見てるとさうでもないが、探偵役は同じ会社に勤めてゐるので、そこで何度も殺人事件があるわけですからね。連続殺人が三回もある会社なんて、……。このシリーズはこれで全部読んだことになる。

2007-10-30

87.外套・鼻

ゴーゴリ/平井肇訳・岩波文庫
後藤明生の「挟み撃ち」の始めのはうにゴーゴリの「外套」の話が出て来る。ゴーゴリの名前は聞いたことがあつた。後藤氏は二十歳の頃にこの「外套」と「ネフスキー大通り」を読んで「ゴーゴリ病」にかかり、早稲田露文(因みに東海林さだおも早稲田の露文で、後藤氏の卒業が1957年、東海林氏は1937年生まれで一浪後の入学なので辛うじて重なる?)の卒論は「ゴーゴリ中期の中篇小説」だつたとみづからの年譜に書いてゐる。一度、どんなものか読みたいと思つてゐた。正直なところ、ゴーゴリ病にはならないやうだ。ほかにも読みたいとは思はなかつたから。漸く手に入れた外套をその日のうちに奪はれ、病気で死んでしまつたアカーキー・アカーキエヴッチが幽霊になつて、といふ話である。鼻のはうは或る朝コワリョフといふ男の鼻が取れてしまつた、といふカフカの「変身」的なもの。内容については書かれた年代(ゴーゴリ1809-1852)を思ふと斬新かも知れないが、訳の日本語に時代差を感じる。

2007-10-20

86.夜の訪問者

プリーストリー/安藤貞雄訳・岩波文庫
簡単な25までの数字をまちがへてゐた。21の「奥利根殺人行」の次がやはり「21. 湯野上温泉殺人事件」となつてゐたことに、ついさつき気がついたのだ。なので、ひとつづつ順繰りになほした。
これはきのふ読みをへた。一昨日、殆ど読みをはつてゐたのだが、最後のドンデンがへしのところを読みなほした。題名について一言、先に書いておく。原題は an inspector calls で、警部の来訪。最初の翻訳(1951年)が「夜の来訪者」で、それが含蓄的だと解説にあるが、「警部の来訪」もまた含蓄的だと、オレは思ふんだけど。……裕福な、と説明してある四人家族と娘の婚約者が一同に介した夕食の後、とつぜん警部が訪れる。警部が伝へた家族の誰もが知らなかつた筈の若い女の自殺事件に四人の家族がしだいにかはつて行く。そして一つの解決。更にドンデンがへし、と言つてしまつたら読み手の興をそいでしまふか。一気に読ませる。短い作品なので、半日あれば読めるかも。
ホントに一箇月ぶり最後まで一冊読んだ。「アメリカの鱒釣り」と「見知らぬ乗客」が途中まで。「幕末・維新」が1/3くらゐ。「フランドルへの道」が第一章まで。「1984年」が半分くらゐ。「クリシーの静かな日々」が最初の「マドマゼル・クロード」を読んだだけ。「マルーシの巨像」が22頁まで。中途半端なのはそれだけかな。やつぱキチンと最後まで読まないと。途中、ちよつと忘れたり、大事なところを読み飛ばしたりしたとしても。

2007-09-17

笑われる理由(再読)

立川志の輔・祥伝社NON BOOK
もう十年以上まへに読んだもの。最初のページに志の輔師匠のサインと角印を頂いてをります。しばらく「鋼の錬金術師」にはまつてゐたから、文を読むのは久し振り。ま、これは落語のと言ふよりもタレント本。どうしてわたしは噺家になつたのか、といふ経緯やテレビやラジオの裏側が書いてある。そして勿論、師匠談志のこと。ちよつとしか触れてないけど、実はこれが読みたいんだな。弟子から見た談志の話が読みたいワケさ。

2007-08-24

85.四国周遊殺人連鎖

中町信・ケイブンシャ文庫(used)
期待してたワケではないが、もしかたら、とは思つてゐた。こないだ高崎のほんだらけで2冊見つけたから、なにげに朝倉のBookOffに入つたら、あつた。あと10冊くらゐなので、集めてしまはうか、とも思ふが。──これは氏家シリーズの3作目。この前に佐渡金山、阿寒湖と書かれていることは、この中で氏家たち自らが語つてゐる。娘が誘拐されてるのに四国に旅行する親つてのは、話の中でも不自然だと言つてるけど、不自然だよ。そのことに目を瞑れば、面白い。氏家シリーズは氏家たちの視線で常に推理が展開して行くから、惑はされるけれども、それは寧ろ計算で、作者の仕掛けなのかも知れない。

2007-08-18

84.人事課長殺し

中町信・TOKUMA NOVELS(USED)
これも酔ひどれ文さんシリーズで、こつちは4作目。「湯野上温泉」同様プロローグとエピローグに挟まれてる。プロローグをどう読み取るかで本篇の面白さも違つて来る。ちよつとした誤解で推理が進むといふパターンはお馴染みだ。探偵役がどこでそれに気づくかによつて、白けてしまつたりもする。ここでのダイイング・メッセージも無理があると思ふ。

2007-08-17

83.湯野上温泉殺人事件

中町信・TOKUMA NOVELS(used)
酔ひどれ文さんシリーズの2作目。1作目は「社内殺人」で、太田のほんだらけで200円で見つけた。これはやはり中町信の文さんシリーズの一つ「人事課長殺し」と一緒に並んで高崎のほんだらけにあつたものだ。大ドンデン返しが予想されるので最初から「まさかなあ」の人物を犯人ではないか、と読んでしまつた。写真を使つたダイイング・メッセージには無理がある。だつて、この写真のことが出た時、段ボール抱へてる人は誰だらう、と思つたのに、最後の最後で取り上げられる、つてのは、どうでせう。ダイイング・メッセージについては見事だ、と思つたものがない。でも面白いスね。氏家シリーズがあまり好ましくないのだよ。

2007-08-12

82.奥利根殺人行

中町信・ケイブンシャノベルズ(used)
偶然、Book Offで見つけた。もう近所のBook Offやほんだらけでは手元にない中町信は手に入らないと思つてゐた。
これはなかなかよく出来てるんぢやないかなあ。多門耕作シリーズの3作目で、これ以降多門耕作シリーズは書かれてゐない。このシリーズは気に入つてゐるので残念だ。特に多門の推理の仕方が、他の中町作品と微妙に違ふやうに思へる。犯人を絞つて行く時にあまり飛躍しない。と言ふか、判断保留、可能性もある、といふ姿勢でゐることがある。そのはうが自然だと思ふので気に入つてる。相棒の堀田晴代が典型的な中町的な素人探偵かな。中町作品ではお馴染みの、読み手が勝手に勘違ひして推理するやうに書かれてゐるが、プロローグを注意して(先入観を捨てて)読めば犯人は当て易いし、トリックも解り易い。蛇足ながら、多門耕作は渋川の出身で、渋川高校のOBなのださうだ。

2007-08-11

81.遊動亭円木

辻原登・文春文庫(used)
この人の本ははじめて読んだ。「村の名前」で芥川賞、本作で谷崎潤一郎賞。毎日新聞の連載小説が、いまはこの人と宮部みゆき。どつちも読んでないけど。噺家が主人公で、しかも盲目。円木をふくめた人間模様。ついつい語りたいところを抑へた書き方なので、余韻が残る。話の筋にも工夫があるので、一つの長篇のやうに読むことも可能だらう。谷崎の「台所太平記」、山口瞳の「居酒屋兆治」、井伏鱒二の「荻窪風土記」などを思ひ起こした。「居酒屋兆治」が近いか。もうこの年になると、この手の話は自分の人生だけで沢山だな。
──ひとつだけ余計なこと。円木の父の命日が五月十四日。第一話で相撲の夏場所見物に行く日が五月十三日。この部分の記述に翌日が父親の命日だとは一言も触れてないのは如何なものか。円木の父親の死に方は極楽往生ではないし、後に結婚することになる寧々の父親との絡みがあり、円木は忘れることはないだらうし、妹もその日が父の命日の前日である、と言葉の端にも上らないのは、この時は、と言ふのは作者が書き始めた時には父親の命日が決まつてなかつたのかも知れないが。(07.08.12追加)

2007-07-30

80.ガイアの科学 地球生命圏

J.E.ラブロック/スワミ・ブレム・プラブッタ訳・工作舎
ガイアとは生きてゐる地球、生命体としての地球──さういふ意味だと漠然と思つてゐたが、P36に「地球の生命圏、大気圏、海洋、そして土壌を含んだひとつの複合体」と定義されてゐるし、ガイア仮説とは、地球、大気、海洋の物理的化学的条件がかつても今も生命自体の原則によつて積極的に生命に相応しい快適なものに保たれてゐる、とする仮説だと巻末の用語定義にある。つまり、生命と惑星(この地球)の条件は別々に進化したわけではなく、生命の存在と大きく関はつてゐると言ふ。地球に生命がなければ、この惑星は火星や金星になつてゐた、とも。大気汚染などにも触れてをり、オゾンの破壊──減少についてはかなり楽観的だ。化学の説明が覚えられなくて、意味がよく解らないところもあつたが、概ねそんなところだ。予想してゐたほど難しくはなかつた。シェルドレイクの「生命のニューサイエンス」のはうが、よつぽど厄介だつた。

2007-07-22

79.国家の品格

藤原正彦・新潮新書(used)
「バカの壁」ほどではないが、読まなくても一向に差し支へない。現在、世界が陥つてゐる精神面での荒廃は、論理性や合理性の尊重・偏重が原因であり、修復するには先づ「武士道精神」を復活させるべきだ、といふ意味のことが書いてある。論理だけでなく、情緒と形を重んじろ、その尤も端的なものが武士道精神である、と。しかし、この武士道は新渡戸稲造の武士道解釈に基づいてゐるさうだ。武士道は素晴らしいものであり、なにしろ武士は貧しかつたが、農民(町民だつたかな?)から尊敬されてゐたのだ、と書かれてゐたのがどこだつたか、探したけど見つからないのだが、後半に入つて読むのにかなり違和感があつた。よつぽど暇だつたら、読んでみるのもいいかも知れない。

2007-07-17

模倣の殺意(再読)

中町信・創元推理文庫
これはやつぱり面白い。二度目、この前の状態の「新人文学賞殺人事件」も読んだから三度目になるわけだが、面白い。センテンスが短く、東海林さだおみたいに行替へが早いから、スラスラ読めてしまふ。「とか」はあんまり気にならなくなつた。この仕掛けはホントに意外だつた。そんなのありかよ、と思ふけど、あり得ないとは言へない。まだここでは「あの人が犯人だ」と登場人物が激しく独断的に(読者のはうが寧ろ「おいおい、そこまで言つて大丈夫かい?」と心配するほど)思ひ込み、刑事さながら問ひ詰める、といふ展開は表に出てないけど、柳沢邦夫を疑ふ津久見伸助にはその兆候がある。

2007-07-13

飛騨路殺人事件(再読)

中町信・TOKUMA NOVELS
二年くらゐ前に読んだから、殆ど忘れてゐたけれども、登場人物の会話を中心に推理が進むといふ、中町信の定石。だから後半で真犯人は誰かといふ辺りで、強引な推理と言ふか、さう決め付けるのはまだ早いでせうに、とか、あの腕時計のことはどうなつたの、とか、どうやつて南条美雪を突き落としたのか説明がな〜い、とか、殺人犯を別人と思ひ込んでた強盗犯人が、なんで脅迫状の下書きの一行目の頭に新田多岐子と書いたのか、など、疑問が残るのだ。前に読んだ時の感想はどうだつたのか。かういふところが中町信の魅力でもあるのだが。作家専業になる前、1988年以前のはうが充実してる、といふ折原一の意見に賛成。「模倣の殺意」でも読み返すか。

2007-07-08

78.迷宮の美術史 名画贋作

岡部昌幸(監修)・青春新書INTETLLIGECE
明治維新に関する新書を読んでゐたけど、途中で人名や用語、事実関係が頭に入らなくなつて、これが手に入つたので読み始めた。贋作には興味があつた。特にこれにはフェルメールの贋作で知られたメーヘレンの話が出てるので半分くらゐ一気に読み進んだ。フェルメールは大好きで、中央公論から出てゐる「フェルメール全作品」(25年ほど前で43,000円!よく買つたよなあ、今は絶版)も持つてゐるし、国外持ち出しが最後だと言はれた「青いターバンの娘」の実物を家族連れで大阪まで見に行つたものだ(懐かしいなあ)。勿論、スカーレット・ヨハンソンが出てゐた映画「青いターバンの娘」もDVDで見た。HPでその感想は書いてるから繰り返さないけど。メーヘレンだけでなく、贋作の実作家や贋作を画策したり販売した画商の話、世界中の美術館に贋作が真作として展示されてゐる可能性もある、とは面白い。国立西洋美術館だつて騙されちやふんだから、素人なんて一捻りだらう。偽物か本物か、有名か無名か、どつちが偉いか、貴重か、さういふ基準で絵を見たら、さうなるよな。なかなか面白かつたけど、もう少し詳しく、また図版での比較ももつとあつたらいいのだが、新書では限界ですかね。

2007-06-25

77.忘れられた日本人

宮本常一・岩波文庫
これは網野善彦の本で知り、すぐに手に入れ(探し始めた初日にヨークベニマルのくまざは書店で見つけた)ずつと、ゆつくり読んでた。この本の題名を含めた著作が網野善彦にはある。ここには確かに忘れられた日本人がゐて、それはオレの祖父や親父の代までは当たり前の人たちだつたのだ。同じだとは言はないけれども、繋がつてゐたのが解る。民俗学は馴染めなかつたが、これは面白く読めた。次から次へとページを捲らずにはゐられない面白さとは質が違ふが。中の「土佐源氏」は確かに創作だと思ふ人もゐよう。田中小実昌の小説を思ひ出した。もう一度ゆつくり読まうと思つてゐる。それは網野善彦の本もさう。実際コメント出来るほど解つてないから。これは凄いことが書いてあるぞ、つてのを感じるだけだから。

2007-06-11

76.日本の歴史をよみなおす(全)

網野善彦・ちくま学芸文庫
ヨークベニマルの本屋で立ち読みしてゐて、ワクワクした。十四世紀、中世の日本で大きな転換期があつた、と言ふ。つまり、明治維新から現代へ、といふ繋がりではない、十五世紀から現代までは一繋がりだと言ふワケだ。なぜさうなのか。それがこれには書かれてゐる。まだ読み終へたばかりで頭の中のあちこちに散らばつてるから説明出来ないけれども、先づ、これだけは書いて置かう。百姓=農民ではない、といふこと。水呑は田畑を持たない小作以下の農民だけを指すのではない。飢饉は農民の少ない土地で起つた。それを知つただけでも1,260円(税込)は安い。ほかにもたくさん、これこそ正に目からウロコが落ちる。網野善彦をもつと知りたい。……続けて二冊読んで、要するに小説が読めなかつたんだ、と漸く気がついた。去年、食べ過ぎたかもなあ。

2007-06-09

75.タバコ有害論に意義あり!

名取春彦、上杉正幸・洋泉社新書
統計やグラフなどのデータを見る時は、鼻から疑つて掛かる、と言ふか、そこに出てゐる数字をあんまり信用しないやうにしてゐる。だいぶ前にチラと見た、たぶん大泉図書館で借りたか、立ち読みしたか、タバコが肺癌の原因であるといふのは捏造か、都合の良い統計結果に過ぎない、と書いた本があつて、それが頭にあつたからベニマルの本屋でこれを見つけてパラパラと捲るうち買ふ気になつたのだらう。通称「タバコ白書」(「喫煙と健康──喫煙と健康問題に関する報告書」1987)のデータが実はご都合主義の産物だ、と告発してゐるのだ。要は「白書」を中心になつて纏めた平山雄つて学者が掲げたデータへの言及で、うんうん、さうさう、と納得する。前半の名取氏の部分が特に面白い。タバコの煙は水蒸気やタールの粒子だから肺に蓄積することはなく、肺が真つ黒になるなんてウソだとか、死亡率や発ガン率の根拠になつてゐるグラフや表の杜撰な解釈にも言及してゐて、小気味いい。もちろん害がないワケはないけど、肺癌よりも喉頭癌で、受動喫煙なんて根拠がないし、吸はない人に不快な思ひをさせないやう注意を払へばいいのだ。ほぼ一日で一気に読んでしまつた。

2007-06-01

74.目からウロコの近現代史

河合敦・PHP文庫
やはり、もとに戻すことにした。前の形に慣れてしまつたせゐか自分が読み難いので。
特に目からウロコは落ちなかつたが、兎に角いま読んでるところのエピソードが時代の流れでどの辺になるのか解り難くて往生した。取り上げる話題で前後するのは仕方ないが、これぢやあ摑めないやね。意外性なんかよりも、かう、歴史がどう動いてゐたか、動いて来たか、だ。時々入つて来る個人的な感想、私的な記述は邪魔。解釈が読みたいのではなく、歴史の事実を知りたいんだから。「数学の広場」のはうはまだ単位で躓いて「分数と小数」に行けない。練習問題で「なんで?」が解決しない。

2007-05-26

ここまでやつて来て、なんの前触れもなく書き方を変へることにした。タイトルに番号と書名、記事の冒頭に著者名といふのはどうも、このブログのタイトルと合はないなあ、とずゐぶん前(と言ふか始めて直ぐくらゐ)から思つてゐたのだ。ときどき読書日記なんだから、番号付けて何冊読んで、つてのは違ふな。──といふわけで、ここから、けふからときどき、読んでる本について書いて行く形を採ることにした。
さて、いま「目からウロコの近現代史」河合敦/PHP文庫(本については書名は鍵括弧付き、続けて著者──敬称略で、今後は凡てさうする──名、出版社名を記入し、次に再読は再、古本はU、再読古本は再Uといふ風にする)を、さうだなあ、かれこれ五日間くらゐ、ちびちび読んでゐるのだが、殆どがエピソードなので、歴史のお勉強としては頼りない。いま5分の2ほど読み進んだ。明治のところ。維新に動いて行く江戸末期から知りたかつたのだが、まあ手頃な入門篇のつもりだつたのだから、文句は言ふまい。著者は1965年生まれの現役の教師である旨、後ろの経歴に記されてゐる。これと「フランドルへの道」クロード・シモン/白水社は第二部の頭のところで滞つてるけど、たまにペラペラと始めから読み直したりしてゐる。あと一つ「数学の広場1数の生いたち」遠山啓/ほるぷ出版もバリンジャーの次に読み始めてゐて、いま第2章連続量のところが間もなく終る51頁で、次は第3章分数と小数。実はほかにヘンリ・ミラーの「クリシーの静かな日々」「マルーシの巨像」を読みかけてゐる。だから現在ほぼ同時進行的に5冊読んでゐることになる。滅茶苦茶だね。

2007-05-13

日常の極楽(再読)

玉村豊男・中公文庫
館林の図書館で単行本を借りて読んだのが最初で、その頃は「料理の四面体」を読んで玉村氏にハマつてゐた。続けて借りては読んでゐた。買へなかつたねえ、本が。CDもだけど(だからブランクがあるんだなあ)。これは古本屋で買つたもの。ハレとケ、特にハレガレの話は面白い。それと制ガン剤の副作用で羊の毛を刈るといふ話は、非常に象徴的な日本の現状、日本人の狂気、エゴを示してゐる。これに比べれば、給食費を払はない親がゐるなんて当たり前でせう。

2007-05-09

73.煙で描いた肖像画

ビル・S・バリンジャー/矢口誠訳・創元推理文庫
これは1950年に刊行されたもので、古典と読んでいいかどうか、ベストテン式に挙げられるミステリー作品はこの頃に書かれたものが多い。或はポオとか、ホームズものなど、もつと古くなる。逆にここ10年くらゐのあひだに書かれた海外のミステリーを読む機会のはうが少ないワケだ。翻訳する人がゐないと読めない。あれだ、パトリシア・コーンウェルなんかは最近の人だ。確か、オレと同い年くらゐの筈。……ま、そんなことはどうでもいい。主人公のクラッシーが17才で手にする美人コンテストの賞金が100ドル。その賞金を作るために地方新聞社の経営者が処分した車の代金が75ドル。クラッシーの婚約者バッカムが抱へたカード負債額1,200ドル。2007年5月の為替レートだと1ドル=120円かな。賞金12,000円、車が7,500円、負債144,000円。しかし、1950年代の物価はどうだつたか、ちよつと調べた。凡そ10分の1。大卒の初任給(公務員)が10,000円に満たない。とすると、賞金120,000円→公務員給料1年分、負債1,440,000円→これは10年分ぢやないか。ちよつと実感があるかな。内容と関係ない話をしてるが、主人公のダニーとクラッシー、この二人の行動が交互に描かれ、最後に一つになる。そこで(後から考へればそれほど意外ではない)クラッシーの行動がダニーを窮地に追ひ込む。事件は解決してないが、ここで終つてほしい。

2007-05-04

72.サミング・アップ

モーム/行方昭夫訳・岩波文庫
これは「要約すると」といふ題名で既に翻訳されてゐたものだと解説にある。「要約すると」が「サミング・アップ」だと知つたのはいつだらう。新潮社の出版カタログにあつたモーム全集のところに「要約すると」があつたのは覚えてゐる。その頃は、恐らく高校を出て直ぐか二十歳ちよつと過ぎくらゐの生意気な盛りだから、通俗的だとかなんとか、なにを通俗的と呼ぶのかすら考へたこともない癖に偉さうにモームは通俗作家だから、と敬遠してゐたものだ。若さとは未熟さだ。吉田氏の言ふ通りだよ。当時はしかし「月と六ペンス」は読んでゐた筈だ。ゴーギャンをモデルにしてるといふことで読んだのだが、主人公の生き方への興味はあつたけれどもモームについては惹かれるものがなかつた。それが「お菓子と麦酒」で一気にオレにとつて重要な作家になつた。それから「コスモポリタンズ」「アー・キン」「女ごころ(丘の上の別荘)」と集めて読んで来たわけだが、そこで漸く「要約すると」=「サミング・アップ」が新訳で出るといふ新聞広告を見て注文したのだつた。読み始めて、意外に手子摺つた。小説では気にならなかつた言ひ回しの灰汁みたいなものを感じてすんなり頭に入らない。訳者の違ひか。簡単な日常英会話すら出来ない癖に、こんなことを言ふのは気が引けるが、例へば「お菓子と麦酒」には「序」があつて、これがなかなか読ませるのだが、ちつとも抵抗なく頭に入る。続く小説の冒頭も、癖のある言ひ回しでストレートに語り始めてはゐないから、ここで躓く人がゐてもをかしくない。さういふ特徴とは違ふものがある。例を挙げよう。著作権に引つ掛かるかな。なるべく短く。要は大抵の人は人生設計が決められてゐて自由がない、と言ひ、かう続く。「こういう設計が、誰かが自分で描こうとした設計図と同じように完全でないという理由はないと思う。」──オレにはこの言葉の意味が呑み込めない。意味不明。読解力がないのか。いや、これは日本語になつてないでせう。英語の正しい翻訳かも知れないが。かういふ文章が何箇所かある。新潮社の全集は中野好夫氏の訳だ。確か「月と六ペンス」も。そつちも読んでみたいが、手に入るかどうか。とても示唆にとんだ内容なので、要再読。この人の新訳で岩波は「人間の絆」上中下を出した。新潮も上下二巻にして出した。モーム、シムノン、グリーン、ハイスミスは重要なのだよ。

2007-04-16

榛名湖殺人事件(再読)

中町信・TOKUMA NOVELS
中町氏のコレクションの中から敢へてこれを選んだワケは勿論タイトルで、榛名湖、伊香保、前橋などの地名が出てくるし、刑事はなんと渋川署だ。豊田商事事件の頃に書かれたものか、開堂商事といふ名前の似たやうな悪徳商法の会社が出てくるのはいいのだが、この会社は倒産してから三年近くたつ、と主人公の有馬(これも渋川の地名で存在する)悦子と入院してゐる病院の婦長との会話の中で話してゐるのに、開堂商事主催の伊香保旅行が二年前、更にそこに有馬が努めてゐたのが一年半前だと書かれてゐるのは、一体どう解釈すればいいのだらう。倒産した会社に勤めるなんてことが出来るのか。今回読み返して気になつたのはそこだけど、前に読んだ時には気づかなかつたのかなあ。幾つか伏線らしき部分、引つ掛けの部分には騙されなかつたから真犯人は解つたけど、トリックは完全には解けなかつた。

2007-04-12

71.殺人交差点

フレッド・カサック/平岡敦訳・創元推理文庫
最後の最後で、ホントに最後のページで真相が知らされる。さうだつたのか、やられた、と思つた。表題作のほかに「連鎖反応」といふのも入つてゐる。どつちもなかなか面白い。

2007-03-07

70.九つの殺人メルヘン

鯨統一郎・光文社文庫(used)
去年「邪馬台国はどこですか?」と「新・世界の七不思議」を続けて読んだ。どつちも面白く読んだけれども、2冊とも事件(或は犯罪)があつて、それがどうやつて行はれ解決されたか、といふ推理ではなかつた。設定は同じく安楽椅子探偵といふ形式だけれども、これは事件(或は犯罪)を扱つてゐる。この形式は会話を中心に進むので入り易く読み易い。都筑道夫氏の「退職刑事シリーズ」もさうだし、鮎川哲也氏の「三番館シリーズ」もさうだ。アイザック・アシモフの「黒後家蜘蛛の会」が有名らしい。これもずゐぶん昔に読んでゐる。──で、更にこれはメルヘンの新解釈を織り込んで、それを謎解きのヒントにしてゐるところが一工夫だらうか。まあ、メルヘンの新解釈は以前読んだ「昔話にはウラがある」みたいに、ちよつと強引なものがあるけれど、これはそれほどには感じなかつた。最後の1話を除いてアリバイ崩し。最後のは小人の靴屋の話を使つたワケがピンと来ない。上記の2作ではカクテルだつたのが日本酒に代はつて、やはり料理を含めた蘊蓄も語られるのだが、実は作者は料理や酒に余り興味がないのではないか、といふ気がして仕方がない。思ひ入れのやうなものが伝はつて来ない。意図してそこそこで切り上げてゐるのだ、と好意的に解釈しよう。充分に面白いけどスリルは物足りない。

2007-02-09

69.超能力の世界

宮城音弥・岩波新書(used)
もとは「神秘の世界」で、これは改訂版だといふ。それでも兎に角、古い。使はれてる写真も輪郭のはつきりしないものだし、取り上げてゐる事例も20世紀初頭のものばかり。科学的に検証する云々といふところが、hiko7 newsとかぶつてるのは偶然。勿論、意味のある偶然の一致だ。それなりに面白く読んだが、新書つてのは、なんか食ひ足りないね。

2007-02-05

68.感じない男

森岡正博・ちくま新書(used)
これには困つた。香山リカに続いてハヅレだ。なにが言ひたいんだらう。男の不感症についてだ、といふことは始めに書いてある。しかし、ここに出て来る仮説はオレには牽強付会、我田引水にしか見えない。筆者は大学教授ださうだが、かういふ人がものを教へる時代なんだと思ふと怖いね。(自らの思春期の告白を読む限り)精神的にキズを持つてるやうだし、キズがあつてはイカンとは言はないが、その癒え方が微妙に捩じれてゐるのではないか。心の中を、と言ふか頭の中を探つて行けばどうにでも解釈出来る無意識部分の説明は強引だし、如何にも紋切り型で単純な推理だよ。さうでないものは受け入れられない屁理屈だ。その都度否定する偏見と性犯罪傾向は、レトリックなのか知らないが、氏自身は自覚してゐないだけで、犯罪資質は充分に備へてゐると思ふし、偏見もずゐぶん持つてるやうに感じる。

2007-01-26

67.問ひ質したき事ども

福田恒存・新潮社
これは1982年に買つたものだ。裏に黒い万年筆でさう書き込みがある。この書き込みの習慣のために恐らく死ぬまで読む事もないだらうと思はれる本があつても棄てる以外に処分の方法が見付からず持て余してゐるのだが、……。それから続けて「知る事と行ふ事と」、「人間不在防衛論議」の2冊を購入した。この2冊は2004年に自転車事故の頃に既に読んだ。これが後になつたのは、こつちのはうが著作として新しいからだ。国防に関する記述と韓国の政治を巡るものが多い。勿論、国語、言葉に関するもの。それが目的で買つたワケだ。なにしろオレは福田氏の「私の国語教室」を読み、歴史的仮名遣ひを使用することにしたのだ。言つてみれば師匠である。

2007-01-24

66.貧乏クジ世代

香山リカ・PHP新書(used)
副題として「この時代に生まれて損をした!?」とある。なぜこの本を買ひ、かつ読んだのか、読み終へたこつちが「!?」だつた。なにが言ひたいんだらう「??」。テレビでたまに見掛ける精神科医で、名前がリカちやん人形の(たぶん)本名を借りてること、オタク擁護の本がある、などの予備知識しかないが、視点がブレてないか。と言ふか上つ面過ぎないか?70年代に生まれた世代像を分析したり、男女雇用均等法などに触れながら女性の雇用の現実などにも言及してるけど、一体何が言ひたいんだらう。生まれた時代が悪かつた、昔はよかつた、なんてことはどんな世代でも考へる、いや、若いうちはさうやつて逃げ道を見付けるワケだ。それを口にするかしないか。口にする世代、人間を相手にしてその世代の特徴はなどと考へても仕方がないだらう。敗戦、テレビの登場、家庭電化製品の氾濫、東京ディズニーランド、ファミコン、携帯電話、この辺が大きく関はつてるんだよ、この腐敗した日本の現状は。生活が変はつたんだ。それは人間の感じ方、見方、考へ方を変へる。もともと明治維新から何かが大きく変はつて、それが実は付け焼き刃だつた、といふことなんぢやないか。……明治維新に就いて、その前後の状況に就いてもつと勉強してからでないと、これ以上は言ひやうがないけど。少なくとも「バブルの崩壊」なんて関係ないよ。この言葉は既に中身がなくなつてる、幻想だよ。

2007-01-21

65.悪い食事とよい食事

丸元淑生・新潮文庫(used)
小説を読む気になれなくて漫画を続けて買つて読んだ。でも活字が読みたくて、BookOffでパラパラ捲つたら「腰痛者を作り出す食事」なんてのがあつて、続けて「高血圧を予防するカルシウム」が目に付いて買つた。読み易いのでスラスラ読んだけど、あんまり内容は覚えてない。数種類の、精製してない穀類と海藻と豆類などが何度も出て来たのは覚えてる。腰痛はカルシウムの不足。高血圧にもカルシウム。たださあ、食べ物つてのは栄養だけで考へられない、見た目とか味とか、旨い不味いがあるし、……吉田健一氏の言ふやうに、旨いと思つて食べるものが体に悪い訳はない、といふ意見、実に納得するんだよなあ、吉田氏が言ふからなんだけど。野菜とか、レタスだのピーマンだの茄子だの胡瓜だのトマトだの、急に食べたくなつたりするし、豆腐とか昆布とかもスーパーで眺めて「あ、食べたい」と思ふことがあるから、体が必要とするものは「食べたい」と思ふんぢやないのかね。そんで、それは旨いと感じるんだよ。栄養の知識はあつたはうがいいけど、それが嵩じると「あるある大辞典」みたいなことに、……ま、この本はまた後で時々パラパラと捲るかもなあ。この人は「赤い月」とかいふ小説で、むかーし芥川賞の候補になつた人でせう?違ふ?……どつちでもいいんだけど。

2007-01-18

64.鮫肌男と桃尻女

望月峯太郎・講談社ミスターマガジン(used)
一緒に「バイクメ〜ン」も買つて読んだけど第1巻だけなんで触れない。こつちは一応1巻完結なので。序でに言ふと、吉田戦車氏の「伝染るんです」の2と3、業田良家氏の「ヨシイエ童話6 LOVE男」も読んだ。望月氏は「バタアシ金魚」と「ドラゴンヘッド」だつけかな。どつちも読んでない。絵は好きだね。好きになれない絵つてのは、あるから。植田まさし氏は結構買つて読んだけど絵そのものは好きになれない。桃尻娘つてのがある。橋本治氏の小説だつたか。こつちは女だけど、桃尻つてところが頂いてるよな。鮫肌だつて、ビックリハウスだかの周辺に鮫肌文殊といふ人がゐなかつたか?ダメだよ、頂き物ばかりぢや。特別話に工夫があるとは思へなかつたけど、……。

2007-01-17

62.63.源さん刑事 上・下

業田良家・竹書房文庫(used)
「ヨシイエ童話」の1つで、去年読んだ「世直し源さん」もさうだつた。業田氏は「執念の刑事」といふのを読んだことがある。館林で一人暮らしをしてた頃だ。もう20年も前だなあ。あの頃よりもずゐぶん絵が、線が巧みになつてると思ふ。

2007-01-08

61.氾濫

伊藤整・新潮文庫(used)
今年最初に読み終へたこの本はAmazonで手に入れたもので送料別で500円。昭和39年版で頁もすつかり焼けてゐる、だけでなく文字がたまに抜けてたり判読し難かつたり、現代仮名遣ひの中に凡そ十数箇所「いふ」などの仮名遣ひが紛れてゐたり、「來」「眞」などの正字が幾つかあつたりと、なかなか古本らしくて面白かつたが、作者である伊藤整氏の作品はいまは殆ど書店に並んでゐないといふことをご存知だらうか。古本屋にも、ない。少なくとも「若い詩人の肖像」とか「火の鳥」とか「鳴海仙吉」、この「氾濫」(ベストセラーになつたこともある!)は置いてない。「女性のための十二章」とかいふのがあるくらゐ。ま、そんな事情はどうでもいい。兎に角、伊藤整氏は現在忘れられた小説家であるらしい。それを残念なことである、とは実は思はないのである。なのに、わざわざ探して340円の送料を払つて手に入れたか。──それは、若い頃、このブログを始めた頃に書いた、本を読み始めた10代の中頃に「若い詩人の肖像」(棚にある文庫を見ると1972年11月6日に読み始め同月16日に読み終へたと鉛筆で書いてある)を読み、感銘を受けた記憶。そして知識として、この「氾濫」は中年の、確か50代の男女の絡みや性的なものも含めた恋愛を扱つた小説だと知つてゐたこと。更にこれを第1作とした三部作と呼ばれるものの残りの2作「発掘」、「変容」が入つた伊藤整全集の1巻を高校時代からの友人田中氏から貰つてゐて、次になに読むかなあ、と本棚を眺めてゐた時に手に取り、たまたまパラパラと捲つて、ちよつと面白さうだ、と感じたこと。これらがどういふ風に作用した知らないが、Amazonでパトリシア・ハイスミスの作品を検索してる時に伊藤整の「氾濫」が頭に浮かんだのだ、たぶん。でもまあ、迷つたね。高いもの。500円。当時の定価が裏にあつて、180円だから。ほんだらけとBookOffを回つたけど、ない。さうなると急にほしくなるんだ。中町信の時もさうだつたし、パトリシア・ハイスミスもさう。で手に入れて、といふ長い経緯はここでお終ひにして、どんな小説なのか。海外でも名前を知られた学者であり企業の重役でもある人物を中心にその家族、妻と娘の身から出た錆的ゴタゴタ、対称的な人物で旧華族の友人の俗物ぶりや女漁り、大学の実情、学閥、飲み屋のホステスさん事情、若い功名心の強い大学助手などが描かれ、人生の一部に付き合はされるワケだ。長篇はみんなそんな風に人物たちと一緒に時を過ごすやうに読みたいもので、これはさう読めた。けれども、どうにも欲・欲・欲の世界であつて、主人公の痛みは自業自得だとしか映らず、また中年男女の閨房描写もなんだか薄汚く感じる。ラストで主人公は自分のネガみたいな若い助手に復讐されるやうな形で娘を奪はれる、嫁に出すのだが、この辺が急ぎ足気味で畳み込んでる気がしないでもなく、また振り返ると結末から組み立てられたやうにも思へる。