2006-10-17

空白の殺意(再読)

中町信・創元推理文庫
カーの「皇帝のかぎ煙草入れ」を読み終へて直ぐ一気に再読したものの、コメントを書くのが億劫だつたので暫く「下書きとして保存」してゐた。いきなりこの記事が登場するので驚かれるかも知れない。最初に読んだ時はこんな風に書いてる。──氏が触発されてこれを書いたと言ふディクスン・カーの「皇帝のかぎ煙草入れ」を読んでみたい。書き方に登場人物たちや読み手の錯覚を促すといふ方法はここでも使はれてゐる。でも、それほどケレン味はないです。だから、なんでかうなの?つていふのもないです。──登場人物たちが錯覚を促してるわけぢやあないでせうに、何言つてんだろ。人物の言動が読者ををかしな方向に導くのだよ。これは群馬県高崎市が舞台で、オレには殆ど関心がない高校野球の話が結構重要なポイントになつてゐる。もともと「高校野球殺人事件」といふ題名だつたからなのは、前にも書いた。トリックの部分は確かにカーのそれと同様に作者に誘導された思ひ違ひなのだが、つまり注意深く読めば疑問として残るから、オレみたいに「やられた」とは思はないだらうが、カーのはうは主人公が犯人として疑はれてるので少し違ふなあ。どうして館林なの?つてのも残る。太田や足利ではダメなのか。

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