2015-04-03

変な友達──吉田健一のこと──

白洲正子・新潮社「吉田健一集成別巻」所収。江國滋の「日本語八つ当たり」以降、もう一箇月近く新たに本を始めから読む、読み始めることができないでゐるのだが、そんな中で何度か繰り返して読んでゐるものの一つが、この白洲正子が集成別巻に書いてゐる吉田健一の話だ。例へば河上徹太郎や丸谷才一、篠田一士、清水徹といふ人たちが描く吉田健一の肖像とはすこし違ふ吉田健一がここにはゐる。或は当人が思つてゐたのとも違ふ吉田健一かもしれない。誰かがどこかで書いてゐて、それが誰でどこに書いてゐたのか、ちつとも思ひ出せないので書かうかどうしようか迷ふのだが、ちやつかり書いてしまふと、吉田健一は頻りに小林秀雄を褒めるけれども考へ方は相容れないのではないか、水と油ぢやないか、といふその辺をやはり白洲正子は書いてゐる。第一、小林秀雄のどこがそんなにが偉いのか、ちんぷんかんぷんで、それが文学といふものなら、オレは文学なんか判らなくても一向に構はない。ただ、ここにゐる吉田健一のはうが人間として魅力的だし、現実味がある(現実味なんていふ言葉はない、と吉田健一は言ふかなあ)。P340(あの、敗戦後に「いつそ国語をフランス語にしたらどうか」なんていふ正気の沙汰とは思へない発言をした「小説の神様」!である)志賀直哉が卵が割れないことで笑つたといふ話に「育ちがいいので卵が割れないと思うのは間違っている。育ちと卵とはぜんぜん違う話なのだ」と切つて捨てる。ほかにもあるが、書きたくなつたら書かう。34人が「吉田健一・人と文学」といふ括りで書いてゐるが、この白洲正子と吉田暁子の「まっすぐな線──父のこと」は何度読み返しても好い。ほかの人は伝説回路に嵌つてゐる。

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