2008-06-09

145.ハルビン・カフェ

打海文三・角川文庫
大藪春彦賞受賞作で、解説によれば「著者の最高傑作に数えられる」さうだ。一人の著者の最高傑作と言へるものを数えることが出来るのか、といふ素朴な疑問は忘れよう。原宏司の「集落の教え100」からの引用があるが、未読の本で先づこれがよく意味が解らない。なにかを象徴してゐるかのやうな、別の意味を持たせた文章である。内容との関連は読み取れなかつた。多くの人物が登場するので、時間の経過、何年に何があつたのかをメモしながら読み始めたが途中から放棄した。時系列的な展開は二次的なものらしかつたから。Pと呼ばれる組織の発生とその後の活動、警察内の刑事、公安、監察などの力関係、韓国、中国、ロシアのマフィアの動きなど、一度には呑み込めなかつたが、洪孝賢を中心にした人物たちとその謎解き、小久保仁をめぐる人間たちの絡みは面白く読めた。短いシーンの集積で、内容だけでなく映画的な印象がある。尤もそれはこれまで読んで来た打海文三の凡ての作品について言へることで、勿論それは氏が映画からスタートしたことと関係してるだらう。
敢へてここで言ふこともないのだが、警察をめぐる小説は実はあまり好きではない。警察内の権力闘争は政治家のそれよりも腐臭がする。臭いものには蓋、ではなくて、吉田健一が言ふ「人が裸になつた時」のやうな「見るに堪へないのであるよりも見るべきではない」ものは見ないでよいといふ意味で、見るべきではないものを過大に評価して「深淵が覗いてゐると思つたり」しないといふ意味のつもりである。なんでも暴いて裸にするのは野蛮だ、と。
気取るな、と言はれるかもしれないが。

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