2007-01-08

61.氾濫

伊藤整・新潮文庫(used)
今年最初に読み終へたこの本はAmazonで手に入れたもので送料別で500円。昭和39年版で頁もすつかり焼けてゐる、だけでなく文字がたまに抜けてたり判読し難かつたり、現代仮名遣ひの中に凡そ十数箇所「いふ」などの仮名遣ひが紛れてゐたり、「來」「眞」などの正字が幾つかあつたりと、なかなか古本らしくて面白かつたが、作者である伊藤整氏の作品はいまは殆ど書店に並んでゐないといふことをご存知だらうか。古本屋にも、ない。少なくとも「若い詩人の肖像」とか「火の鳥」とか「鳴海仙吉」、この「氾濫」(ベストセラーになつたこともある!)は置いてない。「女性のための十二章」とかいふのがあるくらゐ。ま、そんな事情はどうでもいい。兎に角、伊藤整氏は現在忘れられた小説家であるらしい。それを残念なことである、とは実は思はないのである。なのに、わざわざ探して340円の送料を払つて手に入れたか。──それは、若い頃、このブログを始めた頃に書いた、本を読み始めた10代の中頃に「若い詩人の肖像」(棚にある文庫を見ると1972年11月6日に読み始め同月16日に読み終へたと鉛筆で書いてある)を読み、感銘を受けた記憶。そして知識として、この「氾濫」は中年の、確か50代の男女の絡みや性的なものも含めた恋愛を扱つた小説だと知つてゐたこと。更にこれを第1作とした三部作と呼ばれるものの残りの2作「発掘」、「変容」が入つた伊藤整全集の1巻を高校時代からの友人田中氏から貰つてゐて、次になに読むかなあ、と本棚を眺めてゐた時に手に取り、たまたまパラパラと捲つて、ちよつと面白さうだ、と感じたこと。これらがどういふ風に作用した知らないが、Amazonでパトリシア・ハイスミスの作品を検索してる時に伊藤整の「氾濫」が頭に浮かんだのだ、たぶん。でもまあ、迷つたね。高いもの。500円。当時の定価が裏にあつて、180円だから。ほんだらけとBookOffを回つたけど、ない。さうなると急にほしくなるんだ。中町信の時もさうだつたし、パトリシア・ハイスミスもさう。で手に入れて、といふ長い経緯はここでお終ひにして、どんな小説なのか。海外でも名前を知られた学者であり企業の重役でもある人物を中心にその家族、妻と娘の身から出た錆的ゴタゴタ、対称的な人物で旧華族の友人の俗物ぶりや女漁り、大学の実情、学閥、飲み屋のホステスさん事情、若い功名心の強い大学助手などが描かれ、人生の一部に付き合はされるワケだ。長篇はみんなそんな風に人物たちと一緒に時を過ごすやうに読みたいもので、これはさう読めた。けれども、どうにも欲・欲・欲の世界であつて、主人公の痛みは自業自得だとしか映らず、また中年男女の閨房描写もなんだか薄汚く感じる。ラストで主人公は自分のネガみたいな若い助手に復讐されるやうな形で娘を奪はれる、嫁に出すのだが、この辺が急ぎ足気味で畳み込んでる気がしないでもなく、また振り返ると結末から組み立てられたやうにも思へる。

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