2006-12-15

59.11の物語

パトリシア・ハイスミス/小倉多加志訳・早川文庫
ずつと興味があつた人で、なにしろヒッチコックの「見知らぬ乗客」やルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」の原作者である。しかも、どこでさういふ話を読んだり聞いたりしたのかは覚えてないけど、映画よりもスゴイ、といふ風にインプットされてたから、なにがどうスゴイかはよく解らなかつたが、そんなにスゴイんぢやア是非原作を読みたいものだ、と思つてゐて、それが漸く「何読むかなあ」つていふ時に本屋の棚でふと見付ける、といふ具合にタイミングよく叶つたワケだ。……確かにスゴイなあ。溜息が出ちまふ。唸つてしまふ。きつと「太陽がいつぱい」の原作「リプリー」はものスゴイんだらう、と推測する。……が、これはハイスミス氏(女性の場合は嬢なのかね──と気になつて岩波の国語辞典で「氏」を調べたら、──岩波はさういふ点で便利なんだ、漢和辞典みたいにも使へるからね、──「日本で、人の氏名の下に添える敬称」だから間違ひではない)──の、デビュー作と解説に出てゐる「ヒロイン」を含む11の短篇集に就いて書くのだつた。サマセット・モームの「お菓子と麦酒」、ジョルジュ・シムノンの「仕立て屋の恋(原題は「イール氏の婚約」)」、グレアム・グリーンの「情事の終り」を読んだ時と同じくらゐ、こんなに密度の濃い、生身の人間を書く小説家がゐるのか、と圧倒された。ほかの人は長篇で、これは短篇集なので氏の長篇を是非とも読んでみたいものだと強く感じたが、序文でグリーンが「モビールに艦隊が入港したとき」を薦めてゐて確かにこれは素晴らしい。うーん、と言ふより悲しい。いや、一言では言へないね。いろんな思ひが絡みあつて唸つてしまふのだ。3つ続けて読むと疲れてしまふ。人生、と言ふか生きてる人間の厚み、深さみたいなものがズシーンと来るから。特徴的なのは、最後に読者は放り出されてしまふ、といふこと。オチがない。メデタシメデタシは、ない。少なくとも作者は「それからどうなつたか」のヒントさへ与へてくれないから、最後の一句を読んでから「どうなるのか」と考へてしまふのだ。1945年に書かれた「すつぽん」なんて今の新聞記事にあつても可笑しくないね。この少年と母親の心の動きの微妙さ、残酷さ。この本は後藤明生氏の「笑坂」と同じくらゐ読み終へたくない本でした。

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