2016-02-02

639.一夢庵風流記

隆慶一郎・新潮文庫(used)。こんなに読み始めるのに時間が掛かるとは思はなかつた。去年の4月に購入し、最初の50頁くらゐで頓挫。名前が読めない、覚えられない。誰が誰か判らない、人物の関はりが判然としない、年齢が判らない、など、先へ進まない。なので暫く目に付かない処に仕舞つてゐた。幾つか読みかけの本(フランドルの冬だのマルーシの巨像だの、後藤明生の雨月物語だの、グレアム・グリーンの見えない日本の紳士たちといふ短篇集だの、いしかわじゅん漫画ノート、ムーンライダーズ・ブックだの)を引つ張り出したが読み続ける気力といふか、かう気持ちが入つて行かない、気が散つてる感じで無理。そこでただ活字を追ふ、意味なんか判らなくてもいいから、といふつもりで、なるべく厚い本がいいので、これを読み始めた。そしたら、今度はどんどん、ずんずん読めた。理解しよう、とか、判らう、といふやうな助平根性があると本は読めないんだなあ、と改めて勉強しました。
漫画でも花の慶次といふ名前で知られてゐるやうで、生憎そつちは読んだことがないけれども、ずゐぶん若く書いてあるのはネット上でその絵を見たことがあるからだが、調べた限りでは前田慶次郎利益は1532年又は1533年から1541年の生まれとなつてゐて、これは没年がはつきりしないのでなんとも言へないが、慶長17(1612)年に73歳で没したといふ説を一応基準にすると、昔のことだから数へ年なのだらうから72歳だつたとして、1540年の生まれになる。それでこの小説の主な舞台となる年代はと言ふと、P18の天正15(1587)年8月の養父前田利久の死を始まりと考へれば、このとき前田慶次郎は37歳。漫画とはだいぶイメージが変る。読んでると前田利家はもつとずつと年上みたいに感じるが1538年の生まれらしいから2歳年上でしかない。前田まつは1547生まれで慶次郎より7歳下になる。
いづれにしても、下の我孫子武丸の処で書いたけど、かういふ些細なこと、何時に警察に通報したか、とか、季節はいつなのか、とか、主人公は何歳なのか、といふ単純で簡単なことを曖昧にしてゐる小説は好ましくないんだよなあ、意図的に知らせず話を進める意味がないでせう、読んでるうちにだんだんいろんなことが判つて来るといふ面白さもあるけどさあ。
それと時代小説つて、どうしてかう講談みたいに見て来たやうなことを平気で書けるのかねえ。史実として残つてゐるものもあるだらうけど、それにしたつて誰が誰とがいつどんな会話をしたかまで具体的なことは残つてないでせうに。それが時代小説の醍醐味なんでせうが。

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