2009-07-15
2009-07-03
2009-06-18
2009-06-17
「その後でいろいろあつて2人とも失踪する」のは双子のことで、Dr.テンマは含まない。テンマの年齢もはつきりしないが、1996〜97年に20年近くまへに大学生だつたといふ話(Dr.ギーレンの回想5巻P17)が出るので、1976年頃に20代前半だつたことになる。双子が三匹のカエルの家から出て、──それはバラの屋敷で46人が死ぬ事件の直ぐあとなので、これが1981年頃だ(ヴォルフ将軍が死の床で14巻P130)といふから、1986にリーベルト夫妻の養子になるまでの時系列的な流れと年齢がよく解らない、とまへに書いたが、序でに気づいた点を挙げると、シューバルトの実の息子だと解つたカールは7巻P38〜41で里親と養子縁組?の約束をしてるのに、シューバルトの息子として生活してるが、どうなつてるのか。見落としてるのか、読み落してるのか。さういふことは何度かあつて、例へば、カールの母親もヨハンが殺したの?──カールの母親と一緒に暮らしてたらしいから、さう思ひ込んでゐたが、18巻P226でヨハンとアンナの母親が登場するから違つてた、とか。Dr.テンマが逮捕され(12巻P160)、テンマを助けようとする患者たちの話があつて、同じく12巻P192でジャン・ギャバンに似た顔のDr.シューマンが出て来るのだが、今回の再読で、この挿話がどこだつたか(3巻P131第6章)、この巻=12巻を読んでゐたときには思ひ出せなかつたくらゐたがら、あれこれ言つてることも実は見落としに過ぎないのかも知れない。テンマが好きだといふサンドウィッチの種類がどこかに出てゐて、確かそれがディーターがニナに食べろと勧める場面だつたが、どこだつたか解らない、見つからないなんてこともザラだ。
ところで、グリマーの墓に1954-1998とあつて(18巻P214)、この物語の現在時は1998年だと解り、凡そ3年間のドラマなのだな、と了解するのだが、グリマーは30年まへに14歳、511キンダーハイムに入つたのは7,8歳で1963年だつたと自分の口から言つてる(11巻P152)ことで、微妙に人間関係が覚束なくなるのだ。18巻P117で、ヴィム少年がソファーに寝かされたグリマーの傍らで、本人から聞いた話としてアドルフ・ラインハルトといふ友だちの名前を出す。そのベージの前後でルンゲ警部と争ふロベルトの口から、施設(511キンダーハイム──1985年に施設は焼失)を出た自分のまへにヨハンが現れて、彼は自分があたたかいココアが大好きだつたことを思ひ出させてくれたと語るだが、カレル・ランケ大佐とグリマー、Dr.テンマの三人での話(11巻P152)から、実はロベルトがアドルフ・ラインハルトであり、カレル・ランケ大佐の甥=妹の子どもであらうと推察出来るる。するとロベルトとグリマーはお互ひに記憶があるかどうかは別にしてもほぼ同時期に511キンダーハイムにゐたのではないか。ヨハンはどうやつて、グリマーがやつと思ひ出したやうな、そして本人もそのときに漸く思ひ出したやうなココア好きの嗜好を知り得たのか。偶然か。ヨハンとロベルトは20歳近く年が離れてゐる。いつヨハンが現れのか不明だが。──それよりも、3巻でテンマが出会ふディーターといふ少年を引き取つて育ててゐたハルトマンの家でディーターは511キンダーハイムにゐた子どもたちの写真を見たことがあると言つてる場面があつたのだが、何巻だつたかいまは思ひ出せないが、もしさうなら、グリマーもロベルトもヨハンもディーターは解るのではないか。
ところで、グリマーの墓に1954-1998とあつて(18巻P214)、この物語の現在時は1998年だと解り、凡そ3年間のドラマなのだな、と了解するのだが、グリマーは30年まへに14歳、511キンダーハイムに入つたのは7,8歳で1963年だつたと自分の口から言つてる(11巻P152)ことで、微妙に人間関係が覚束なくなるのだ。18巻P117で、ヴィム少年がソファーに寝かされたグリマーの傍らで、本人から聞いた話としてアドルフ・ラインハルトといふ友だちの名前を出す。そのベージの前後でルンゲ警部と争ふロベルトの口から、施設(511キンダーハイム──1985年に施設は焼失)を出た自分のまへにヨハンが現れて、彼は自分があたたかいココアが大好きだつたことを思ひ出させてくれたと語るだが、カレル・ランケ大佐とグリマー、Dr.テンマの三人での話(11巻P152)から、実はロベルトがアドルフ・ラインハルトであり、カレル・ランケ大佐の甥=妹の子どもであらうと推察出来るる。するとロベルトとグリマーはお互ひに記憶があるかどうかは別にしてもほぼ同時期に511キンダーハイムにゐたのではないか。ヨハンはどうやつて、グリマーがやつと思ひ出したやうな、そして本人もそのときに漸く思ひ出したやうなココア好きの嗜好を知り得たのか。偶然か。ヨハンとロベルトは20歳近く年が離れてゐる。いつヨハンが現れのか不明だが。──それよりも、3巻でテンマが出会ふディーターといふ少年を引き取つて育ててゐたハルトマンの家でディーターは511キンダーハイムにゐた子どもたちの写真を見たことがあると言つてる場面があつたのだが、何巻だつたかいまは思ひ出せないが、もしさうなら、グリマーもロベルトもヨハンもディーターは解るのではないか。
2009-06-15
全巻セットで売つてしまふつもりでゐた浦沢直樹の「Monster」(全18巻)をホームズの後で4日くらゐ掛けて一気に読み返した。まだ売らないで手元に置かう。幾つか気になることが出て来て、──それだけ雑に、いい加減に読んでゐるのだらう。やつぱり全体としてスッキリしない。時間の流れが特に呑み込めない。1986年にドイツのデュッセルドルフにある病院でヨハンとアンナ(双子)はDr.テンマに会ふ。それが物語の始まり。が、その後でいろいろあつて2人とも失踪する。そのとき10歳といふことになつてる。といふことは1976年生まれだ。1985年に511キンダーハイムといふ孤児院が焼失。そこにゐたヨハンと、別の地区の孤児院にゐたアンナ=ニナはリーベルト夫妻に引き取られるのだが、後の巻で、この双子の兄妹が1981年に生まれたといふ話が出てくる。それだと5年ズレちやふ。三匹のカエルの看板のある家が火事になつて、そこから2人は逃げて彷徨ひ、そこを救はれ、その後でヨハンは511キンダーハイムに行くのかい?カエルの家の火事がいつなのか、特定出来ない。
9年後の1995年にデュッセルドルフでヨハンとDr.テンマは再会する。その辺りは解る。その先は辿れるのだが、10歳になるまでのことがよく解らない。他にもある。それは明日以降に持ち越し。眠い。
9年後の1995年にデュッセルドルフでヨハンとDr.テンマは再会する。その辺りは解る。その先は辿れるのだが、10歳になるまでのことがよく解らない。他にもある。それは明日以降に持ち越し。眠い。
2009-06-10
2009-05-29
「目白雑録3」朝日新聞社(207)読了。団塊の世代と呼ばれる人たちがビートルズ世代だつたと勘違ひしてゐると、寧ろ団塊の世代にとつてビートルズはそれ以前のアメリカン・ポップスの甘美なメロディをぶち壊した奴らだつた筈だ、と正しい記憶で言つてるのは亀和田武だけだと書いてあつたのはどこだらう、と探したがそれは「2」のはう(P184)だつた。
「3」には芥川の「歯車」の話があつて(P180)、それは飛蚊症ではないかと言ふが、それはオレにも思ひあたる。過労(滅多にないが)や寝不足(これも殆どない)が続いた20代半ばの頃に奥眼窩神経痛と診断されたことがあるが、そのとき、見てゐるものの一部が水で滲んだやうに見え、それが輪のやうになつてゐたりもして、芥川の言ふ歯車ツて、これぢやないか、と思つたものだが、どうやら飛蚊症らしいや。いまでもほんとにたまに、水で滲んだやうに見えることがある。さういふときは自覚がないだけで大抵疲れがたまつてゐるときだ。オレもいづれ網膜剥離になるんだらうか。
「3」には芥川の「歯車」の話があつて(P180)、それは飛蚊症ではないかと言ふが、それはオレにも思ひあたる。過労(滅多にないが)や寝不足(これも殆どない)が続いた20代半ばの頃に奥眼窩神経痛と診断されたことがあるが、そのとき、見てゐるものの一部が水で滲んだやうに見え、それが輪のやうになつてゐたりもして、芥川の言ふ歯車ツて、これぢやないか、と思つたものだが、どうやら飛蚊症らしいや。いまでもほんとにたまに、水で滲んだやうに見えることがある。さういふときは自覚がないだけで大抵疲れがたまつてゐるときだ。オレもいづれ網膜剥離になるんだらうか。
つづけて金井美恵子の「目白雑録3」を読んでゐて、あと50頁くらゐのところで気が乗らなくなつたのは、癖のある人の書いたものだから、気楽にほいほい読めない。読み易いんだけど。網膜剥離で手術したなんて知らなかつたなあ。尤も、マスコミから騒がれるタイプの人ではないし、な。村上龍とか、けさの新聞広告で「7年ぶりの大長編小説」を出した同姓春樹──またベストセラーになつて印税ガッポリ稼ぐんだらうなあ、まへに読んだ「寝ながら学べる構造主義」の内田樹は村上春樹が好きみたいだね、どうでもいいけど──とかなら違ふけど。
なので、鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」を引ツ張り出して、「聖徳太子はだれですか?」「謀叛の動機はなんですか?」を拾ひ読みしてる。なんでか、と言ふと、聖徳太子は実在しなくて、あの、教科書の絵もウソで、……といふのを思ひだし、どこにそれが書いてあつたか、鯨統一郎だつたよなあ、とたどり着いたワケだ。面白いけど、やつぱりこれはミステリーぢやないでせう。小説としてもスカスカで、骨組みだけで書かれてる。人物もほぼ同一人物。映画もB級扱ひされるのに惹かれるはうだから、ガチガチの判官贔屓なんで、それはそれでいいんだけど、小説としては歯応へがない。「維新が起きたのはなぜですか?」まで読むか。
なので、鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」を引ツ張り出して、「聖徳太子はだれですか?」「謀叛の動機はなんですか?」を拾ひ読みしてる。なんでか、と言ふと、聖徳太子は実在しなくて、あの、教科書の絵もウソで、……といふのを思ひだし、どこにそれが書いてあつたか、鯨統一郎だつたよなあ、とたどり着いたワケだ。面白いけど、やつぱりこれはミステリーぢやないでせう。小説としてもスカスカで、骨組みだけで書かれてる。人物もほぼ同一人物。映画もB級扱ひされるのに惹かれるはうだから、ガチガチの判官贔屓なんで、それはそれでいいんだけど、小説としては歯応へがない。「維新が起きたのはなぜですか?」まで読むか。
2009-05-22
2009-05-21
2009-05-19
2009-05-18
それからなにを読まうか物色してたら、さうだ、ホームズの短篇集があと3冊残つてるから、取り敢へずいまのところはそれでも読んでホームズを片付けちまふことにしたのだが、なにせ30年くらゐまへに、ホームズの文庫ぜーんぶ下さいな、つてんで買つたものだから──ほかに007とブラウン神父シリーズが揃つてゐて、007は2冊読んだのかな、いまひとつ乗り切れなくて、ブラウン神父は最初の1篇で躓いて、理由は後日──兎に角フォントのサイズが小さいし、焼けて紙が黄ばんでたり、文字のインクが消えさうだつたり、更にこれらの文庫はぜーんぶ延原謙訳なんだけど、これがさあ、言つちやあ悪いが、チョンマゲの時代劇かよ、みたいな言ひまはしがあるんだ、時々、なので、ホームズものつて一体どこが面白いんだろ、と思つてるんだけど、ここまで読んだんだから修業のつもりで最後まで、……で、最初の「四つの署名」から数へると、もう5年以上掛かつてるんぢやないかな。書かれた順に読んで来たから、ご丁寧にも。
──で、この「ホームズ最後の事件」、ちつともワクワクするところがない。でももう少しだ。
──で、この「ホームズ最後の事件」、ちつともワクワクするところがない。でももう少しだ。
2009-05-04
かうして矢作俊彦「ららら科學の子」文春文庫(205)読了。なんて中途半端な話なんだらう。なのに、なんて充実してるんだらう。人生の途中をそのまま切り取つてみせたら、こんな風になるしかないだらう。一度も姿を表さない志垣にしても、一体なにを生業としてゐるのかよくわからんし、妹とも電話で話したきりだし、女子高生はそもそもどう関はつてるのか、奥さんはなぜ家を出たのか、さまざまな事柄が説明不足で納得できないまま、最後まで読んでしまふのだ。つまり、これは小説だ。虚構なのだ。スカスカの、辛うじて形を保つてゐる狭くて薄暗い舞台装置の中で、顔のない人物たちがそれぞれの役割の名前をぶら下げて動いてゐる芝居のやうなもの、或は作中でも触れられるクーブックの映画「博士の異常な愛情」さながら、一人の役者が複数の役をこなしてゐるやうなものなのだ。なのに、面白い。
2009-04-30
実は矢作俊彦の三島賞受賞作品(なんてことは中身とは一切関係ないけれども)「ららら科學の子」を面白く読み始めてゐたのが180頁くらゐで話がなかなか展開して行かないので2日3日積んどいてるあひだに、Amazonで買つた鈴木孝夫「言葉のちから」文春文庫(204)を読みをへた。ざつと言へば、いま日本は世界のトップ3(アメリカ、EU、日本)の中にゐるのに、歴史的にこれまで他国に追ひつけ追ひ越せでやつて来た(始めは中国、明治からは独仏英、敗戦後はアメリカ)体質がかはらないから、国内外でいろんな問題が起つてゐるのだ、と。アメリカから学ぶための英語なんて方法は国際社会での日本の立場を考へたら、時代錯誤であり、アメリカにはもう学ぶものは何もない、いまは寧ろ日本の良さ、日本的パラダイムを海外へ向けて発信する手段としての英語教育が必要だ、といふやうな話。ほぼその繰り返しで、講演を元にしてゐるから読み易いのはいいが、繰り返しが多いのが堪らん。
2009-04-15
残り40頁、No.56からは一気に読んでしまつた。トマス・ハリス/菊池光訳「羊たちの沈黙」新潮文庫(203・used)。犯人探しが中心ではないから、前作「レッド・ドラゴン」同様に物語の中程で犯人は登場する。そこから追ふ側の主人公たちとの距離がどうちぢまつて行くかで、どんどん盛り上がる。更に今回はレクターの逃亡といふ思つてもゐなかつた展開が入るし、その場面も臨場感がある。これを書くためにどれだけの資料を集め、読み込んだのだらう。そこから実際に人物が動き出すまで、やはり7年といふ年月が必要なのだらうか。クラリス・スターリングがジュディ・フォスターの顔と重なつてしまひ、閉口した。それとアンソニー・ホプキンズはオレの中ではレクター博士ではない。
2009-04-13
2009-03-23
トマス・ハリス/小倉多加志訳「レッド・ドラゴン[決定版]」上下・ハヤカワ文庫(201.202・used)を読み終へた。期待をしすぎたのか下巻がそれほど面白くなかつた。事件は解決し、最後のドンデン返し──ちよつとは予想し期待もしてゐた意外な展開──はあるのだが、読んでゐていまひとつ盛り上がらなかつた。その最大の原因は、ジャコビ家とリーズ家の家族たちがどんな風に殺害され、その魅力的な主婦たちがどんな陵辱を受けたのかといふ曖昧な部分が放置されてしまふからだらう。確かにあまり具体的になるのは下品かも知れないね。時間を掛けて丁寧に書いたんだらうなあ、といふことは伝はる。そして恐らく実際には倍くらゐ書いたものを相当削つて、絞り込んでゐるのだらう。犯人の境遇についても、心理分析みたいな真似をしないところはいい。これは犯罪そのもののミステリよりも、推理し、捜査する側のミステリのはうが複雑だらう。ハンニバル・レクター博士といふ存在を受け入れ、ウィル・グレアムといふ人物の存在を疑はないことで成立してゐる。どんな小説もさうだ、と言へばさうなのかも知れない。が、これほど特異な人物が2人も登場するわけで、しかもこの設定は奇妙なのだよ、実は。過去に逮捕し、瀕死の重傷を負はされもした異常犯罪者に現在探してゐる連続殺人事件の犯人像を聞きに行くなんてことは現実にはしないだらう。読んでるあひだは、ちつとも不自然には感じないんだけど。レクターに聞きに行かなくても、グレアムは犯人を特定できたのではないだらうか。普通のミステリとしては、それで充分。
2009-03-16
2009-03-14
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