2009-05-18

それからなにを読まうか物色してたら、さうだ、ホームズの短篇集があと3冊残つてるから、取り敢へずいまのところはそれでも読んでホームズを片付けちまふことにしたのだが、なにせ30年くらゐまへに、ホームズの文庫ぜーんぶ下さいな、つてんで買つたものだから──ほかに007とブラウン神父シリーズが揃つてゐて、007は2冊読んだのかな、いまひとつ乗り切れなくて、ブラウン神父は最初の1篇で躓いて、理由は後日──兎に角フォントのサイズが小さいし、焼けて紙が黄ばんでたり、文字のインクが消えさうだつたり、更にこれらの文庫はぜーんぶ延原謙訳なんだけど、これがさあ、言つちやあ悪いが、チョンマゲの時代劇かよ、みたいな言ひまはしがあるんだ、時々、なので、ホームズものつて一体どこが面白いんだろ、と思つてるんだけど、ここまで読んだんだから修業のつもりで最後まで、……で、最初の「四つの署名」から数へると、もう5年以上掛かつてるんぢやないかな。書かれた順に読んで来たから、ご丁寧にも。
──で、この「ホームズ最後の事件」、ちつともワクワクするところがない。でももう少しだ。

2009-05-04

かうして矢作俊彦「ららら科學の子」文春文庫(205)読了。なんて中途半端な話なんだらう。なのに、なんて充実してるんだらう。人生の途中をそのまま切り取つてみせたら、こんな風になるしかないだらう。一度も姿を表さない志垣にしても、一体なにを生業としてゐるのかよくわからんし、妹とも電話で話したきりだし、女子高生はそもそもどう関はつてるのか、奥さんはなぜ家を出たのか、さまざまな事柄が説明不足で納得できないまま、最後まで読んでしまふのだ。つまり、これは小説だ。虚構なのだ。スカスカの、辛うじて形を保つてゐる狭くて薄暗い舞台装置の中で、顔のない人物たちがそれぞれの役割の名前をぶら下げて動いてゐる芝居のやうなもの、或は作中でも触れられるクーブックの映画「博士の異常な愛情」さながら、一人の役者が複数の役をこなしてゐるやうなものなのだ。なのに、面白い。

2009-04-30

実は矢作俊彦の三島賞受賞作品(なんてことは中身とは一切関係ないけれども)「ららら科學の子」を面白く読み始めてゐたのが180頁くらゐで話がなかなか展開して行かないので2日3日積んどいてるあひだに、Amazonで買つた鈴木孝夫「言葉のちから」文春文庫(204)を読みをへた。ざつと言へば、いま日本は世界のトップ3(アメリカ、EU、日本)の中にゐるのに、歴史的にこれまで他国に追ひつけ追ひ越せでやつて来た(始めは中国、明治からは独仏英、敗戦後はアメリカ)体質がかはらないから、国内外でいろんな問題が起つてゐるのだ、と。アメリカから学ぶための英語なんて方法は国際社会での日本の立場を考へたら、時代錯誤であり、アメリカにはもう学ぶものは何もない、いまは寧ろ日本の良さ、日本的パラダイムを海外へ向けて発信する手段としての英語教育が必要だ、といふやうな話。ほぼその繰り返しで、講演を元にしてゐるから読み易いのはいいが、繰り返しが多いのが堪らん。

2009-04-15

残り40頁、No.56からは一気に読んでしまつた。トマス・ハリス/菊池光訳「羊たちの沈黙」新潮文庫(203・used)。犯人探しが中心ではないから、前作「レッド・ドラゴン」同様に物語の中程で犯人は登場する。そこから追ふ側の主人公たちとの距離がどうちぢまつて行くかで、どんどん盛り上がる。更に今回はレクターの逃亡といふ思つてもゐなかつた展開が入るし、その場面も臨場感がある。これを書くためにどれだけの資料を集め、読み込んだのだらう。そこから実際に人物が動き出すまで、やはり7年といふ年月が必要なのだらうか。クラリス・スターリングがジュディ・フォスターの顔と重なつてしまひ、閉口した。それとアンソニー・ホプキンズはオレの中ではレクター博士ではない。

2009-04-13

愈々、「羊たちの沈黙」が終盤に入つた。残り140頁。レクター博士が逃亡、キャザリンの命は助かるのか。一気に最後まで読みたいんだけど、読み終はりたくない。映画をレンタルで借りて見てゐるんだけど、覚えてないなあ。

2009-03-23

トマス・ハリス/小倉多加志訳「レッド・ドラゴン[決定版]」上下・ハヤカワ文庫(201.202・used)を読み終へた。期待をしすぎたのか下巻がそれほど面白くなかつた。事件は解決し、最後のドンデン返し──ちよつとは予想し期待もしてゐた意外な展開──はあるのだが、読んでゐていまひとつ盛り上がらなかつた。その最大の原因は、ジャコビ家とリーズ家の家族たちがどんな風に殺害され、その魅力的な主婦たちがどんな陵辱を受けたのかといふ曖昧な部分が放置されてしまふからだらう。確かにあまり具体的になるのは下品かも知れないね。時間を掛けて丁寧に書いたんだらうなあ、といふことは伝はる。そして恐らく実際には倍くらゐ書いたものを相当削つて、絞り込んでゐるのだらう。犯人の境遇についても、心理分析みたいな真似をしないところはいい。これは犯罪そのもののミステリよりも、推理し、捜査する側のミステリのはうが複雑だらう。ハンニバル・レクター博士といふ存在を受け入れ、ウィル・グレアムといふ人物の存在を疑はないことで成立してゐる。どんな小説もさうだ、と言へばさうなのかも知れない。が、これほど特異な人物が2人も登場するわけで、しかもこの設定は奇妙なのだよ、実は。過去に逮捕し、瀕死の重傷を負はされもした異常犯罪者に現在探してゐる連続殺人事件の犯人像を聞きに行くなんてことは現実にはしないだらう。読んでるあひだは、ちつとも不自然には感じないんだけど。レクターに聞きに行かなくても、グレアムは犯人を特定できたのではないだらうか。普通のミステリとしては、それで充分。

2009-03-16

トマス・ハリスのハンニバル・レクターのシリーズをなんとなく全部読んでみようといふ気持ちになつて(恐らくただの蒐集癖なんだらうが)、「レッド・ドラゴン」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」「ハンニバル・ライジング」と揃へたのは去年の11月から12月にかけてで、もちろんBookOffで105円のものを探したのだが、本を読む気になれなかつたりしてたのでいまごろになつてしまつたが、きのふ漸く「レッド・ドラゴン」の上巻を読み終へた。バンザーイ!! なんて面白いんだ。途中でやめられなかつたぜ。早く下巻を読まなくちや、こんなこと書いて場合ぢやない。

2009-03-14

ざつと読み返し、納得できないところがどうやらわかつた。警察が捜査を始めてゐながら、関係者の捜査、アリバイ捜査が緩過ぎるのだ。どんな視点で書かれてゐても、警察は捜査してるわけだから。ほぼ一箇月のあひだに5人も殺される。しかも、毎日のやうに殺人が起るのではないのだ。警察はなにをやつてんだ、と言はれちやふね、間違ひなく。さういふ現実感が足りない。
コナンを見たあとだつたか、娘が結構推理ものが好きなので、ときどき小学生でも読めさうな、エッチな場面やグロテスクなところの少ないヤツを探してるのだが、こないだ中町信の「推理作家殺人事件」を読み返さうと思つたのは、そんな感じで見繕つてたときだけど、これにはちよつとエッチな場面がある。多門耕作シリーズほどではないけど。これはまるまるクリスティの「アクロイド殺し」(これは見事です、途中で気づく人が多いと思ふ)だつたけど、なーんか腑に落ちないと言ふか、すんなり騙された気にならないんだなあ。まへ読んだときもさうだつた。なんでだろ。中身は思ひ出したので、もう一度、その辺を読み直さうか。

2009-02-28

長嶺超輝「裁判官の爆笑お言葉集」幻冬舎新書(200・used)読了。爆笑するやうな発言はないのに、なんでこんな題名なんだろ。確かに一番最初に出て来る「死刑はやむを得ないが」「長く生きてもらいたい」といふ発言は、なに言つてんだ?と思ふけど。105円ぢやなかつたら買はなかつたらうが、まへに読んだ「裁判長、ここは懲役4年で……」よりはいいかな。

2009-02-22

一昨年の10月に亡くなつた打海文三の最後の小説「ドリーミング・オブ・ホーム&マザー」光文社(199・used)を読み終へた。「ロビンソンの家」を読んだばかりなので、人物の行動が一部交錯した。「時には懺悔を」から読み始め、テビュー作「灰姫」(絶版)と「裸者と裸者」「愚者と愚者」「覇者と覇者」の連作を除いて凡て読んだ。人物には幾つかのパターンがあるやうで、それを整理して分析するつもりはないが、例へば手塚治虫のヒゲオヤジみたいにあつちこつちに登場してゐる。背徳的でグロテスクで凶暴で甘美で幻想的でもある。音楽が「薄く」流れると書くのだ。低くでも小さくでもなく「薄く」と。

2009-02-17

打海文三「ロビンソンの家」中公文庫(198)を読み終へた。これは一気に2日くらゐですらすら読んでしまつた。要約すると面白さが零れてしまふ気がする。ラスト近くに従姉にまつはる出来事が主人公に伝へられ、香港へ向かう飛行機の中で終る。尻切れトンボで冒頭の整合性に欠けることはどうでもいいんだけど、映画で見てるなら受け入れてしまふだらう。なぜなら映画の時間は逆戻りできない。再び冒頭へ戻ることはない。記憶の中では戻れるし、昔の映画館だつたら、次の上映時間まで中にゐて頭から見ることもできたが、いまは一回の上映しか見られないから。しかし、本は違ふ。小説はもう一度頭に戻れるし、途中からでも最初に戻れる。先回りもできる(詰まらなくなるだけだから誰もやらない)。つまり、本を読む時間は戻れるといふこと。映画つていふのは見終はるまで戻らないし、戻れない。さういふ意味で打海文三は映画的だと感じるワケだ。この中にも映画への言及があるし、映画に深くかかはつた人らしく、殆どの作品が映画的なものを感じさせる。キングやクーンツが映画的だといふのとは違ふんだけど、序でにちよつと言ふと、ずこく具体的なところ。キングもクーンツも人物には必ず名前があり、服装や髪型、顔立ちなどについて実に細かい記述がある。例へば人物の顔がアップになれば、見る側にはその顔がみえてるわけだし、部屋なら部屋にあるインテリアについてカメラのやうに記述される。それが映画的だといふことで、これは映像的と言つたはうがいいかもしれない。構造にも映画的な印象があるけど、いまは説明できない。

2009-02-16

岩波新書のシリーズ日本近現代史①「幕末・維新」井上勝生(197)読了。学校の勉強をもう少しきちんとやつとけば、もつとすんなり頭に入つたのだらうね。いづれにしても、直感的に感じてた明治維新の立役者と呼ばれる人たちの俗物ぶり、野蛮ぶり、田舎者ぶりはほぼ当たり。朝廷の如何にも温室育ちの我が儘ぶり、取り巻きの公家の何様ぶりは知らなかつた。やはり幕府の役人たちは立派だつたのだよ。江戸時代のマイナスイメージは凡て明治維新以降に都合良く作られた幻想なのだ。いまも皇室の行事でなんとかの儀が執り行はれ、なんていふ記事が新聞に出るけれども、あれは何百年、何千年と続いた伝統的な由緒ある皇室行事ではなくて、その殆どが維新以降に作られた物だといふし。

2009-02-13

スティーヴン・キング「ドランのキャデラック」小尾芙佐他訳・文春文庫(196・used)を漸く読み終へた。面白い。人気があるのも当然だらう。クーンツもさうだが、ずゐぶん書き込むんだなあ、と思つた。日本だつたら、学校の作文同様に、もつと簡潔に書け、と言はれるだらう。趣向がそれぞれ違つてゐて楽しめた。さて、次は何から片付けよう。

2009-02-08

どうにもかうにも本が読めない、読み続けられない日々が続いてをり、読みかけが何冊か机に積んだままになつてゐるのだが、太田のイオンに行つたときに買つた、内田樹の「知に働けば蔵が建つ」文春文庫(195)を漸く読み終へた。内田樹の本は以前読んだことがある。「寝ながら学べる構造主義」といふ本だ。だから名前は覚えてゐて、立ち読みしたら面白さうだつた。もともとブログの記事だと書いてあるが、ブログの記事つて、書き捨てなんだよね。顔が見えない、顔のない文章とでも言へばいいのか。独り言みたいな感じで、自分でもやつてるから解るんだけど、ペラペラ喋るみたいに、あんまりじつくり考へないで打つてる。やつぱりそんな感じ。だから読めたとも言へる。中身についてはあんまり触れる気がしない。気が向いたら後で書かう。変換で苛立つので長く打ちたくないのだよ。……ところで、途中になつてるスティーブン・キングの短篇集「ドランのキャデラック」があと半分のところまで来た。初めて読むキングなんだけど、この展開の仕方はクーンツにも言へるかも知れないが、映画的だ。もつと上手い説明が思ひ付かない。読み終はつたら考へよう。もう一冊、キングと一緒にいつもカバンに入れて持ち歩いてる岩波新書の「幕末・維新」のはうは滞つてる。頭に入らない。幕府の人物名、朝廷側の公家の人名などが摑みきれない。実は同じところまで読んで一度滞り、また最初から読み始めたといふのに、この始末。どうする?もう一度始めから行くか。……といふ状態だといふのに、けふも小林賴子の「フェルメール──謎めいた生涯と全作品」角川文庫を見つけて買つて来てしまつた。一体どうするつもりなんだか。更に言へば、ヘンリ・ミラーの「マルーシの巨像」もクロード・シモンの「フランドルへの道」も、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」もオーウェルの「1984年」も途中だといふのに。しかし、小林賴子は日本でのフェルメール研究の第一人者だといふぢやないか。フェルメールとなれば、つい手が出てしまふよなあ。

2009-01-27

年が明けてから、まだ一冊も読み終へてゐないと思つてゐたけど、さう、森恒二の「ホーリーランド」全18巻・白泉社(177〜194)を読み終へてゐたのだつた。あれはハガレン21を読んでからだから12〜15日のあひだで、そもそもの読み始めは息子が読んでゐたのを借りたので、面白さうだなと思つたのは主人公の孤立感、居場所のなさ、といふ立ち位置が身近に感じた──息子も恐らく投影してゐたのだらう──からだ。館林のBookOffで最新刊の手前まで纏めて買つて読み進めたけれども、キングつていふ薬物に手を出す怪しいヤツが出て来たり、伊沢の過去とか遡つたりして──最初ら最後まで手元にあつて一気に読んでるワケぢやないから、ハガレンもさうだけど遡るとどうも話の前後が混乱し──長引きさうだつたので、新しいのが出ると息子が買つたのを借りて読んでゐたら、意外にも予告で18巻で完結するつていふので買つたのだが、オレの印象では神代がヤンキー狩りとして土屋とか伊沢とかショウゴたちとの戦ふために鍛え、傷つけ、傷つき、立ち上がる前半が好きだ。

2009-01-12

アルフォンスが二つの場所にゐる、つていふ話の続き。「ハガレン19」のP93。キンブリーが怪しまないか、と聞くウィンリィにアルは「大丈夫、兄さんがなんとかしてくれるから」と答へ、次の場面。エドの隣に鎧のアルが腰掛けてゐる。次頁4コマ目、マイルズが「行くぞ」と声を掛け、「アイサー」とアルが答へてしまつたのを次のコマ、エドに返事の仕方を窘められて次、中にブリッグズの兵士がゐる。で、次頁の始め2コマに出て来て、それ以降は現れずに、中に入つててゐた兵士の姿でP98の1コマ目に出て来て、その後ろにアルの鎧が描いてある。意味は解る。ただここまで整合性にこだはるなら、アルの鎧を錬成する場面があつてもよかつたかな、と。見落としたかな。だつたら、謝る。

2009-01-08

たぶん暮れだつたと思ふが、「鋼の錬金術師21」と「ホーリーランド18」(最終巻)が出てたので買ひ、「ホーリーランド」は息子に先づ貸して「ハガレン21」のはうから読んだのだが、忘れてるところが多くて、止むなく20、19と遡つて読み返してる。よくわからなかつたのがアルフォンスが別々の場所にゐて、どうやら片方は、といふのはエドと一緒に行動してるはうは他の人間が中に入つてる贋ものらしいと漸く呑み込んだのだが、その経緯がどこの場面で書かれてゐるのか探しても見つからないこと。それと「まだその日ではない」とホーエンハイムが言ふ、約束の日とやらが意外に近いらしい。それはつまり物語も終りが近いといふことか。ちよつと急いでゐる気がする。

2009-01-06

まだ酒井阿闍梨の本、なかなか片付ける気になれなくて、第一章「一日一生」の8篇をときどき読み返してゐる。いまはいろんな余計なことが頭にあつて、ヘンリ・ミラーに集中できないだらう。足踏みしてる。

2009-01-03

大晦日に「一日一生」は読みをはつた。しかし、どうも力を貰つた気がしない。読みおとしてる、読み違へてゐるところがあるんぢやないか。取り敢へず暫く手元に置いてパラパラと捲ることにしよう。さて次はヘンリ・ミラーの「マルーシの巨像」だ。1/3読んでそのままになつてる「フランドルへの道」、やはり途中で挫折してゐる「1984年」を読みきつてからにしたらどうか、と頭の隅で囁く声がするのだが、……。